家族旅行のたびに高熱を出していた――ケアテイカーは「休んでいるつもり」で働いている
――「世話焼きの何が悪いの?」と思っていた。肺炎になるまでは。
飲み会でみんなの終電を数える。誰かの皿の減り具合を見張る。旅行の行き先も宿も、気づけば全部こっちで調べている。こういう気質を「ケアテイカー(世話役)」と呼ぶらしい。
まあ正直キモいかもしれない。でも、別に損はしていない。
むしろ気が利く、いい奴ですらある。
それを、わざわざやめる理由がどこにある?
・・・
そう思った直後に、ひとつ思い出した。
そういえばこの前、家族旅行から帰ってきて肺炎になったんだった。
よく考えたら、僕は人を旅行に連れて行くたびに、かなりの確率で高熱を出している。
……もしかして、ちゃんとどこかでツケを払っていたんじゃないか。
そんな気がしてきた。
好きでやっているのに、なぜ消耗するのか
最初に言っておくと、僕はみんなと行く旅行が嫌いではない。
行き先を考える。
宿を選ぶ。
移動手段を調べる。
「ここならみんな楽しめるかな」と想像する。
こういう作業は、わりと好きだ。
「来てよかった」と言ってもらえると、普通に嬉しい。
知らない場所で、誰かの表情がふっと明るくなる瞬間を見るのも好きだ。
だからこれは、嫌々やっている義務ではない。
僕はたぶん、本当に好きでやっている。
根っからのケアテイカー(世話焼き)気質なのだと思う。
ただ、最近ようやく分かってきた。
「好きでやっていること」と「負荷がないこと」は、まったく別の話なのだということに。
でもだいたい、旅行中に高熱を出す
この前、高齢の両親を連れて沖縄に行った。
遠くに住んでいる妹とは現地で合流した。
両親は人任せな人たちではないし、まだまだ元気だ。
だから僕が、何から何まで介助していたわけではない。
それでも、やっぱりというか何というか、旅の途中で熱を出した。
一晩寝たら平熱に戻ったからみんなの前では、平気な顔をしていた。
「ああ、よかった。大丈夫そうだ」
そのときは、そう思った。
でも、帰ってきてから咳が止まらなかった。
さすがにおかしいと思って病院に行ったら、先生がレントゲンを見ながら言った。
「あー、肺炎ですね」
肺炎。
さすがに、少し笑えなかった。
僕の中の「勝手に添乗員」が出動していた
薬局の待合室で、ぼんやり考えていた。
身体は沖縄で休暇を楽しんでいるつもりだった。
でも、神経はずっと「仕事中」だったのではないか。
旅行中の自分を思い返すと、たぶん僕はずっと何かを見ている。
父は疲れていないか。
母の歩く距離は長すぎないか。
妻の体力の限界はまだ来てないか。
妹は気を遣いすぎていないか。
移動を詰め込みすぎていないか。
この先のルートは渋滞していないか。
天気が崩れたら、どこで予定を吸収するか。
誰かが不満を飲み込んでいないか。
もちろん、全部をはっきりと言葉の形で考えているわけではない。
でも、頭の奥でずっと、見えない「添乗員用の管理画面」が開いている感じがある。
旅程表。
体力ゲージ。
機嫌メーター。
移動リスク。
食事の満足度。
次のトイレ。
次の休憩。
帰りの段取り。
こう書いてみて自分でも笑ってしまうけれど、旅行中ずっと、たしかに僕の頭の中にはダッシュボードが表示されていた。
「高齢の親を旅行に連れていく」となれば、ある程度気を遣うのは仕方ないけれど、僕の場合は、誰と旅行に行こうがだいたい毎回このパターン、そして何日か目に熱を出す(汗)
そしてそれを見ている限り、僕は完全にはツアーの参加者になれない。
景色も見ているし、食事もしている。写真だって撮っている。
でも、どこかでずっと、次の段取りを見ている。
つまり僕は、参加者の顔をした、無給の添乗員だったのだ、と分かってきた。
飲み会は数時間、旅行は数日間
飲み会には、終電がある。
みんなの終電を見張る仕事は、たしかにキモいけれど、会が終われば監視も切れる。
日付が変わる頃には、自然と勤務が終わっている。
だから、まだ自分が「支払っているもの」がはっきりとは見えなかった。
でも、添乗員の仕事は日をまたいで何日も続く。
旅程が終わるまで、監視は数日間ずっと走り続ける。
そして、この「監視モード」は、何かあったときだけでなく、旅行中はずっと動き続けている。
そうすると、飲み会よりも断然にコストが積み上がる。
そして突如として、身体の不調という形で「請求書」を切られる。
ここが、ずっと見落としていたところだった。
・・・
僕は「旅行が好きかどうか」で考えていた。
旅行は好きだ。
人を連れていくのも嫌いではない。
だから疲れているはずがない、毎回体調を崩すのは「たまたま」だと思っていた。
いや、そう思いたかったのだと思う。
好きな料理でも、全員分を失敗なく出す係なら疲れる。
好きな飲み会でも、場の空気と終電を見張っていれば疲れる。
好きな旅行でも、全員の満足・安全・後味を背負えば疲れる。
疲れるという事実は変わらなかった。
単に疲れを自覚したかしていないか、疲れが限界を超えていたかいないか、それだけだった。
ケアテイカーは「休んでいるつもり」で働いている
ややこしいのは、本人が本気で「休んでいるつもり」「楽しんでいるつもり」「リフレッシュしているつもり」なところなんだと思う。
旅行しているつもり。
遊んでいるつもり。
自分もちゃんと参加しているつもり。
でも、頭の中ではずっと、次の段取りと相手の機嫌と、自分が見落としたときに起こるかもしれない悪い結末を見ている。
しかもその仕事には、勤務開始の合図も、終了の合図もない。
給料もないし、感謝されるとも限らない。
そして何より困ったことに、自分も働いている自覚がない。
旅行から帰ってきて、自分だけ異様に疲れている人。
人を楽しませたはずなのに、自分の記憶があまり残っていない人。
「楽しかったね」と言われると嬉しいのに、帰宅後に倒れ込む人。
そういう人は、旅行中ずっと参加者ではなく、運営側にいたのかもしれない。
心は「まだ行ける」と言う。身体は正直に言う
もちろん、僕が旅行中に高熱や肺炎をやらかすには、精神論だけでない理由もあるはずだ。
感染症には感染症の理由があるし、「気を遣いすぎると肺炎になる」というトンデモ理論を主張したいわけでもない。
ただ、身体が限界を知らせていた可能性は、間違いなくあるはずだ。
僕は旅行中に熱が出ても平気な顔をしていた。
だいたいは一晩寝て熱が下がるから、大丈夫だ、何なら気のせいだとぐらい思っていた。
旅行を止めたくなかったし、心配もかけたくなかった。
心は「まだ行ける」と言う。
責任者モードも「まだ回せる」と言う。
ケアテイカー魂も「ここで倒れるわけにはいかない」と言う。
でもアラフィフの身体は、「もう無理です」と正直に言っていた。
僕は、その声を聞くのが遅かったのだと思う。
見えることは能力。でも、旅の全責任まで背負わなくていい
前回の記事でも書いたけれど、見えることは、たぶん能力なんだと思う。
誰かが困りそうなことに気づく。
段取りの穴に気づく。
場の空気が少し沈んだことにも気づく。
それ自体は、決して悪いことではない。
でも、見えることと、背負うことは別問題だ。
ルートが見えて、リスクが見える。
誰かの疲れも見えてくる。
だからといって、旅の全部を自分の責任にしなくていい。
止めるべきなのは、たぶん「見ること」ではなく、見えた瞬間に、全部を「自分が担当すべきこと」と自動で割り当てている仕組みのほうだ。
次は、最初に一言だけ言ってもいいのかもしれない。
「僕は放っておくと全部面倒見ちゃうので、今回はあらかじめ分担させてください」
ちょっと情けない。
かなり情けない。
そもそも誰も頼んでなんかないのに、わざわざ言うのはカッコ悪い。
でも、肺炎になるよりはたぶんいい。
・・・
「世話焼きで、別に損してなくない?」
昨日の僕は、そう思っていた。
でもそれは、ゲスト側の台帳しか見ていなかったからだった。
みんなの終電。みんなの満足度。みんなの後味。
そこには、まったく損は立っていない。
請求書は最初から、僕の方に貼り付いていた。
ただ、到着が数日遅れて、レントゲンに「請求書」が映っただけだった。
だから、次に旅行へ行くときは、もう少し参加者でいたい。
景色を、段取りではなく景色として見たい。
一緒に行く人を、ただの「同行者」として見たい。
そして、できれば熱を出さずに帰ってきたい(切実)。
次の旅行の時は、スーツケースに「添乗員バッジ」が紛れ込んでいないか、出発前にチェックしよう。
あわせて読みたい:「添乗員バッジ」が外れない人へ
この話は、たぶん旅行だけの話ではないと思う。
飲み会では終電を調べる。
休日には予定の余白を消す。
誰かが困る前に、先回りして段取りを整える。
本人はただ、「気づいたことをやっている」つもりなのに、気づけば自分の体力だけが静かに削られている。
もしこの記事を読んで、
「これ、旅行以外でもやってるかもしれない」
と思った方は、次の記事も続けて読んでみてほしい。
飲み会で、僕だけ全員の終電を調べていた――何もしていないつもりなのに、なぜか僕だけ疲れている
この記事の前日譚です。数時間の飲み会でも、僕の中ではすでに「小さな添乗員モード」が作動していました。
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気づけることは、悪いことではない。
でも、見えたものを全部ひとりで運ばなくてもいい。
気になるタイトルから、ひとつだけ読んでみてください。
たぶんそこにも、スーツケースに入りっぱなしだった「添乗員バッジ」が見つかるはずです。
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