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「矜ころも、春ころも」#10

画像: 倧東京 地䞋鉄道うえの駅 胃病良薬倪田胃酞本舗特補 昭和初期 絵葉曞 䜜者所有



 千䜏遊郭でも、戊時䞋の圱響は倧きかった。

 か぀お賑わいをみせおいた六十五軒ほどあった楌が、前幎䞀九四䞉幎には半枛し䞉十二軒ずなっおいた。

 料理屋や楌は機械䌚瀟やゎム䌚瀟員の寮に倉化し、朝鮮人城甚工の工員寮になる楌もあった。十軒ほどの業者は、矀銬県の䞭島飛行機工堎の慰安所ぞ出匵したずいう。

 四十四幎に入るずいっそう転廃は進み、二十五軒の楌が営業するのみずなっおしたった。

 しかし遣手や䞋新はもんぺ姿ずなったが、嚌劓たちは敗戊たで涌やかな裲襠をはおい、意地を通し続けた。


 垫走に入り、ここ千寿楌でも決定的な通達を受け、楌内は煀払いならぬ荷物の準備や家具の匕っ越しで慌ただしい。
 嚌劓たちももんぺ姿ずなり、姐さん被りに叩き持ち、廊䞋を軜やかに行ったりきたりしおいる。


「あたしゃ千䜏に居残るよ。ずっずここで生きおきたんだ。今曎山奥ぞ匕っ蟌めるかっおんだ」


 遣手婆あのおシンは、垃団を片付けおいる女郎たちに蚀っお聞かせた。


「『䞍景気戊争でも、腹が立぀のずたらが立぀のは倉わりたせん』っおね。食うのず同じ、この生業は必芁悪なのさ。関屋に家を芋぀けたから、たたこっちに垰っおきた時はいらっしゃいよ」


 「䜏所教えお」ずいう劓らに、畳玙に䜏凊を曞いおいた時、倧玄関にい぀の間にか䞭折れ垜ず、錆色のコヌト姿の男性が立っおいた。


「ああ、お客さん、申し蚳ございたせん。今回お䞊のお達しで    」


ず蚀いかけおいたずころ、男は垜子を取った。


「あれ    」


 婆あは意倖な男の正䜓に、気の抜けた声が出た。




 「產婆居リマス。必芁ナ時ハゎ盞談䞋サむ」


 玄関の改札の䞋に貌り玙をしお十日以䞊経った。

 しかし䞀向に盞談に来る者もいなければ、玙を芋る者もいなかった。


「うヌん  そうかあ。そうだよねえ    」


 柟は今日も圓おもなくガヌれや産着、玐を確認した埌、掗濯物を干し、瞁偎で叩きの朚で瓶を぀いお粟米をする。
 産婆のお産道具、トラりベ胎児心音聎蚺噚やカテヌテル、クレンメ切れた䌚陰を留める噚具も持っおいない。戊前なら支絊しお貰えただろうが、今は鉄もゎムも䟛出されお手に入らない。これは臎呜的だ。

 逆子ならお腹の䞭で返すこずは習ったけれど、道具が必芁なお産だずお手䞊げである。

 先月の䞋旬から、郜内ぞの空襲が増えおきた。
 有り難いこずに先週の日曜日、埌茩の憲兵さん䞉人がやっおきお庭に防空壕を䌊織さんず男手四人でいずも速やかに掘っおくれた。


「奥さん、ここはもずもず䜎湿地垯ですから、氎が壕に溜たっおしたいたす。頻繁に氎を出しおくださいね」


ず蚀われた通り、確かに氎が溜たっおいる。


 空襲が増えるに぀れ、䌊織は泊たりの仕事も倚くなった。
 人手が足りない被灜地の揎助に向かい、ぐったり疲れお翌日の午埌に垰宅し䞀眠りした埌、すぐに出勀しおいる。被灜埌の焌死者を集め身元を確認しお匕取りにきおもらったり、治安譊備、亀通敎備ずやるこずがどんどん増えおゆくらしい。


 䞀床倜に柟が䞀人で寝おいる時に、空襲譊報のサむレンが来た時がある。
頭巟を被り、非垞袋ず産婆の本を持っお䞀目散に壕ぞず駆け蟌んだが、冷たい氎が湧き出お足銖たで浞かっおしたった。

 譊報が解かれお、お颚呂に入りたい気持ちがいっぱいだったが、煙を出すず敵機に芋぀かる可胜性があり、芋回りに厳しく泚意される。

 火鉢にブルブル震える足を眮いお暖をずった。

 柟は孀独には匷い方だが、この時ばかりは旊那様がいおくれたら、ず心现さでいっぱいだった。


 二時間ほど瓶を぀き続け、やっず粟米が出来る。


 柟は匱気になっおいた。
 やはり自分には産婆仕事は早いのではないか。
 病院で実技を受けおいたのは四幎も前だ。

「こんにちはぁ」

ず声がかかっお、「はぁい」ず胞を膚らたせお玄関ぞ走るも、配絊か回芧板のどちらかである。


 今日はお豆腐が䞀䞁配絊で買えた。
 隣近所の奥様たちも、やはり柟に察しお思うずころがあるのか立ち話をするこずもなく、すぐに垰る。


 町を歩いおいるず、

「うちの子は甲府に疎開しおねぇ」

「そりゃあいい。最近空襲が増えおきたもの」

などず、䞖間話をしおいる奥さんやおじいちゃん同士が矚たしく思う。


 なんでもないお話が出来る盞手が恋しくなるずは。
 楌にいた時はい぀も誰かがいお、誰かが誰かを劬んでいたり、くだらない䌚話で盛り䞊がったり、時には取っ組み合いの喧嘩が始たったりで気が䌑たるこずがなかった。䞀人になりたいず垞々感じおいた。

 
 なのに、今や日々慌ただしく隒ぎの䞭で過ぎる倜が愛おしくなっおいた。男の盞手さえなければ、振り返るず埮笑たしい思い出が倚い。


「結局どこに行ったっお、人間は満足せんのやねえ。やから、今が尊いんやろう」


 淋しい自分を励たすように呟いたその時。


 ふいを突かれたか、闇の釜戞が開いた。


 冷気を感じ、柟は蟺りを芋たわした。

 倩気がいい小春日和なのに、廊䞋の奥が倜の措氎のようにドス黒い。


     ギャア    

     ンギャア    


 あらゆる声の、たくさんの数の赀子の鳎き声が響き枡る。柟は党身䞀斉に鳥肌が立った。

 黒い川は柟が座っおいる廊䞋にもドクドクず波打぀ように流れ、凄たじい臭気をおびおいる。


 この臭いは    

 女の血のものだ。
 糞尿や臓噚が混じった腐敗した血液の臭い。
 りんにずっお懐かしい臭い。


 その川の䞭を幟十もの赀子が流れおいる。
 雀ほどの倧きさのものや、提灯ほどのもの、原型をずどめおいないものも  それらは皆、臍から長い瞄を出し、ふわふわず挂わせおいた。

 川のかさはどんどん増しお、柟の腹、胞から銖元たで迫っおくる。

 ああ、もうダメだ、ず柟は諊めのたたにその黒い川ぞトプン  ず浞かった。


 生枩かい枟沌の䞭ぞ委ねるず、自分もたた黒い川の䞀郚になれた気がした。


 しかし、黒い川ぞ党身浞かるず同時に、闇は瞬時に消えた。


 目を開ければ庭の竿竹に干した䞋着や手拭い、足袋がキラキラずお日様に照らされおいる長閑な光景が広がっおいた。


 柟は䞀幎前から、黒い幻圱を折々にみおしたうのだった。


「    あかん    」


 フラフラず立ち䞊がり、廊䞋を走っお玄関戞を開ける。

 衚札の䞋の貌り玙を砎り、くしゃくしゃにしお柔らかくし、厠の拭き玙に混じらせた。

 途端に自分の志が぀たらぬものに思えお、産婆孊の教科曞を抌入れにしたった。闇が消えおも、柟の身䜓は墚で塗り぀ぶされた文字のように非ざるものの劂く存圚が消えおいた。


 意識が戻ったのは、玄関の倖から若い女性の声が聞こえおきたからだ。


「こんにちはぁ」


「え    」


「こんにちはぁ、逢坂さん」


「あ  は、はぁヌい」


 玄関戞を開けるず、玠朎な顔立ちだが柔和で色癜の二十代䜍の女性が立っおいた。

 手に綺麗に畳たれた垃や济衣を䜕枚も持っおいる。


「こちらの貌り玙に、産婆さんがいらっしゃるっおあったから、家にある垃を持っおきたんです。今お産甚の綿花も䞍足しおいお、代わりに垃を䜿っおいるっお聞いお。よかったら䜿っお頂けたせんか」


 キョトン、ずしおいる柟に向かっお、続けお話した。


「赀ちゃんの産着もありたす。うちの子に䜜ったものだけど、もう倧きくなっちゃったし。あら貌り玙がないから、もう出おいっちゃいたした」


 春颚のような朗らかな笑みを携えた女性の胞には、「豊田ハナO型」ず瞫い付けられおあった。



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