英語論文を書ける臨床家になるために、今から変えるべきこと
英語論文を書きたいと思ったとき、多くの人が最初に考えるのは「もっと英語ができるようにならないと」ということだと思います。
私もそうでした。
単語を覚える。文法を勉強する。英語論文を読む。最近ならAIを使って英文を書いてみる。
どれも間違ってはいません。
ただ、英語論文を書こうとして何度もつまずいてきた今は、少し違う見方をしています。
英語論文が遠く感じる理由を「英語力不足」で片づけてしまうと、かなり遠回りする可能性があります。
なぜなら、英語論文を書くときに必要になるのは、単純な英語力だけではないからです。
1.「英語ができる」と「英語論文を扱える」は同じではない
例えば、英語論文を読むことができる人でも、自分で英文を書こうとすると急に手が止まることがあります。
逆に、AIを使えばある程度きれいな英文を作れる人でも、「この英文をそのまま使って大丈夫なのか」と聞かれると判断できないことがあります。
ここが、英語論文の難しいところです。
英語を理解できることと、英語で自分の研究を適切に表現できることは同じではありません。
さらに、英語として自然な文章を書くことと、論文として妥当な文章を書くことも同じではありません。
例えば、英文としてはきれいでも、その単語には因果を主張するニュアンスが含まれていると、論文としては危うくなります。
反対に、少し地味な表現でも、研究デザインや結果に対して適切な強さで書かれていれば、その方が論文としては安定します。
この違いを知らないまま「とにかく英語力を上げよう」とすると、かなり広い範囲を勉強することになります。
そして忙しい臨床家ほど、そこで消耗します。
2.英語論文を書けない理由を「英語力」にまとめない
英語論文を書こうとすると、いろいろなところで止まります。
英文そのものが読めないこともあれば、読めても論文の論理が追えないこともあります。
書こうとしても適切な言い回しが分からない場合もあるし、AIが出した英文を見て「たぶん大丈夫」としか判断できない場合もあります。
これらは、表面上はすべて「英語で困っている」ように見えます。
でも、必要な解決策は同じではありません。
ここを一括りにしてしまうと、自分が本当に困っている場所とは違う勉強を始めてしまいます。
例えば、論文の主張と根拠の関係を読めていないのに、単語だけ増やしても大きくは変わりません。
自分の英文が強すぎることに気づけない状態で、英作文の量だけ増やしても、査読で指摘されるポイントは残ります。
つまり、英語論文を目指すときに大事なのは、「英語が苦手だから勉強する」という大きな括りから一度離れることです。
自分は何ができなくて止まっているのか。
そこまで細かく見ないと、努力量と論文化の距離がなかなか縮まりません。
3.AIがある時代ほど、自分の英語力の役割を考えた方がいい
今は以前より、英語論文を書くハードルは下がっています。
英文を整えることもできますし、表現の候補を出してもらうこともできます。自分でゼロから英文を作る負担はかなり減りました。
ただ、私はAIがあるから英語を勉強しなくてよくなったとは思っていません。
むしろ、自分が何を判断できなければならないのかが、以前よりはっきりしたと思っています。
AIが出した英文を見たときに、それが自分の結果から言える範囲なのか。
原著論文の表現と比べて不自然ではないのか。
自分が本当に伝えたい意味になっているのか。
こうした判断をすべてAI側に預けると、自分の研究内容と英文の間にズレが生じても気づけません。
ここで必要なのは、AIよりうまく英作文する力ではありません。
AIが作ったものを、自分の研究に照らして扱えることです。
この違いはかなり重要だと思っています。
目標を「自力で美しい英文を書けるようになる」に置くと、必要以上に遠い道に見えます。
でも、「自分の研究内容を、英語論文として妥当な形にできるようになる」と考えると、鍛えるべきものが少し違って見えてきます。
4.英語論文を目指すなら、「英語が得意になる」から一度離れてみる
私自身、英語論文を書き始めた頃は、英語ができる人になれば論文も書けるようになると思っていました。
だから英語論文を読むことそのものに時間をかけたり、分からない単語を調べたり、英語力全体を上げようとしていました。
その経験が無駄だったとは思いません。
ただ、何本か論文を書き、リジェクトや査読対応を経験する中で、英語論文に必要な能力はもっと限定して考えた方がいいと感じるようになりました。
英語論文を書くために必要なのは、自分の研究を読む、考える、表現する、そして第三者に読まれるところまで持っていくために必要な英語を使えることです。
この見方に変わると、英語学習の意味も変わります。
「英語を勉強しなければいけない」という漠然とした重さから、「自分は英語論文を書くために、どこを鍛える必要があるのか」という問題に変わるからです。
少なくとも私は、この違いが分かってから、英語論文との距離感がかなり変わりました。
英語論文を書ける人になるために、英語が得意な人になる必要はありません。
ただし、何を勉強し、何を勉強しなくていいのかは、かなり慎重に考える必要があります。
私自身、大学生の頃から英語論文を読み始め、かなり遠回りしてきました。
一本の論文を読むだけで何か月もかかっていた時期もありますし、社会人になってから英語をやり直した時期もあります。
論文を書き始めてからは、読むだけでは足りないことも何度も思い知らされました。
その遠回りを振り返りながら、「英語論文を将来通したい人が、何をどの順番で鍛えていけばいいのか」を整理したのが、こちらのnoteです。
英語を勉強するためのnoteではありません。
将来、自分の症例や研究を英語論文として出したい臨床家が、限られた時間をどこに使えば、その努力が論文化につながりやすくなるのか。
私自身が指導者のいないところから遠回りした経験も含めて、具体的にまとめています。
英語論文はまだ自分には早いと思っている人ほど、実際に書き始める前から準備できることがあります。
そして、その準備を始める時期は、論文を書き始めてからでは少し遅い。
将来英語論文を書きたいと思っているなら、今の英語学習を一度見直すきっかけになると思います。
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