Motherのまなざし|私を観る④「願いを観る」
「長男が自分勝手で嫌だ。」
ではなく、
「現実を受け止めて、『しょうがないな』と思える人になってほしい。」
という願いが見えてきた。
反応を否定するのではなく、その奥にある願いを見つめるという話です。
昨日、久しぶりに長男が癇癪を起こしました。
家族で焼き鳥を注文した時のことです。
つくねを2本しか頼んでいなかったことに気づいた長男は、
「もっと食べたかったのに。どうして注文する時に聞いてくれなかったの!」
と怒り始めました。
「注文するタイミングでいなかったでしょ。あなたのためだけの焼き鳥じゃなくて、家族みんなで食べるために注文したんだよ。」
と私が発言したタイミングで、
お皿を何度もテーブルに打ちつけ、盛り付けられていたフライドポテトを床にまき散らしました。
久しぶりに見る癇癪でした。
その時、私は心の中で思いました。
「つくねが足りないくらい、しょうがないって思えたらいいのに。」
でも、その言葉が心に残ったのです。
私は、どうしてこんなにも「しょうがない」と思えるようになってほしいのだろう。
その答えは、先日、個別支援塾で先生のお話を聞いた時につながりました。
先生は、中学生になってからの長男について、
トラブルが起きた時、
その原因を自分なりに考えられるようになってきたこと。
「あおられた」と感じた時も、相手の言動だけを見るのではなく、
「自分はどう受け取ったのか」を考えられるようになってきたこと。
トラブルの後には、自分の言動を振り返り、
「ふざけた対応をしてしまったのは、こんな気持ちだった」と、
自分の思いを説明できる場面も増えてきたということ。
学校で起きた出来事も、以前より細かく報告できるようになり、
自分の気持ちを客観的に捉えようとする姿が見られるということ。
相手の意見を受け入れようとしたり、カードを使って気持ちを伝えたり、
先生の助言を受け入れたりする姿も増えてきたそうです。
学校では、自分からクールダウン部屋へ行くこともできるようになり、
「知らないうちに気持ちが落ち着いてきた」と話しています。
まだ、自分の気持ちがどのように変化したのかを
言葉にすることは難しい部分もあります。
それでも、自分の内側で何が起きているのかを考えようとする力は、
確実に育っていると先生は話してくださいました。
今後も、似たような事例を使ったソーシャルスキルトレーニングを通して、自分のことだけでなく相手の気持ちも考え、その場に応じた言動を一緒に考えていきたいとのことでした。
「本人も、自分の成長を感じていますよ。」
その言葉を聞いた時、胸がいっぱいになりました。
長男が自分の気持ちを振り返り、言葉にし、
相手の立場を考えようとしていること。
その姿を見ていると、「しょうがない」と現実を受け止める力は、誰かに教え込まれるものではなく、自分の経験を通して少しずつ育っていくものなのだと感じました。
だから昨日の出来事も、「まだできていない」と見るだけではなく、
「今まさに、その力を育てている途中なんだ」と思えたのです。
そう思えた時、私が本当に願っていたことが見えてきました。
この報告を聞きながら、私は小学生の頃を思い出していました。
学校でハンマーやさすまたを振り回してしまったこともありました。
気持ちがあふれ、言葉より先に行動になってしまっていた頃です。
あの頃の私は、「どうしたらこの子を変えられるんだろう」と必死でした。
でも今は、
行動だけではなく、その奥にある気持ちを見つめられるようになり、
自分自身を振り返る姿が見えるようになりました。
その変化を見ながら、私はもう一つのことに気づきました。
長男自身が、自分で現実を受け止められるようになってほしかった。
それが私の本当の願いだったのです。
思い通りにならないことがあっても、
「しょうがないな。」
そうやって現実と折り合いをつけ、
自分で次の一歩を選べる人になってほしい。
相手にも事情や気持ちがあることを受け入れられる人になってほしい。
その願いでした。
トラブルを振り返ること。
自分の気持ちを言葉にすること。
相手の立場を考えること。
自分からクールダウンを選ぶこと。
そうした一つひとつの経験の積み重ねが、
少しずつ「しょうがない」と現実を受け止める力を
育てていくのだと感じます。
以前の私は、「行動を変えたい」と思っていました。
今は、
「この子の内側では何が起きているのだろう」と見つめています。
子どもの行動に反応した私の心をたどると、
そこには「現実を受け止められる人になってほしい」という
願いがありました。
子どもの姿を通して、私は自分の願いを見つけました。
「しょうがないな」と現実を受け止め、
自分で次の一歩を選べる人になってほしい。
自分の願いに気づくことで、
関わり方を選べるようになる。
今回でいうと、
「しょうがないと思ってほしい」
という願いに気づかなければ、
「なんでまた怒るの!」
「それくらい我慢して!」
という反応になっていたかもしれません。
でも、
「私は、この子が将来困らないように、
現実を受け止められる人になってほしいと願っているんだ。」
と気づくことで、
「今、この子はその力を育てている途中なんだな。」
という見方もできるようになりました。
子どもの芽を摘まない。
私の芽も摘まない。
そう願いながら、今日も私は、この子の育ちを見つめていきたいです。
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深く、お読み頂きありがとうございます。
noteを読んで視点の変化や腑に落ちた瞬間がこれからも訪れますように。
