自分の舟は、自分で漕ぐ。でも、一人ではない|パートナーとの距離感|舟の語り#7🐯🛶
一人の方が、楽なのかもしれない。
誰かに合わせる必要もないし、行き先も自分で決められる。
それでも私たちは、ときに誰かと一緒に生きることを選びます。
それは、なぜなのでしょうか。
今夜、男が船頭に尋ねたのは、そんな問いでした。
湖を渡る風が、いつもより少し強かった。
男は舟のへさきに座り、遠くの水面を眺めていた。
船頭が櫂を入れるたび、水面に小さな波が広がっていった。
しばらくして、男が口を開く。
「船頭さん。」
「今日は何だ。」
「一人で生きるのと、誰かと生きるのって、どちらがいいんでしょうね。」
船頭は何も答えず、櫂を動かした。
男は続ける。
「一人なら自由じゃないですか。」
「自分の好きなところへ行けるし、好きな速さで進める。」
「誰かに合わせなくてもいい。」
船頭の三度笠の下で、虎の耳がわずかに動いた。
「そうだな。」
「でも……」
男は湖の向こうを見る。
「ずっと一人だと、それはそれで大変なのかなって。」
風が少し強くなった。
舟が小さく揺れる。
男は思わず舟べりに手をついた。
船頭は変わらず櫂を動かしている。
「こういう時も、一人なら全部自分で何とかしないといけませんし。」
「疲れていても、自分が漕がなければ舟は進まない。」
「どこへ行けばいいのか分からなくなっても、自分で決めないといけない。」
船頭はしばらく黙っていた。
やがて、湖の先を顎で示した。
「見てみろ。」
男が目を向ける。
少し離れたところを、二艘の小舟が進んでいた。
同じ方向へ向かっている。
けれど、ぴったり横に並んでいるわけではない。
片方が少し先へ出れば、もう片方があとを追う。
近づいたり、離れたりしながら、それでも二艘は同じ方向へ進んでいた。
「二人なら、楽なんでしょうか。」
船頭は答えなかった。
その間にも、二艘の舟は進んでいく。
やがて片方の舟の櫂が止まった。
漕いでいた者が、腕を休めているようだった。
もう一艘は少しだけ速度を落とした。
先へ行くこともできるはずなのに、その舟は離れなかった。
男はその様子を眺める。
「……待ってる。」
船頭が静かに言った。
「そう見えるか。」
「はい。」
しばらくすると、休んでいた方が再び櫂を持った。
二艘の舟は、また並んで進み始める。
男は少し考えてから言った。
「でも、二人になったらなったで、大変そうですね。」
「どうしてだ。」
「相手には相手の速さも、行きたい方角もありますから。」
「それなら、一人の方が楽じゃないですか。」
船頭が静かに返す。
「楽であることと、豊かであることは同じか。」
男は少し考え、先ほどの二艘を見る。
「無理に合わせようとしたら、どちらかが疲れそうです。」
「だからといって、自分の好きなように進んで、置いていくのも違う。」
言葉にしながら、男は首を傾げた。
「難しいですね。」
「そうだな。」
船頭はそれだけ答えた。
舟は静かに進んでいく。
突然、横風が吹いた。
一艘が大きく流され、二艘の距離が開いていく。
先を進んでいた舟が、櫂を止めた。
そして少しずつ、流された舟の方へ向きを変える。
「……戻るんだ。」
男が呟いた。
「先へ行けるのに。」
男は、それ以上何も言わず二艘の舟を見つめた。
しばらく、その光景を眺めていた。
やがて男が口を開く。
「もしかして……。」
船頭は櫂を動かしたまま待っている。
「二人で進むって、ずっと同じ速さで漕ぐことじゃないのかもしれませんね。」
片方が少し先に進む日もある。
片方が疲れて、立ち止まる日もある。
違う景色に目を奪われることもある。
それでも、ときどき隣を見る。
そこに相手の舟があることを確かめる。
離れすぎたら少し待つ。
自分が遅れたなら、また櫂を握る。
「相手に漕いでもらうんじゃなくて……。」
男は言葉を探した。
「自分の舟は、自分で漕ぐ。」
「でも、一人ではない。」
船頭がわずかに笑った。
男も湖の先を見ながら笑う。
「なんだか、そのくらいがちょうどいい気がします。」
二艘の舟は、やがて暮れゆく湖の向こうへ小さくなっていった。
一人で舟を漕げること。
その力を失わないまま、隣に誰かがいること。
男は、自分の隣に浮かぶ舟を思い浮かべた。
「船頭さん。」
「何だ。」
「いつか、同じ舟に乗ることもあるんでしょうか。」
船頭は少しだけ男を見る。
そして再び、湖の先へ目を向けた。
「それは、また別の話だ。」
櫂が水をかく。
その音だけが、静かな湖に響いていた。
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自立することは、一人で生きることではない 船頭の道しるべ#7
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