「声をかけないと動かない」から、自分で動けるまで―“できる”を子ども自身のものにする支援
「帰りの準備、声をかければ全部できるんです」
「カバン出して」
「水筒入れて」
「次は連絡帳だよ」
一つずつ伝えれば、ちゃんとできる。
でも、声をかけずに待っていると動かない。
結局、今日も最初から最後まで大人が声をかける。
こういう場面、支援の現場では珍しくありません。
そして、
「できるはずなんですけどね」
「毎回言わないと動かないんですよね」
という話になっていく。
ここで少し考えたくなります。
私たちは、何をもってこの子を「できる」と判断しているのでしょう。
一つずつ具体的に伝えればできる。
それは確かに、その子が持っている力です。
ただ、その「できた」には、
大人がそばにいること
次にすることを言葉で示してもらえること
いつもの場所や、いつもの流れであること
も含まれています。
だとすれば、
「この子は帰りの準備ができる」
だけでなく、
「大人が次の行動を具体的に伝える、いつもの帰りの場面ならできる」
と捉えた方が、今起きていることをもう少し正確に表せそうです。
すると次に知りたくなるのは、
「大人が加わることで、何が変わっているんだろう?」
です。
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「できた」を、もう少し分解してみる
同じ「帰りの準備ができた」でも、成立している条件はさまざまです。
大人がそばにいる。
次にすることを教えてもらえる。
必要な物が見える場所にある。
いつも同じ順番で準備している。
周囲の子どもたちも帰りの準備を始めている。
予定表を見れば、次にすることが分かる。
こうして見ると、
「できる/できない」は、その子の能力だけで決まっているわけではない
ことが見えてきます。
大切なのは、
「できた。じゃあ、この子はもうできる」
で終わることではなく、
「何があることで、できた?」
まで見ることです。
この「できる/できない」を、子どもだけの能力ではなく条件との関係から見る考え方については、こちらの記事でも詳しく書いています。
ここが分かれば、その条件を少し変えながら、次に必要な支援を考えられます。
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大人とならできる。大人が加わることで何が変わっている?
例えば、一人では帰りの準備を始めない。
でも、大人が横に来るとできる。
この時、
「大人が必要な子」
とだけ考えてしまうと、あまり先へ進めません。
大人が加わったことで、実際には何が変わったのでしょう。
次に何をするかという情報が加わったのかもしれない。
順番を整理してもらうことで、見通しが持てたのかもしれない。
声をかけられることが、行動を始めるきっかけになっているのかもしれない。
分からなくなった時に確認できることで、安心して進められるのかもしれない。
あるいは、毎回大人から声をかけられてきたことで、大人の声そのものが行動開始の手がかりになっている可能性もあります。
どれなのかは、この場面だけでは分かりません。
そして、本人にとって今の状況がどう見えていて、何を手がかりとして捉えているのかも、こちらから簡単に決めつけることはできません。
だから私は、
援助の条件を少し変えて、子どものふるまいを見てみます。
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「次は連絡帳だよ」から、「次は何だった?」へ
例えば、帰りの準備でいつも、
「次は連絡帳だよ」
と伝えているとします。
この声かけで安定して行動できるようになってきた。
そこで、
「次は何だった?」
に変えてみる。
一見すると、どちらも大人からの声かけです。
でも、子どもに求められることは同じではありません。
「次は連絡帳だよ」では、次にする行動そのものを大人が提示しています。
一方、
「次は何だった?」
では、次にすることを本人側で想起する必要があります。
ABAでは、行動が起こりやすくなるように加える手助けを「プロンプト」と呼びます。
言葉で答えを伝える、指差しをする、見本を見せる、といった援助です。
ここで私が大事だと思うのは、
同じ「声かけ」に見えても、大人が補っているものは違う
ということです。
だから、声かけの量だけではなく、何を大人が補い、何を本人に委ねているのかも変えてみます。
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さらに待ってみると、何が見える?
「次は何だった?」
で思い出せるようになってきた。
なら、今度はすぐに聞かず、少し待ってみる。
すると、大人が次の行動を提示していない時間に、子どもが何をするのかが見えてきます。
予定表を見るかもしれない。
周囲の子どもを見るかもしれない。
机の上に置いてある物を見るかもしれない。
しばらく考えて、自分から連絡帳を取りに行くかもしれない。
あるいは、何も起こらないかもしれません。
ここで、
「ほら、やっぱり声をかけないとできない」
と結論づけるのは少し早い。
むしろ知りたいのは、
声かけを変えたことで、何が難しくなったのか。
次にすることを思い出せなかった?
必要な情報がどこにあるのか分からなかった?
周囲に手がかりはあったけれど、それを使えなかった?
何をするかは分かっていたけれど、始められなかった?
また仮説が分かれていきます。
「できない」という一つの結果から、どこで難しくなっているのかを分けて考える。この見方は、「切り替えられない」を考えた時にも使いました。

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「待ったらできなかった」は、失敗ではない
ここは大事なところです。
待てば、自分からできるようになる。
そういう話ではありません。
待っても動き始めないことは当然あります。
その場合にも、いくつもの可能性が残ります。
一連の行動がまだ十分に獲得されていない。
次にすることを思い出す負荷が高い。
周囲から必要な情報を見つけることが難しい。
何をすればよいか分かっていても、最初の一歩を始めにくい。
失敗への不安がある。
今の活動を終えて帰りの準備をすることに、本人なりの意味を感じにくい。
だから、
「声をかけないこと」が良い支援なのではありません。
援助を変えた時に、本人の行為がどう変化するのかを見る。
その変化から、
「この子が自分で動くためには、何が必要なんだろう?」
と仮説を更新していきます。
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手助けを減らせば、「自分でできる」になる?
ここで、一度「自分でできる」という言葉も考えてみたいと思います。
例えば、大人の援助が、
100
↓
80
↓
50
↓
20
↓
0
になれば自立。
確かに、援助を少しずつ減らしていくことが必要な場面はあります。
ABAでは、できるようになるにつれてプロンプトを段階的に変えたり減らしたりすることを「プロンプト・フェーディング」と呼びます。
ただ、私は、
「どれだけ援助を減らせたか」だけでは、その子の変化を十分に捉えられない
と思っています。
見たいのは、
「何を手がかりに、自分で動くようになったのか」
です。
最初は、
「次は連絡帳だよ」
という大人の具体的な指示で動いていた。
それが、
「次は何だった?」
という問いから、自分で思い出せるようになった。
さらに、
予定表を見て動くようになった。
周囲の子どもが帰りの準備を始めたことに気づいて、自分も動き始めた。
あるいは、途中で分からなくなった時に、
「次、何する?」
と自分から大人に確認できるようになった。
ここには単純な、
援助あり → 援助なし
だけでは表せない変化があります。
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大人の声から、環境の中にある手がかりへ
最初は、
「次は連絡帳だよ」
という大人の声があって、連絡帳を入れる。
でも、帰り支度を繰り返す中で、
予定表を見る。
カバンの中を見る。
周囲の子どもが動き始めたことに気づく。
帰る時間になったことに気づく。
そんな環境の中にある情報を、自分の行動につなげるようになるかもしれません。
ABAでは、こうした変化を考える時に「刺激性制御の転移」という考え方があります。
少し難しい名前ですが、ここでは、
大人の声かけによって起きていた行動が、予定表やその場の状況など、別の適切な手がかりによって起こるようになること
くらいに考えてください。
ただ、私は子どもの側からもこの変化を見たいと思っています。
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子ども自身が、環境の中から「使える情報」を見つけていく
帰り支度を何度も経験する中で、
「この時間になった」
「周りが帰る準備を始めた」
「予定表はこうなっている」
「カバンにはこれを入れる」
といった環境の情報が、少しずつ「帰り支度をする」という自分の行為と結びついていく。
発達の側から見るなら、こうした変化は、子どもが環境から得られる情報を自分の持っている行為の枠組みに取り込みながら、状況を捉えていく過程とも考えられます。
ピアジェの言葉を借りれば、同化という考え方が一つの補助線になります。
ただし、いつも同じ環境とは限りません。
帰り支度の順番が変わる。
いつもの場所に連絡帳がない。
予定が急に変更される。
そんな時には、これまでのやり方だけでは対応できないこともあります。
そこで、環境に合わせて自分の捉え方や行為の仕方そのものを変えていく。
こちらは調節という考え方から見ることもできます。
つまり、
大人の声がなくなったことそのものが重要なのではありません。
それまで大人が示していた情報を、
子ども自身が環境の中から見つけ、自分の行為につなげられるようになっているか。
そして状況が変わった時には、
使える情報を探し直し、自分の行為を組み替えられるか。
私は、こちらの変化を見たいと思っています。
ABAなら「どんな刺激が行動の手がかりになっているか」を細かく見ることができます。
発達の視点からなら、「子どもが環境をどう捉え、その情報を自分の行為へ取り込んでいるか」を見ることができます。
どちらか一つが正解という話ではありません。
同じ子どものふるまいを、違う角度から見るための道具です。
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大人と一緒だからできることを、発達の可能性として見る
さらに、もう一つ別の角度から考えてみます。
ヴィゴツキーの最近接発達領域、いわゆるZPDでは、一人ではまだ難しくても、他者からの適切な援助があれば可能になる領域を、発達を考えるうえで重要なものとして捉えます。
そう考えると、
「大人がいないとできない」
という状態も、
「まだ一人ではできない」
だけで終わらせる必要はありません。
むしろ、
「大人との関わりの中なら、どこまでできる?」
を見る。
そして、
「その時、大人は何を補っている?」
を考える。
そこから、次の支援を探せます。
今回参考にした人見眞理氏の脳性麻痺児への臨床論でも、理論を固定された答えとして扱うのではなく、実践を通して仮説や評価を吟味し、方法そのものが本人の「展開可能性」に向いているかを検討する姿勢が示されています。
また症例4では、「知らない・できない・わからない」状態からでも展開できる経験と、「最近接領域を外さない」ことの必要性が述べられています。
もちろん、これは脳性麻痺児を対象とした臨床論です。
そのまま、すべての発達支援に一般化できる根拠ではありません。
ただ、
今見えている「できる/できない」だけでなく、条件を変えた時に本人の行為がどう展開するのかを見る。
この視点は、私が支援を考える時にも大切にしています。
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「できた?」より、「何を使ってできた?」
帰りの準備を、一人で最後までできた。
それはもちろん大切です。
でも、そこで終わらずに見てみます。
何を使ってできた?
大人の言葉?
予定表?
周囲の動き?
いつものルーティン?
自分で次の行動を思い出した?
途中で分からなくなった時、自分から確認した?
ここまで見ると、
「できる/できない」
だけで見ていた時より、その子の現在地が細かく見えてきます。
そして、次にどんな支援をすればよいかも変わります。
予定表を自分から確認できるようになったなら、毎回大人が次の行動を伝える必要は減るかもしれない。
一方で、予定が変わると動けなくなるなら、今度は予定変更への対応を一緒に考える必要があるかもしれない。
自分から大人に確認できるなら、
「援助を求める」という方法を本人自身が使えるようになった
とも考えられます。
だから私は、
援助がゼロになったかどうかだけでは、発達を見ません。
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支援は、「できる」をつくるだけでなく、見立てを確かめるためにも使える
支援がうまくいかなかった。
その時、
「この方法はダメだった」
だけで終わらせるのは、少しもったいないと思っています。
例えば、
「次は何だった?」
と聞いても思い出せなかった。
なら、
「具体的な指示を減らせば、自分で思い出せる」
という見立ては修正する必要があります。
予定表を置いたら、自分から確認して動けるようになった。
なら、
「次の行動を覚えておくことより、必要な情報へ自分でアクセスできることが重要なのかもしれない」
という新しい仮説が生まれる。
支援を変える。
子どものふるまいを見る。
予想と違えば、考え直す。
また条件を変える。
支援は、子どもを成功させるためだけでなく、私たちの見立てを確かめるためにも使えます。
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「できる」を、子ども自身のものにする
「声をかければできるんです」
その言葉を聞いた時。
私は、
「じゃあ、声かけを減らしましょう」
とはすぐには考えません。
まず、
その声かけによって、何が補われている?
を見ます。
次にすること?
順番?
開始のきっかけ?
見通し?
安心?
そして、援助の条件を少し変えてみる。
「次は連絡帳だよ」
から
「次は何だった?」
へ。
そこから、少し待つ。
すると、
子どもが何を見て、
何を思い出して、
何を手がかりに、
次の行為を始めようとしているのかが少しずつ見えてきます。
もちろん、うまくいかないこともあります。
その時は、また援助を戻せばいい。
そして、どこまで戻せば再びできるのかを見る。
大切なのは、
大人の援助をなくすことではありません。
大人との関係の中で成立していた「できる」が、
少しずつ、
本人自身が環境の中から使える情報を見つけ、自分の行為につなげられる「できる」へ変わっていくこと。
予定表を使ってもいい。
周囲を見てもいい。
自分で思い出してもいい。
分からなければ、人に聞いてもいい。
そして、いつもと違う状況なら、また使える手がかりを探し直せばいい。
その子が、自分と環境との関わりの中で使える方法を増やしていく。
私は、それを、
「できる」が子ども自身のものになっていく過程
として見ています。
「できた」の、その先を見る
声をかけたらできた。
予定表を見たらできた。
周囲の子どもを見て、自分から動けた。
では、その時、
この子は何を手がかりにして、どうやって「できた」にたどり着いたのでしょう。
同じ正解、同じ「できた」でも、そこに至る過程は同じとは限りません。
この問いを、個別療育の認知課題からもう少し掘り下げました。

「何をするか」の前に、「何が起きているか」を見る
支援でも事業所運営でも、手立てを増やす前に、今起きていることを整理すると次の一手が変わることがあります。
管理者・児発管・リーダーの方向けに、問題を一緒に整理するオンライン相談をβ版で始めました。

参考文献・参考資料
この記事では、特定の理論をそのまま子どもに当てはめるのではなく、目の前で起きていることを考えるための「補助線」として、以下の文献を参考にしました。
森岡 周『ピアジェ・思考の誕生――ニューロサイエンスと哲学から読み直すリハビリテーションの新しい地平』協同医書出版社,2025
子どもが環境から得た情報を、それまでに形成してきたシェマへ取り込む「同化」と、環境とのズレに応じてシェマそのものを変化させる「調節」を考える際に参照しました。
柴田義松『ヴィゴツキー入門』子どもの未来社,2006
一人ではまだ難しいことと、他者からの援助があれば可能になることの間を、発達の可能性として捉える「最近接発達領域(ZPD)」を考える際に参照しました。
人見眞理「脳性麻痺のリハビリテーション――身体の復権のために――」『東洋大学「エコ・フィロソフィ」研究』Vol.3
理論を固定された正解として扱うのではなく、実践を通して仮説や評価を更新していくこと、そして支援方法を本人の「展開可能性」に照らして検討するという臨床的な考え方を参照しました。
なお、脳性麻痺児を対象とした臨床論であり、この記事で扱った発達支援場面へそのまま一般化できるものではありません。ここでは、臨床推論のあり方を考えるための参考資料として位置づけています。
東洋大学公開PDF「脳性麻痺のリハビリテーション――身体の復権のために――」を読む
