不毛な会話を笑い話に。解決を求めない相談への「エッセイ・セラピー」
こんにちは、高塚アカネです。
本日も「日刊アカネ」にお越しくださり、ありがとうございます!
私、高塚アカネは「ミニマルライフでブロガーになる」を掲げ、アラフォーを目前にして、「暮らし」「お金」「美」「筋トレ(運動)」を中心に、自分のライフスタイルを整えるエッセイを日々綴っています。全noterさんが素敵なライフスタイルを見つけられるように応援すること、そして何より、私自身の元気の証として日々記事を書くことが、この「日刊アカネ」の基本理念です。
今日は、日常に入り込む不快なノイズを、生成AIとの会話で「おかしな標本」に書き換え、二度と自分を苛ませないための「エッセイ・セラピー」をお届けします。
いきなり投げつけられる「どうでもいい相談」
私のヤードに時折、ノイズの混じった不穏な通信が入り込むことがあります。
それは大抵、誰かからの「どうでもいい相談」という形をしてやってきます。
「ねえ、これって〇〇なのかな?」
主語も背景もなく、いきなり投げつけられる断片的な問い。
本職で「もーれつサラリーマン」を自称する私の察知力(センサー)がフル稼働し、「それはこういう背景があるのでは?」と、良質なダイソンさながらに吸い込み、解決策という名の「一等品の回答」を納品しようとします。
「でも・だって」という分厚い拒絶の壁
ところがですよ(;'∀')。
返ってくるのは「でも、これはこうだから」という、分厚い拒絶の壁です。
私は一般の女性と会話をするには「男子力」がたかすぎないか(;'∀')。
背景を知らないから歩み寄ったのに。
解決を求めているように見えたから、私の貴重な演算リソース(知性)を割いたのに。
相手は、私が差し出した正解は、まぁまるでいらなかったかのように受け取ろうとはせず、ただ自分の泥舟の底を、さらに深掘りし続けているのです。
かつての私は、ここでイライラを募らせていました。
「なぜ、直そうとしないのか?」
「なぜ、私の時間は無駄こんなにも無駄になっていくのか」と。
「解決」ではなく「泥」を求めている人々
だが今の私は、にまにまと笑いながら、静かにその通信回路(チャンネル)を閉じます。
気づいてしまったのです。
彼らは「解決」という名の光を求めているのではない。
ただ「不快」という泥沼の中で、誰かに一緒に泥をかき混ぜてほしいだけなのだということに。
私の鋭い察知力は、相手を救うためのものではなく、その「不毛なループ」を即座に検知し、自らのヤード(4畳半を守るために使うべきものだったのだ。
「泥舟の修理」をおしまいにする
「あばよ、終わりのない問い。よろしく、私の静寂な四畳の城」
泥舟の修理を請け負うのは、もうおしまいです。
私は、私が選んだ「朝もやに沸かした白湯」を飲みながら、自分だけの納得を深めていきます。
不毛な会話に費やす電力は、もう一ミリも残っていないのですから。
さて。
こう思った瞬間ですが、エッセイにでも残して、笑い飛ばして終わろうかな、と筆を執りました。
相手の「機体(OS)」が、最初から直ることを拒否している事実。
それを知っただけか。…と、心は完結しようとしています。
「おっと、泥舟の勧誘か。あばよ、お疲れ様!」
…ふうん。
…たいへんだねぇ。
……
会話がひらがなになってまうがな(;'∀')。
他者の混乱を「自らの責任外の事象」として受理したとき、私の境界線はイイ感じに「ピカソの描いた線」になるような気がします。
言葉は真に価値ある対話のために使いたい気がするんだよな。
どんな不条理な会話も「さっぱり」と笑い飛ばす能力をいまこそ私に(;'∀')。
本日もお読みいただき、心から感謝申し上げます!

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