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善意の安売りで地獄を見た話――僕は「良いものを安く」売ればみんな感謝してくれると思っていた

むかし僕は、「良いものを安く」売れば、人は必ず喜んでくれると思っていた。

儲けたいわけじゃない。
だから利益を削る。
誰よりも安く出す。
すると、欲しかった人に届いて、きっと感謝される。

そう信じていた。

でも、感謝されるどころか、地獄を見た。


ブログの読者と、Amazonの購入者

十年ほど前、ブログSEOの雲行きが怪しくなってきたころ、僕は生き残り策を探していた。

当時の僕は、アフィリエイトブログでそこそこ食えていた。記事は無料で読める。読んで納得した人だけが紹介リンクを踏み、その先で買ってくれたときだけ、僕に手数料が入る。ありがたいことに、クレームはほぼゼロだった。

だから僕は考えた。「無料の記事でこれだけ文句を言われずに売れるなら、薄利の物販でも大丈夫だろう」と。

今ならわかる。この時点で、もう罠に片足を突っ込んでいた。

僕は、ブログの読者とAmazonの購入者を、同じ「お客さん」だと思っていた。

でも、まるで違う生き物だった。

ブログの読者は、先に文章を読む。僕がなぜそれを薦めるのかを読む。納得した人だけがリンクを踏む。つまりブログには、強力なフィルターが一枚かかっていた。

Amazonに、それはない。購入者に見えるのは、商品、価格、レビュー、到着日、返品できるかどうか。それだけだ。

僕がどれだけ利益を削ったか。どんな気持ちで値段を下げたか。個人事業としてどこまで対応できるのか。そんなものは、何も伝わらない。

そして、伝わらない善意は、最初から無いのと同じである。

それでも僕は、海外から商品を仕入れ、ほんの少しだけ利益を乗せてAmazonに並べた。固定費のほぼかからない個人事業だからできる、薄利の商売だ。

正直、「負ける理由がない」と思っていた。

他のセラーは強気に儲けている。僕はそこまでいらない。だったらもっと安く出せる。値段で迷っていた人に届く。損することなんて、120%ない。

商売の神様がいたら、このへんで腹を抱えて笑っていたと思う。

二つの誤算

ベビー用品

最初につまずいたのは、ベビー用品だった。

他のセラーはなかなか強気の値をつけていた。だから僕はかなり利益を削って出した。値段で迷っていたお母さんに喜ばれるだろう、という目算だった。

売れ行きは、ぼちぼち。そして、しばらくして問い合わせが来た。

「しばらく使っていたんですが、包装に小さな穴があったのを思い出して、急に怖くなりました。赤ちゃん用なので心配で。梱包はもう捨ててしまって、手元にありません。どうしたらいいですか」

本当に包装に穴があったのかどうかは、この際どうでもいい。赤ちゃん用品で不安になる気持ちは、わかる。それを責める気はない。

ただ、商売として見ると、ここにはひとつの現実がある。

不安が生まれる商品には、不安に対応するコストがかかる。問い合わせに答える時間。返品を受ける手間。揉めないように頭を下げる労力。

僕はそれを、価格に1円も入れていなかった。安くすることを、親切だと思っていたからだ。

結局、揉めるのが怖かった僕は、こう返すしかなかった。

「申し訳ありません。商品はそちらで処分ください。返金します」

返金1件で、それまでの利益が、ほぼ吹き飛んだ。

電子機器

次は、電子機器だった。

これも日本のセラーは強気だったし、電子機器は僕にとって比較的わかる分野だ。目利きもできるし、価格でも勝てる。

出品後、すぐに売れた。「ほら見たことか」と、僕は少し胸を反らした。

ところが、しばらくして評価1がついた。理由は「期待していたものと違ったので」。

それだけなら、まだわかる。でも、妙だった。

そんなに不満なら、普通は返品申請があってもおかしくないはずだ。

不審に思って調べてみると、その評価1をつけた相手は、転売ヤーだった。

そのアカウントでは、僕が売った商品が、そっくりそのまま並んでいた。そして、その商品ページには、星1がついていた。

僕は、ようやく理解した。

僕にとっての「善意の値下げ」は、相手にとっては「仕入れ値の安い在庫」でしかなかった。

僕が読み違えていたこと

僕はずっと、安くすれば本当に欲しい人に届くと思っていた。

でも、安さは、本当に欲しい人だけに届くわけじゃない。

安さを「ありがたい」と受け取る人もいれば、安さを「利用しやすい」と見る人もいる。さらには、安さを「この程度の扱いでいいだろう」という、雑さの免許証にする人すらいる。

安さは、善人だけを呼ぶ魔法陣ではなかった。

安さは、ただ間口を広げる。間口を広げれば、いろんな人が入ってくる。考えてみれば当たり前の話だった。

そして僕は、もっと根本的なところを読み違えていた。

僕はずっと、「薄利か、暴利か」で考えていた。儲けたいわけじゃないから、大きく乗せず、ほんの少しだけもらう。それで買う人も喜ぶはずだ、と。

でも、買う側は、そこを見ていない。

消費者にとっての境目は、「薄利か、暴利か」じゃなく、「無料か、有料か」だった。

無料で読めるブログ記事なら、読者は気楽だ。役に立てばありがたい、合わなければ閉じればいい、金は払っていない。そこには、贈与のような気楽さがある。

でも、そこに100円でも値段がついた瞬間、関係は「贈り物」から「取引」に変わる。

そして取引になった瞬間、買った側には権利意識が生まれる。金を払ったんだから、ちゃんとしてほしい。期待と違うなら、説明してほしい。客として扱ってほしい。

それ自体は、まったく正しい。

ただ、売り手の薄利は、買い手の免責理由にはならない。こちらがどれだけ削っていようが、どれだけ善意だろうが、買い手にとっては、ただの「購入」だ。

見えない善意は、感謝されない。見えない我慢は、当然のサービスにされる。

100円でも値段がつくと、人は「客」になる。

物販だけの話じゃない

提供する側は、こう考える。これくらい安ければ気軽に楽しんでもらえる。儲けたいわけじゃないから低価格でいい。間口を広げたい。楽しい場所にしたい。

その気持ちは、痛いほどわかる。僕が、そうだったからだ。

でも、厄介なのは、「ほとんど無料みたいなもの」と思っているほど、設計が甘くなることだ。

何を提供し、何は提供しないのか。どこまで対応し、どこから先は対応しないのか。どんな振る舞いを歓迎し、どんな振る舞いは退場の対象なのか。

本当は、安くするほど、この境界線を濃く引かなければならない。

薄利多売のスーパーの社長が、よくこう言う。「お客様が喜んでくだされば、それでいいんです」と。

昔の僕は、その言葉を、普遍の法則だと思っていた。安く売って、客が喜ぶ。それで商売は回るのだ、と。

でも、あの言葉には、前提があった。

決まった返品規則があり、個別交渉をしない窓口があり、社長が客一人ずつに頭を下げずに済むだけの、仕組みがある。「仕組み化された」薄利多売なら、お客様が喜んでくれればそれでいい。社長は、その前提の上に立って、あの言葉を言っている。

社長の薄利多売には、前提があった。
僕の薄利少売には、前提がなかった。

でも、善意で安くしている人ほど、そこを曖昧にする。「まあ、わかってくれるだろう」「みんな大人なんだから、うまくやってくれるだろう」と。

だいたい、そこに罠がある。

人間の善性を前提にした設計は、善性のない人が一人入ってきた瞬間に、壊れる。

そして、場が壊れるのに、全員が荒らす必要はない。たった数人でいい。

清潔な水槽は、数滴の汚水で、水質が変わる。

だから今、僕のnoteは、こんな値付けをしている。

記事は、原則無料で出す。読んでもらえれば嬉しいし、合わなければ閉じてくれればいい。贈与だから、それでいい。

でも、過去の記事を有料にするときは、あまり安くしない。

儲けたいからじゃない。無料と有料のあいだに、昔の僕が思っていたよりずっと深い溝があると、知ってしまったからだ。

昔の僕は、「良いものを安く」すれば感謝されると信じていた。

でも、安さは、親切の表現じゃなかった。

価格は、客層を選ぶフィルターで、期待値を決める装置で、自分の仕事を守る境界線だった。

それを僕は、Amazonという塾で、ずいぶん高く教わった。

安く売ろうとして、いちばん高い授業料を払ったわけだ。

ただ、あの授業で分かったのは、値段のところまでだった。安くするほど濃く引かなければいけない、と自分で書いておきながら、その境界線を、僕はあのときまだ一本も引いていなかった。

値段の下に残った空欄が、980円ぶんになる

一つ、言い方を直しておきたい。

価格は客層を選ぶフィルターだ、と僕は書いた。あれは半分しか合っていない。フィルターというのは通すものと通さないものを決める装置だけれど、値段が決めているのは人数だけになる。誰が入ってくるかまでは、金額では選べない。強気な値をつけていた他のセラーのところにも、同じ種類の問い合わせは行っていたはずだ。値段を上げれば数は減る。でも、来る人の質が変わる保証は、どこにもない。

じゃあ何が違ったのか。値段には、値段以外のことが何も書けない、というところだ。

僕が価格に入れそこねていたのは、金額ではなく条件だった。問い合わせに答える時間も、返品を受ける手間も、揉めないように頭を下げる労力も、値上げでは回収できない。あれは、先に書いておくものだった。書いてあれば、起きたときに揉めごとにならない。書いていないから、毎回その場で、怖がりながら決めることになる。

だから無料部分でいちばん効くのは、たぶん最後の四つの問いになる。何を提供し、何は提供しないのか。どこまで対応し、どこから先は対応しないのか。どんな振る舞いを歓迎し、どんな振る舞いは退場の対象なのか。

ただ、あの四つは、並べた順番のままでは書けない。頭から埋めようとすると、たいてい一つ目で止まる。

梱包を処分されたあとの状態については、確認できません。

あのとき、これが商品ページのどこかに書いてあれば、僕は怖がらずに済んでいた。「無理なお願いはご遠慮ください」の丁寧な言い換えに見えるかもしれないけれど、働きはまったく違う。読んだ人と僕が、同じ場面で同じ結論に行き着く。そこが違うだけで、あの問い合わせは揉めごとではなく、ただの確認で終わっていた。

無料部分で、僕は「過去の記事を有料にするときは、あまり安くしない」と書いた。その値段が980円になる。安く出せば、書いていない部分を全部こちらが引き受けることになる——それを一度やって、返金一件でその月の利益が飛んだ。同じ判断を、この記事にも通してある。

あいだに誰かが入っている人は、ここで閉じて大丈夫だ。窓口も、返品の規則も、もう誰かが書いている。

  • 会社や事務局を通してしか出していない人。条件を書き足す欄が、そもそも自分の手元にない

  • プラットフォームの規約が、そのまま自分の規約になっている人。書き足せる余地が小さいので、効きも小さい

  • 出しているものが一つで、相手も一人しかいない人。毎回その場で決めたほうが早い

判断の材料になるのは、揉めた回数じゃない。揉めたあとに、どこかへ一行でも書き足したかどうかだ。書き足していないなら、次も同じ形で来る。

  • 一度、こちらが全部かぶって終わらせたことがある。相手を責める気はないのに、あれ以来その種類の依頼だけ受けたくない

  • 同じ質問に、同じ説明を、三人目に向かって書いている

  • 値段を上げたのに、面倒な問い合わせは減らなかった

  • 無料で出しているものにまで、期日や修正を求められることがある

出す前に揉めやすさを見積もる見方と、あの四つを埋める順番と、毎回考えなくて済ませるための置き場と、揉めた日に増やすもの。どれも、紙一枚とテキストエディタで足りる。

次に誰かがこちらの安さを受け取るとき、そこに何を込めたかは、どこにも表示されない。表示されるのは、こちらが先に書いておいた文字だけになる。

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