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慧洲園の物見やぐらに登ってみる

先日、佐賀県基山町にある大興善寺の庫裡の庭についてnoteしました。「昭和の小堀遠州」と称された中根金作先生が作庭した庭。同じ佐賀県内に他にも作庭した池泉回遊式日本庭園があると知り、武雄市にある慧洲園へ。酷暑の中ではありましたが、木陰や池泉、清らかな空気のせいか、心地よく園内を回遊して鑑賞できました。

高台に庭園全体を見渡せる物見やぐらがあります。私、高い建築物には絶対登りたい派です〜!
登ってみたら、背後にある御舟山を巧みに借景にし、どこからが自然の山でどこからが庭園なのかわからない設計になっていることがわかりました。

やぐらの登り口に、併設する陽光美術館による説明書がありました。
吉野ヶ里遺跡南内郭復元「物見やぐら」というタイトルで次のとおり。

「物見やぐらは、中国の歴史書「魏志倭人伝」に記されている「楼閣」にあたると考えられる建物です。
吉野ヶ里遺跡の南郭部では環壕が外側に向かって張り出しており、その内側に深さ約2mの大きな柱穴が発掘されました。
この発掘資料をもとに奈良国立文化財研究所に調査を依頼し、全国で出土した多くの資料や「鳥取県稲吉遺跡」「奈良県唐古鍵遺跡』出土の弥生
土器に描かれた、物見やぐらとみられる建物、中国の陶器製楼観模型などと比較校討して、柱の直径約50cm、高さ約12mの建物と定めました。
1989年、佐賀県教育委員会が吉野ヶ里歴史公園内、南内郭エリアに復元され、多くの観光客に親しまれてきました。
この物見やぐらは、集落の威容を示すシンボル的な役割を持つと考えられている高層の建物で、学術的にも大変、興味深いものであります。
このたび、文化事業の一環として、後世に遺していくことを目的とし、ここに移設復元したものであります。」

何故、吉野ヶ里遺跡で復元設置された物見やぐらがここへ?疑問に思い、陽光美術館の方にお尋ねしました。
吉野ヶ里遺跡では1989年に2つの物見やぐらを復元、その後、発掘調査研究が進み2004年に新たな物見やぐらを復元設置した際、古い物見やぐらを移設することに。県外へ流出ではなく県内へ、ということで1つは武雄市のこの庭園内へ、もう1つは唐津市へ移設されたらしいのです。

以前に、秀吉が朝鮮出兵の際に築城した幻の肥前名護屋城の遺構を唐津城や唐津の寺社に利用したという話を思い出しました。どんどんスクラップ&ビルドしない、ちゃんと水平サイクルやアップサイクルする、のは肥前の国から受け継がれている佐賀の県民性なのかな?慧洲園の物見やぐらに登ってみて思った建物がたりです。

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