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空き家を買ったら、もう一軒家が付いていました ~民泊ポートハウスの物語~



先日、知人から「民泊、もう何年やってるんですか」と聞かれて、指折り数えてみたら、もう丸五年経っていました。今では当たり前のようにチェックインの準備をしていますが、そもそもの始まりは、民泊目的で手に入れた家ではありませんでした。

その離れは、母屋の手前にありました

門川尾末の家を初めて見に行った日、母屋の手前にもう一棟、小さな家があるのに気づきました。案内してくれた友人のお母様は、少し恐縮した様子で「家が二つもあってごめんなさいね」とおっしゃいました。二軒分の管理の大変さを気にかけての言葉だったのだと思います。けれど私たちの頭に浮かんでいたのは正反対のことでした。家が二つもあるなんて、ラッキー。いつか民泊をやってみたいと、漠然と思っていた私たちにとって、それは願ってもない話だったのです。

ビフォーの洗面所はこんな感じ

この離れは、もともと母屋にいたご家族の子どもたちが大きくなり、二階建ての母屋での暮らしが手狭になったことから、敷地内に建てられた祖父母だけの家だったそうです。高齢のご夫婦が実際に暮らしていた生活の気配と、そのまま残された家財が、母屋とは違ったリフォームのハードルの高さを物語っていました。

生活の気配がそのままの台所

母屋へ引っ越し、なんとか生活が回るようになると、目の前にあるこの離れは、いつでも着手できる状態になっていました。ただ、日中は夫婦そろってアルバイトをしていたため、まとまった時間はなかなか取れません。「今日はここをやる」と決めても、暑さや雨で先延ばしになる日も少なくありませんでした。庭の柵の塗装も、そうやって何日も持ち越していた作業のひとつです。ある日、アルバイトから帰ってきた妻が「今日だ!」と、着替えもせずに塗装を始めた姿を、今でもよく覚えています。

残置物と流しの扉も潔く撤去

作業そのものは、決して華やかなものではありませんでした。流し台は収納扉が壊れていたので、扉を撤去してあえてスケルトンの流し台にしました。洗面台は、正面の鏡とプラスチックの棚が変色して見栄えが悪かったため、台だけを残して棚は撤去し、友人からもらった鏡を壁に取り付けました。ユニットバスは水栓が壊れていたので、ホームセンターで部品を買い、動画を参考に自分たちで交換。入り口の折れ扉がなくなっていたことに気づいたときは困りましたが、「海外ではこんなものよ」という妻の一言で、シャワーカーテンで代用することにしました。このカーテンは、今でも現役で活躍しています。トイレは床の張り替えのために便器を外した際、誤って落として割ってしまいましたが、幸い構造に関わる部分ではなかったため、陶器用の接着剤で補修し、今も問題なく使えています。

ユニットバス(入口はシャワーカーテン)

道路より2メートルほど高い位置にあった庭の柵も、錆びて今にも外れそうだったので撤去し、友人の大工さんに手伝ってもらいながら板材と柱で新しく組み直し、白いペンキで塗装しました。寝室にする和室六畳だけは、さすがに自分たちの手には負えず、畳の張り替えを業者にお願いしました。壊れていないものは活かし、直せるものは自分たちで直し、どうしても無理なものだけをお願いする。そんな判断の積み重ねで、この離れは少しずつ形になっていきました。

いつも助けてくれる頼もしい大工さん

民泊の申請は、そもそもどんな手続きが必要なのかも分からないところからの出発でした。調べていく中で、民泊には建てられる用途地域や、学校からの距離といった制約があることを初めて知りました。消防に相談に行った際、以前の住み込み管理人時代の宿のことを話すと、担当の方がその宿をご存じで、話がとてもスムーズに進みました。当時この地域で民泊を始める人はまだ少なく、珍しがられたのを覚えています。県や保健所とのやり取りを重ね、無事に開業にこぎつけました。民泊の名前は、まさに港の目の前という立地から、妻が「ポートハウス」と名付けました。

港町にひっそりたたずむ民泊ポートハウス

開業してからは、Airbnbで集客を始めましたが、最初のうちは、ゲストに何を伝えればいいのかすら分かっていませんでした。開業がちょうどコロナ禍の時期だったこともあり、宿泊者の七割ほどが海外からのお客様でした。多くの方が、福岡や阿蘇、高千穂、大分の温泉、鹿児島への移動の途中、たまたまこの地で一泊する場所として選んでいることが分かってきました。それでも、「こんなに静かでゆっくりできる場所はなかなかない」と喜んでくださる方が多く、レビューには高評価が積み重なっていきました。今では、五点満点中四.九以上という評価をいただき続けています。

洗面台部分のみ再利用&鏡取り付け

やがてスーパーホストや、上位のホストにしか与えられないゲストチョイスの称号もいただけるようになり、検索で見つけて訪れる方、毎年恒例のように訪れてくださる方も増えていきました。近所の美味しいレストランやスーパーを事前にご案内すると、実際に満足していただけることが多く、宿だけでなく、この地域そのものを楽しんでもらえるサービスへと育っていきました。

こんな爽やかな感じに蘇りました

敷地も少しずつ広がっていきました。隣の空き地を購入し、境界にあったブロック塀を撤去して敷地をひとつにつなげています。この時、200キロほど重さのある庭石が動かせず、近所の工事で使っていたユンボを交渉して借り、なんとか撤去しました。でこぼこになった地面は、ホームセンターでセメントを20袋買い、手で練って埋めましたが、この経験で手作業の限界を知り、次のタイミングで広範囲のセメントを打つ際には、コンクリートミキサー車を呼んでコンクリートを打設し、友人の大工さんに雨よけの波板を設置してもらいました。

自宅のコンクリート打ちにミキサー車を呼ぶとは

こうした作業や日々の運営の中で、私たちにはそれぞれ得意な役割ができていきました。解体や撤去、重機を使う作業は私が、クッションフロア張りや庭の造園、日々の民泊の運営は妻が担当します。清掃は一人でも1時間ほどでできますが、あえて二人で行うことが多く、効率以上に、二人でやっているという安心感を大切にしています。

「ぐっすり眠れました」が一番多い感想です

門川尾末の離れは、たまたま母屋についてきた一棟の建物でした。けれど、この一棟と向き合い続けたことで、私たちは宿泊事業者として育てられ、その経験が、次に手がけた日向塩見の家へとつながっていきました。母屋のおまけだと思っていた家が、まさか自分たちの働き方そのものを変えることになるとは、あの日は想像もしていませんでした。


※この物語には、続きの物語があります。


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