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初めて来た店なのに、僕はなぜ店の空気まで「担当」してしまうのか

飲みに来た客のはずなのに、気づくと店の空気を接客している――。


こういう話はたぶん、あまり認めたくない話だと思う。

気が利く。
責任感がある。
場が読める。
人のために動ける。

そういう、どちらかと言えば“良いこと”だと思っていたものが、実は自分を削っていたかもしれない——そういう話だ。

僕自身、つい最近までこれを「不健全」だとは思っていなかった。
いや、思いたくなかったのだと思う。

たとえそのせいで疲れたり、熱を出したりしたとしても、

体力が落ちた。
年齢のせいだ。
たまたま疲れていた。

そう説明する方が、ずっと楽だった。

でも、思い当たることが、いくつもある。

飲み会で、誰にも頼まれていないのに全員の終電を調べていた僕。
旅行中に、勝手に添乗員の管理画面を開きっぱなしにしていた僕。

その流れで、もうひとつ思い出してしまった。

そう言えば僕は、客なのに、店の空気まで「担当」してしまうことがあったな、と。


店主の機嫌まで買おうとした

ずいぶん前のことだが、とあるビアバーに行ったことがある。

このお店、Google Mapのレビューを見ると、少しでも難点を挙げられるたびに、店主が逐一反論している。

その時点で、なかなか癖の強そうな店だなとは思った。

ただ、そこでは珍しいビールが飲めるらしい。

僕は「レア物」に弱い。

少し警戒しつつも、僕はその店に入った。

そして分かった。

店主は本当に、コミュニケーションが得意ではなさそうだった。

こちらと、あまり目を合わせてくれない。
ビールを出すと、カウンターの下に潜って、何かをゴソゴソやっている。

普通なら、ここで終わりだと思う。

「ああ、そういう店なんだな」

そう思って、静かに飲めばいい。

ところが、僕の中ではここで「何か」のスイッチが入ってしまう。

店内をきょろきょろ見る。
何か、突破口はないか。
何か、店主が少し話しやすくなる入口はないか。

そこで、黒板が目に入った。

ビアバーなのに、日本酒のおすすめが書いてある。

僕は思った。

これだ。

ビアバーで、あえて日本酒を頼む。
店主としても、きっとこだわりがあって置いてあるはずだ。
「お、そこに気づくんだ」と思ってもらえるかもしれない。

「この日本酒、お願いできますか?」

「はい、分かりました。」

返ってきたのは、普通の「はい」だった。

顔がほころぶわけでもない。
こだわりの解説が始まるわけでもない。

ただ、普通に「はい」。

ここで終わればよかった。

でも、僕の「過剰適応」(専門用語ではこう呼ぶらしい)というのは、ここで止まらない。

むしろ、反応が薄いほど加速する。

次は、おすすめのビールを頼む。
さらに、つまみも頼む。

もしかしたら、これなら喜んでくれるかもしれない。
これなら、少し話が広がるかもしれない。
これなら、この店に来た意味を店主に伝えられるかもしれない。

僕はビールを飲みに来たはずだった。

でも、いつの間にか僕は、店主の表情が少しでも和らぐ可能性を、追加注文で買おうとしていた。

そして帰り道、僕は見事にお腹を下した。

空きっ腹に冷たい飲み物。
さらに油脂の多いつまみ。

僕にとって、それがまずい組み合わせなのは知っている。

知っていた。

それなのに、その場では自分の胃腸より、店主の機嫌の方を優先していた。

いや、店主の機嫌ですらない。

僕が勝手に想像した「この店の空気が少しマシになるかもしれない未来」のために、自分の腹を犠牲にしていた。

さすがに、これは客の仕事ではない。

成功してしまうから、やめられない

もしあなたが、僕たち「こちら側」の人でないならこう思うだろう。

「そんなしんどい思いまでして、懲りないの?」と。

そう、これがいつも失敗するなら、まだ分かりやすい。

問題は、この過剰適応というやつは、まあまあ成功してしまうこと。

なぜならこれは、「空気の読めない」僕が社会というサバンナを生き抜くため、幼少期の頃に必死に(そして無意識に)習得した「サバイバル術」だからだ。

***

またこれもしばらく前のこと、とある居酒屋に行った。

かなり希少な日本酒を出している店らしい。
海外からご指名で来店があるほどだという。

またしても「レア物」である。

僕はつくづくレア物に弱い。

とても小さな店だとは知っていたので、雰囲気を壊さないように、そろりそろりと扉を開けた。

腰を低く。
謙虚に。
邪魔にならないように。

中にいたのは、警戒心満々の店主と、ひとりの女性客だった。

思えば、もうこの時点で発動していた。僕の「アレ」が。

僕は、あえて店主の真正面に座った。
黒板を見る。
おすすめの日本酒が、びっしり書いてある。

もちろん、僕は日本酒マニアではないから、正直、銘柄を見てもほとんど分からない。

それでも僕は、にこやかに言った。

「一杯目、どれがいいですかね~」

たぶんその様子を誰かが見ていたら、「お前のどこがコミュ障やねん」とツッコみたくなるぐらいには、テクニシャンだったと思う。

店主の顔が、ふっと和らいだ。

そして、立て板に水のように黒板メニューの解説が始まった。

これはどこのお酒で。
これは今はなかなか手に入らなくて。
これは香りがこうで。
これは食中酒としてよくて。

僕は、うんうんと聞いた。

正直、半分も理解できていなかった。

でも、御託は最後までしっかり拝聴した。

そして言った。

「じゃあ、2番目ので」

ここまでは、まだ分かる。

問題はここからだった。

僕と店主の会話を、女性客がちらちら見ていることに、僕は気がついた。

気づかなければよかったのかもしれない。

でも、気づいてしまった。

そして僕は、女性客の方を向いて店主に言った。

「あのお姉さんが飲んでるやつって、どれですか」

はたして、女性客が乗ってきた。

「あ、これですか?黒板の下から3番目のやつです。めっちゃ美味しいですよ」

「じゃあ、僕もそれでお願いします」

店主が続ける。

「これは、もう一般販売終わっちゃったんだよ。うちの冷蔵庫に大事に大事に取っておいてある分しかないからね」

場が動いた。

アイスブレーカー(初対面の緊張を解く役のこと)、大活躍である。

さてそこに、新しいお客さんが入ってきた。

普通なら、ここで黙っていればいい。

だって、僕は客なんだから。

しかし、僕は自分で自分が止められなかった。

「えー初めてですか?僕もなんです!おすすめは黒板メニューだそうですよ。えーと1番が、あれ? マスター、1番はどこのお酒でしたっけ」

なぜか、前説&ボケ担当まで買って出ている。

もうほとんど、客ではない。

場回し担当である。

しばらくして店主が、少し不思議そうに言った。

「今日はなんだか変なんだよ。みんなご新規さんなのに、なんでこんなに打ち解けてるんだ?」

そうでしょう。
打ち解けましたでしょう。
なぜなら、僕が橋を架けましたからね。

もちろん、そんなことはおくびにも出さない。

でも内心では、かなり気持ちよくなっていたと思う。

ただし、いいお酒を調子に乗って何杯も頼んでしまい、会計を見てちょっとびっくりした。

また請求書である。

僕は、空いている役割に弱い

ビアバーの話は、まだ分かりやすいダメパターンだ。

店主の反応は薄い。
こちらは空回りする。
自分の胃腸にダメージが来る。

だから、「あ、やりすぎだったな」と気づきやすい。

でも日本酒バーでは、実際に場が和んでしまった。

店主の顔は和らいだ。
女性客は会話に乗ってきた。
新規客も入りやすくなった。

つまり、僕の過剰適応は成功してしまった。

これが厄介なのだと思う。

過剰適応は、失敗するからやめられないのではない。

成功するから、やめられなくなる。

「ほら、やっぱり僕が動いたから場が成立したじゃないか」

そういう報酬が、自分の中に発生する。

しかも、たぶん僕は実際に、多少は場を回せてしまう。

相手の警戒が緩む入口。
話に入りたそうな人の視線。
会話が閉じすぎる前に、別の人へ橋を架けるタイミング。

そういうものが、見えてしまうのだ。

見えること自体は、悪いことではないのだと思う。

問題は、見えた瞬間に、毎回それを自分の「担当」にしてしまうことだ。

飲み会では、「終わり方を見る人」枠がぽっかり空いていて、だから僕は、全員の終電を調べていた。

旅行では、「全体を管理する人」枠が空いていたのを見て、僕は添乗員になっていた。

ビアバーでは、「店主の不器用さを補償する人」枠が空いていたから、僕は店主の表情を買うように追加注文していた。

日本酒バーでは、「店内の客同士をつなぐ人」枠が空いていたから、僕は初対面の客同士の仲人を始めていた。

ここまで並べて、僕の中でもはっきりしてきた。

僕はたぶん、困っている人に弱いのではなく、空いている役割に弱いのだと思う。

誰も見ていない場所。
誰も閉じていないループ。
誰も拾っていない沈黙。
誰も担当していない気まずさ。

そういうものが視界に入ると、放っておけない。

空白があると、そこに自分の名前を書き込みたくなる。

「誰かがやった方がいいこと」が見えると、ほとんど自動的に「では僕が」と思ってしまう。

しかも、それがうまくいくことがある。

感謝されることがある。
場が和むことがある。
相手の顔がほころぶことがある。
「今日はなんか不思議ね」と言われることがある。

その瞬間、僕の中では、勝手責任者が表彰状を受け取ってしまう。

だから次もまた出動する。

そして、胃腸や財布や神経が、あとから請求書を受け取る。

二杯目からは、胃腸に聞こうと思う

だから、これを全部捨てたいわけではない。

問題は、能力に「義務」が混ざることなんじゃないか、というのが現時点の僕の仮説だ。

見えたから、担当する。
拾えるから、拾わなければならない。
場が硬いから、自分が柔らかくしなければならない。
相手が無愛想だから、自分が二人分、愛想よくしなければならない。

そうなると、能力はいつの間にか勤務になる。

客として店に来たはずなのに、気づけば心の中でタイムカードを押している。

***

次に癖の強い店に入った時のための自戒を置いておく。

もしそういうお店に入ってしまったら、僕はまず心の中でこう唱えたい。

今日は客。
スタッフではない。

一杯目だけ、おすすめを聞く。
それはいい。

説明を聞いて、面白ければ楽しむ。
それもいい。

でも二杯目からは、店主の表情ではなく、自分の胃腸に聞く。

「今、飲みたいか」

「今、食べたいか」

たぶん、それくらいでいい。


次の一軒ぶんで、780円です

あの二軒の伝票を、あとから一行ずつに直してみた。

ビアバーで払ったのは、翌朝の腹だ。日本酒バーで払ったのは、想定より重い会計だ。どちらの夜も、僕が受け取ったのは、店主の表情がふっと和らぐ数秒だった。

数秒に対して、腹一日ぶんと、酒何杯ぶん。

これが僕の交換レートになる。

気を遣いすぎたのでも、飲みすぎたのでもなかった。空いた役割が視界に入ると、そこへ自分の名前が入る。 性格の話ではなく、反応の話だ。この見方だけでも、店を出たあとの疲れに宛先がつく。

ただ、宛先がついても、カウンターでは間に合わない。

あそこで起きているのは判断ではなく反応で、黒板が目に入った時点でもう半分は済んでいる。「今日は客」と唱えて入っても、唱えるより先に、僕は日本酒を頼む理由のほうを探している。

この780円が効くのは、まだ一度も入っていない店に限る。行きつけでは使えない。顔なじみの店ではもう役割が決まっていて、そこから降りると、降りたこと自体が事件になるからだ。書いたのは、扉を開けてから二杯目を頼むまでの、その一軒ぶんになる。

癖の強い店に、そもそも入らない人がいる。それが一番安く済む。

  • 無愛想な店主を前にしても、黙って飲んで、黙って出られる人

  • 「空いている役割に弱い」という見方を持ち帰れれば、当面それで足りる人

  • 困っているのが店ではなく、職場や家族だという人。そこは店より降りるコストが高いので、別の話になる

帰り道で、いつも同じ計算をしている人がいる。

  • 初めての店で、注文より先に店主の機嫌を読んでいる

  • 場が和んだ日ほど、翌日の反動が大きい

  • 「今日は客」と決めて入ったのに、二杯目には忘れている

  • 会計を見た瞬間か、翌朝の腹で、払わされたことに気づく

  • 一人で入ったはずの店なのに、出るころには誰かと働いたような疲れ方をしている

次に扉を開けたとき、カウンターの下に潜っている店主は、たぶんそのままだ。

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顔色を読む、断れない、仕事や家事を抱え込む、身近な人を助けすぎる。そんな「頑張りすぎ」を性格のせいにせず、責任の分け方の問題としてほどきます。すぐ試せるメモや言葉、停止手順まで持ち帰れる25記事です。

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