「あの子、またできないかも」と思った夜にーそれでも私が「できる条件」を探す理由
明日から、また仕事。
そんなことを考えていると、なぜか先週うまくいかなかった場面ばかり思い出すことがあります。
「また、お集まりで動けないかな」
「また切り替えで泣くかな」
「あの声かけ、結局うまくいかなかったな」
療育や保育の仕事をしていると、子どもより先に、こちらが翌日の展開を予測してしまうことがあります。
しかも、こういう予測に限って妙に具体的です。
人間の脳はもう少し都合よくできていてもよさそうですが、失敗した場面はなかなか忘れてくれません。
そして、
「明日はどうしたらいいんだろう」
と考える。
そんな夜に、新しい支援方法を10個覚える必要はないと思っています。
明日、一つだけ見てみる。
「あの子、どんな時ならできている?」
今日は、そんな話です。
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「できない」は、たぶん間違っていない
例えば、こんな相談を受けることがあります。
「この子、お集まりや活動では、指示もお話もほんと聞いてくれません……」
実際に見てみると、確かに聞いていない。
他の子を見ている。
玩具を触っている。
席を離れる。
先生が話していても、別のことをしている。
だから、
「集団では話を聞けない」
という評価自体は、たぶん間違っていません。
でも、話を聞いていくと、
「1対1だったら、結構聞けるんですけどね」
と続くことがあります。
ここが大事な情報です。
「なるほど。それなら個別で対応しましょう」
一応、特性に配慮した支援にはなりますよね。
実際、個別にすることで本人も支援者も楽になることがあります。
それで本人の生活上の問題が解決するなら、それも一つの選択肢です。
でも、集団生活を避け続けるわけにはいかないのであれば、そこで終わるわけにはいきません。
1対1で「できる」理由を探して、集団でも「できる」方略へ昇華する必要がある。
私は、そんな使命感で子どもの「できる条件」を見ています。
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1対1になった時、実はいろんなものが変わっている
集団から1対1になった。
変わったのは「人数」だけでしょうか。
周囲の子どもが減った。
他児の声や生活音が減った。
目に入る物が減った。
一斉指示ではなく、自分に向けて話してもらえるようになった。
支援者との距離が近くなった。
声量や話す速度が変わった。
言葉が短くなった。
身振りや指差しが増えた。
本人の反応に合わせて、支援者が話すタイミングまで調整していた。
もしかすると、
「1対1」という一つの変更に見えて、かなり多くの条件が同時に変わっています。
だから、
「1対1なら聞ける」は答えではありません。
比較できる条件が一つ見つかった状態です。
ここから、できない時とできる時の違いを探します。
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「できるところ(強み)を見ましょう」という話だけではない
「できないところではなく、できるところ、強みを見ましょう」
もちろん大切です。
でも、私が「できる条件」を見る理由は、それだけではありません。
できた。
よかった。
褒めよう。
その一歩先で、
「さっきと何が違った?」
と考える。
「できた」という事実は、その子の強みであると同時に、その子ができるために必要な条件を探る手がかりにもなります。
集団では難しい。
1対1ならできる。
では、何が違う?
騒音?
視覚刺激?
指示の出し方?
情報量?
支援者との距離?
活動への興味?
一つの違いだけで説明できるとは限りません。
だから、いくつかの可能性を持っておきます。
そして、
「もしこれが関係しているなら、この条件を変えたら行動も変わるはず」
と考えてみる。
ここから、支援が少し違うものになります。
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例えば、「周囲の音」が関係していると考えたら
集団では指示が入りにくい。
静かな1対1なら入りやすい。
そこで、
「周囲の音が多いと、必要な音声に注意を向けにくくなるのでは?」
と仮説を立てたとします。
だったら、いきなり集団をなくす必要はありません。
集団という条件を残したまま、話す位置を変える。
周囲が比較的静かなタイミングで伝える。
本人に向けていることが分かりやすい伝え方にする。
そうやって条件を少し変えて、子どものふるまいを見ることができます。
それで指示が入りやすくなった。
なら、
聴取環境や注意の選択が関係していた可能性が少し高くなる。
逆に、ほとんど変わらなかった。
それなら、
「刺激が多いから集中できない」
だけでは説明できないのかもしれない。
言葉の理解?
情報量?
保持する負荷?
活動への興味?
別の可能性を考える。
仮説が外れた。
残念。
……ではありません。
一つ違うことが分かった。
支援の現場では、これもかなり大事な情報です。
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支援がうまくいかなかった時ほど、燃える
タイマーを使った。
切り替えられなかった。
絵カードを使った。
変わらなかった。
短く声をかけた。
やっぱり聞かなかった。
もちろん困ります。
でも、私はこういう時、ちょっと燃えます。
「なるほど。じゃあ、この見立てだけでは説明できないのか」
となるからです。
例えば、
「次に何が起こるか分からないから、切り替えにくいのでは?」
と考えてタイマーを使った。
それでも行動が変わらなかった。
なら、
予測できないことだけでは、この行動を十分に説明できないのかもしれない。
という情報が増えています。
支援がうまくいかなかったことと、
何も分からなかったことは、
同じではありません。
支援方法にも、多少は空気を読んで効いてほしいところですが、子どもはそんなに都合よくこちらの仮説に付き合ってくれません。
だから面白い。
予想と違うふるまいが出たら、もう一度考える。
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「うまくいった支援」ほど疑う
逆に、うまくいった時ほど私は疑います。
静かな場所に移動したら、課題ができた。
大人が横についたら、片付けられた。
絵カードを出したら、動けた。
素晴らしい。
で、
何が効いたんでしょう。
例えば、大人が横についた時。
単に「大人がいた」だけではないかもしれません。
言葉が短くなった。
指差しが増えた。
次にすることを具体的に示した。
本人が動いた瞬間にフィードバックした。
周囲の刺激を自然に遮っていた。
一つの支援をしたつもりでも、実際には複数の条件が変わっていることがあります。
だから、
支援が効いたことと、なぜ効いたかが分かったことは別です。
「これが効いた!」
とすぐに正解認定すると、その子が別の場面でできなかった時に困ります。
成功した時も、失敗した時も、
「何が変わった?」
を見る。
それが次の支援につながります。
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振り返ると、私はだいたいこんなことを考えています
ここまでの話を並べると、私が子どもを見ながら考えていることは、だいたいこんな流れになります。
何が起きている?
↓
どんな時に難しい?
↓
どんな時ならできる?
↓
できる時と、できない時で何が違う?
↓
その違いを説明できる可能性は何がある?
↓
一つ条件を変えてみる
↓
子どものふるまいは変わった?
↓
予想と違ったら、考え直す
別に、この順番を毎回頭の中で唱えているわけではありません。
そんなことをしていたら、子どもはとっくに次の遊びへ行っています。
でも振り返ってみると、私はかなり頻繁にこの往復をしています。

この図で伝えたいのは、理論から一方的に支援方法を導き出すことではありません。
子どものふるまい、支援者の観察や思考、そして理論や研究知見。
それらを行き来しながら、今、この子にとってより良さそうな方略を考える。
そして実際にやってみて、子どものふるまいからまた考え直す。
その繰り返しです。
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理論は、この途中で借りてくる
ここで初めて、理論や研究が役に立ちます。
注意の問題かもしれない。
ワーキングメモリが関係しているかもしれない。
言語理解かもしれない。
行動とその前後の環境との関係を見た方がいいかもしれない。
活動そのものの意味や価値を考えた方がいいかもしれない。
そこで、認知科学、発達理論、ABA、作業療法の理論などから、目の前の現象を説明するために使えそうなものを借りてきます。
私にとって、
理論は答えではなく、現象を見るための道具です。
理論を知っていると、見える可能性は増えます。
でも、理論を知った瞬間、世の中の子どもが全部その理論で説明できるように見えてしまうこともあります。
専門職には、なかなか便利な罠です。
だから、
理論に子どもを合わせるのではなく、子どものふるまいを説明するために理論を使う。
そして、その説明が妥当なのかを、もう一度子どものふるまいで確かめる。
私はそこを大切にしています。
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実は、これまでの記事でも同じことをしていました
これまでnoteでは、
「話を聞いていない」
「切り替えられない」
「癇癪」
について書いてきました。
テーマは違います。
でも、考え方はかなり似ています。
「話を聞いていない」
集団では聞けない。
でも、1対1なら聞ける。
では、
どの過程で情報が落ちてしまっている?
環境や注意、情報量、言語理解などに分けて考えました。

「切り替えられない」
遊びから片付けには移りにくい。
でも、給食から外遊びならすぐ動ける。
一人では始めない。
でも、大人が最初の一つを一緒にすると続けられる。
だから、
「何が加わるとできる?」
を考えました。

「癇癪」
片付けでは起きる。
でも、毎回ではない。
相手によっても違う。
そこで、
何がきっかけだった?
実際に何をした?
その行動によって、本人を取り巻くどんな事象が変化している?
と、行動の前後まで見る範囲を広げました。

違う現象を扱っていますが、共通しているのは、
「この子は○○ができない」で説明を終わらせないこと。
できる時と、できない時を見る。
その違いから仮説をつくる。
条件を少し変えてみる。
そして、もう一度子どものふるまいを見る。
私はそんなふうに支援を考えています。
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明日、支援方法を増やさなくてもいい
明日、その子の問題を全部解決しなくてもいいと思います。
新しい支援方法を10個覚えて出勤する必要もありません。
もし一つだけ見るなら、
「あの子、どんな時ならできている?」
を探してみる。
見つかったら、
「できない時と、何が違う?」
と少し考えてみる。
すぐに答えが出なくてもいい。
むしろ、そんなに簡単に答えが出るなら、こちらも17年もこの仕事で悩んでいません。
でも、昨日まで、
「この子はできない」
としか見えていなかったものに、
「この条件なら、できる」
が一つ加わる。
そこから、
「じゃあ、この『できる』を別の場面でも引き出すには?」
という次の問いが生まれます。
1対1でできることを、集団へ。
大人とならできることを、少しずつ自分で。
特定の場面でできることを、生活の中へ。
「できる条件」を見つけることがゴールではありません。
そこで何がその子の「できる」を支えているのかを考えて、必要な環境でも使える支援へ変えていく。
私はそのために、子どもの「できる条件」を探しています。
明日はまず、一つ見つけるところからでいいと思います。
このnoteで考えていきたいこと
「できない」という評価から、実際のふるまいへ戻る。
できる時と、できない時の違いを見る。
そこから仮説をつくる。
支援して、また子どもを見る。
この考え方は、「聞く」「切り替える」「癇癪」といった個別のテーマだけのものではありません。
私が子どもと関わる時に、ずっと大切にしている臨床の見方そのものです。
なぜこんな見方をするようになったのか。
どんな経験が、その土台にあるのか。
このnoteでこれから何を書いていきたいのか。
最初の記事にまとめています。

手立てを増やす前に、状況を整理する
「何をすればいいんだろう」と迷ったとき、必ずしも新しい方法が必要とは限りません。
一度、何が起きているのかを整理するだけで、次に見る場所が変わることがあります。
そんな整理を一緒に行うオンライン相談を始めました。

関連記事
まだやったことがないのに「できない」と言うとき、その子にはどんな未来が見えているのか。未来予測という視点から考えました。

