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学校からの電話は苦手です。私を責めてる訳ではないとわかっていても。

昨日の夕方、中学校から家に電話がありました。

私は仕事中で、姑がその電話を受けました。

「◯◯君、朝、遅刻してきてから機嫌も悪く、給食中にも暴言がありました。朝、ご家庭で何かありましたか?」

という内容でした。

その話を聞いたとき、最初に浮かんだのは、

「面倒だな」

という気持ちでした。

でも、その後は学校から連絡が来ることはなく、私はほっとしていました。

「なんでこんなに面倒に感じるんだろう。」

そう思って、
自分の気持ちを振り返ってみると、
出てきたのは、

「また学校から電話が来る日々が始まるんじゃないか。」

という怖さでした。


そう考えると、私は電話そのものに反応していたのではなく、電話が思い出させる過去に反応していたんだな、と気づきました。

学校から電話が来る。
内容を聞いて落ち込む。
家でどう対応するか考える。
支援機関や病院にも相談する。

「これで少し良くなるかな。」

そう思っても、また学校から電話が来る。

そんな繰り返しの中に、ずっといました。

着信履歴が学校からの電話ばかりだった時期もありました。

他害もあったし、物を壊してしまったこともあったし、怒りが先生に向かうこともありました。

電話が鳴るたびに、

「今日は何があったんだろう。」

と心臓がぎゅっとなり、

話を聞けば、

「またか……。」

と落ち込みました。

一つひとつの出来事よりも、

「また次が来るかもしれない。」

そんな終わりの見えない緊張の中で過ごし
続けることが、一番しんどかったです。

だから、中学生になって学校からの連絡がぐっと減ったことは、私にとって本当に大きな変化でした。

電話が減って嬉しかったというより、やっと安心して過ごせる毎日が少しずつ増えてきていました。

だから、その安心が崩れそうな気配に、
私は強く反応したのだと思います。

朝、起きない長男に怒ってしまったのも、

本人への怒りというより、

「せっかく感じ始めていた安心が壊れるかもしれない。」

そんな怖さだったのかもしれません。

長男はその怒りを受け取り、わざとゆっくり準備をして、8時50分に登校しました。

そして学校では機嫌が悪くなり、給食中にも暴言があったようです。

翌朝の今日、私は前日と同じことを繰り返さないようにしました。

穏やかとまではいきませんでしたが、できるだけ淡々と声をかけました。

長男から、

「言い方がきつかったのが嫌だった。」

と言われていたからです。

さらに、

「怒られると、あおられた感じになる。」

とも話していました。

その言葉を聞いたとき、

「じゃあ私は何て言えばいいんだろう。」

「もう何も言わない方がいいのかな。」

そんな気持ちも湧いてきました。

そして迎えた今朝。

「今日は朝、ハチマキの購入があるんでしょ。」

と軽く声をかけました。

すると、昨日と起きた時間は同じだったのに、すんなり動いて遅刻せずに学校へ行きました。

それから、昨日の先生からの電話のことです。

先生は、

「ご家庭ではどうでしたか?」

と聞いてくださっただけでした。

きっと心配してくださっていたのだと思います。

でも私はその言葉を、

「あなたの対応が悪かったんじゃないですか。」

と言われたように受け取ってしまうところがあります。

先生が責めていたわけではなく、
私の中でそう変換されてしまうのです。

だから私は、学校からの電話に必要以上に
ビクビクしてしまいます。

でも今回は、

「確かに昨日は私の言い方だったな。」

と思えました。

そこで関わり方を少し変えてみたら、
長男の反応も変わりました。

そう考えると、今回の電話は私を責めるためのものではなく、

親子に合う関わり方を一緒に見つけるヒントだったのかもしれません。

前の私だったら、

「また私がダメだった。」

で終わっていたと思います。

でも今回は、

「じゃあ、どうしたら違うんだろう。」

という実験につながりました。

そして実際に変化もありました。

長男は、怒られると「あおられた」と感じる。

私は、先生の質問を「責められている」と受け取りやすい。

そして、その反応を見つめて関わり方を少し変えると、親子のやり取りも変わりました。

これまで私は、こうしたネガティブな反応はなくさなければいけないものだと思っていました。

だから苦しかった。

長男が「あおられた」と感じたからこそ、言い方で受け取り方が変わることが分かりました。

私が「責められた」と感じたからこそ、自分は学校からの電話を「評価される場」として受け取りやすいことにも気づけました。

反応は敵ではありませんでした。

反応は、

「私は何を怖がっているんだろう。」

「私は何を大切にしたいんだろう。」

それを教えてくれるサインでした。

「反応をなくす」のではなく、

「反応が何を教えてくれているのかを見る。」

今回の出来事を通して、私はその視点を改めて実感しました。

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みわ|ギフテッド2Eの個育て 深く、お読み頂きありがとうございます。 noteを読んで視点の変化や腑に落ちた瞬間がこれからも訪れますように。