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発達障害マダムの仕事遍歴・後編〜障害発覚から現在に至るまで〜

こんにちは、発達障害マダムの大磯りんご飴です!

今回は、前回に引き続き私の仕事遍歴について語りたいと思います。

↓前回の記事はこちらです。

↓こちらも参考にして下さい。

専業主婦時代

スーパーを退職した後、当分の間は家庭に入る決意をしました。

その理由は2つあって、1つ目はスーパーをやめる口実になった息子の世話を実際に行うため、そして2つ目は息子に兄弟を作ってあげたいと思ったからです。

せっかく就職しても、また妊娠したらいずれ働けなくなる期間ができるのが目に見えていたので、それなら最初から働きに出なければいいじゃないかと思っての選択でした。


派遣会社への登録

最初は自宅で息子の面倒を見ていましたが、母子共に支援なしの発達障害では上手くいくはずがありませんでした。

育てにくい息子にキレ散らかす私を見て、夫と義母は認可外の保育園に息子を預ける事を提案しました。

「仕事をしていないくせに預けるなんて」
と拒否したものの2人に強く押し切られてしまい、1歳半を過ぎた頃に市内の保育園に預けました。

息子を預けながら自由に過ごす気にもなれず、とりあえず働くための糸口でも掴もうと、友人が当時登録していた派遣会社に登録しました。

仕事は事務を中心に探し、短期の仕事から始めようと思いましたが、期間限定という点が気に入らなかったのか夫に反対され、就労には至りませんでした。

また2人目の子供を諦めきれない気持ちもあり、結局その派遣会社には登録するだけで実際に就労する事はありませんでした。


在宅ワーク

息子を保育園に預けてから半年後に妊娠し、待望の2人目である娘が生まれました。

保育園に息子を預ける口実は就活から妊娠・育児に変更となり、3歳になってからは近所の幼稚園に通う事になりました。

当初娘は息子に比べて育てやすいと思い、3歳まで自宅で面倒を見るつもりでしたが、すぐにお転婆になり手に負えなくなりました。

精神状態は息子だけだった頃に比べて著しく悪化し家庭での育児が困難になったので、かつて息子を預けていた保育園に娘を預けて精神科に通い、ADHDとASDの診断が付きました。

今までどの職場でも上手くいかなかった原因が分かり腑に落ちた反面、私が働ける職場なんてどこにもないんだと社会への諦めの感情も芽生えました。

そんな中、自宅でネット環境を整えパソコンを使って仕事をする、所謂在宅ワークの存在を知り、これなら私でもできそうだと思い、まずはランサーズに登録しました。

最初はアンケートなど単発のタスクを中心に取り組みつつライティングの仕事に応募し、定期的な仕事を頂けるようになりました。

ネット上では3万円以上は稼げると言われていたので自分も、と思っていましたが、積極的に仕事を取りに行く営業力と、この人ならと思われるスキルがあって初めて成立する事で、そのどちらもなかった私は1万円稼げたら良い方でした。

ランサーズは当時請け負っていたライティングの仕事を中心にして、単発のタスク中心に利用しようと思いクラウドワークスにも登録しました。

クラウドワークスに登録して驚いたのが、実績のない私をスカウトしようとするクライアントが大勢いた事で、中にはユーザーIDまで入れて私を名指しする人もいました。

後から調べてそれなりの実情を知った今ならば、実力も実績もないワーカーを安く使い倒す狙いがあってのスカウトだとわかりますが、当時は私を求めてくれるなら応えた方がいいのかなと思い込み、スカウト文をじっくり読んで1件だけ応募しました。

いざクラウドワークスの仕事を始めたところ、やっている事はランサーズでもやっている事と同じようなライティングの仕事で、はっきり言って2つのサービスに登録した意味を感じられませんでした。

そしてそのライティングの仕事は、いずれもクライアントが指定するテーマに基づいての記事で私が本当に書きたい内容ではないので、リサーチや推敲の時点でかなり時間がかかり、だんだん割に合わないと感じるようになりました。

おまけに、スーパー時代の失敗から家庭を蔑ろにしないという約束を夫としていた手前、家事は今まで通りこなし、子供達が私を求めてきたなら仕事を中断してでも応じてあげなければいけませんでした。

在宅ワークを始めてから数ヶ月、家庭での立場と手間の割に稼げない仕事の調整に疲れ、クライアント全員にお断りの連絡を入れた後登録を解除し、また無収入に戻りました。


障害者として働く

専業主婦なのに子供の面倒を見ていない事への負い目や経済面の不安、周囲の冷たい目から精神状態は悪化の一途を辿り、家事も育児もろくにできずキレ散らかしまくり、子供にとって害悪な存在となった私は、ついに実家へ戻されました。

子供と離され居心地の悪い実家で住まざるを得ない不満でいっぱいだったところに、家事にうるさい母から駄目出しをされる事が多く、毎日キレ散らかし母と喧嘩をしていました。

酷く鬱屈していた私を見かねた当時の支援者や母から就労を勧められ、最初はいつか婚家に戻った時に子供の面倒が見られないと抵抗しましたが
「今はここで上手くやっていく事だけ考えるべき」
と母に言われ、就職の方向へ舵を取りました。

かねてよりお世話になっている市の福祉課へ相談に行ったところ、待ってましたと言うかのように就労支援サービスを利用する方向で動いて下さり、現在の私にとって欠かせない存在となる相談支援員さんを紹介して頂きました。


就労継続支援A型事業所

私がお世話になった就労継続支援A型事業所の存在自体は、婚家にいた頃から知っていました。

しかし、生産活動の内容がサービス業だった事から
「土日祝出勤のシフト制だったらどうしよう」
「接客担当に回されたらどうしよう」
と、スーパー時代のトラウマから二の足を踏んでいました。

その事を相談支援員さんに打ち明けた上で、とりあえず行くだけ行ってみようという話になり、見学、体験の申し込みをしました。

見学では施設長さんとじっくり話をした上で仕事の様子を見せてもらい、体験では実際に他の利用者さんに混ざって仕事に取り組みました。

今まで健常者向けの一般就労しか知らなかった私にとって、利用前に手厚い準備をしてもらえた事は大きな安心材料になりました。

実際に中に入ってみての感触が良好だった事、日曜日が定休日である事、そして婚家に戻ってからも支援して頂けるという話になった事で、ここでなら上手く働けそうだと思い、このA型事業所を利用する事にしました。

接客にトラウマがある反面才能を発揮したい旨を伝えると、最初に接客の練習をする時間を設けて頂き、実践では先輩のサブに着く形から始めるという、格別の準備期間を与えられ、またA型事業所のサービスを利用するお客さんは優しい方が多かった事で前職での傷が癒えていき、高校時代に失った接客を楽しむ心を取り戻す事ができました。

他にも、裏方業務や施設外就労など、様々な仕事をこなしていくうちに、他の利用者さんや職員さんから信頼してもらえるようになり、一目置かれる存在になりました。

ただ、全ての仕事が上手くいったかと言われたらそうでもなく、一般的に発達障害を持つ人が得意とすると言われている清掃の仕事が不得意である事が分かりました。

それ以外にも、利用者としての立場が向上するにつれて責任感からのプレッシャーも肥大化し、思うように仕事ができなかった時やミスをした時にはわけのわからない事を喚き散らす悪い癖もありました。

そういった困り事に対し、ナビゲーションブックを作って対処法を共有する、高ぶった感情を鎮める時間を設けるなど、私を厄介者扱いせず根気強い支援をして頂けた事が嬉しかったです。


ドラッグストア

現職のドラッグストアとの関わりは、A型事業所の施設外就労から始まりました。

現地の店員さん(現在の先輩)と協力して仕事をこなしつつ、お客さんに挨拶をする事から始まりました。

始めたての頃は商品の場所が全然わからず、先輩に聞いたり引率の職員さんに助けてもらったりと試行錯誤していたところに、私を店員だと思い込んだお客さんから問い合わせをされる事も少なくありませんでした。

「品出しと挨拶のみのつもりが店員と同じ接客対応を求められるなんて話が違う」
と、お客さんの相手をするのが嫌になり、お客さんに声をかけられたら職員さんに丸投げするという協定を結び私は品出しに専念しました。

もっとも、直接雇用の話を頂いてからは、このお客さん達から逃げるわけにはいかないと覚悟を決めて、対応できる範囲で問い合わせに答えるようになりました。

商品の場所を憶えてスムーズに品出しが出来るようになると同時にお客さんの相手も苦痛じゃなくなり、品出しの施設外就労を始めてから8ヶ月後、A型事業所を卒業し晴れてドラッグストアの店員になりました。

最初は品出しと清掃が中心でレジは先輩に任せていましたが、お客さんが増えた時のレジ応援要請に応えられないのが申し訳ないと感じていました。

入社から2ヶ月経った頃、レジに立つようになり、仕事の幅が増えて役に立てるようになった事が嬉しい反面、発達障害故のつまらないミスや想定外の出来事でパニックを起こす事が多く、その度にお客さんや先輩に迷惑をかけるのが申し訳ないと、今も常々思っています。

発達障害の件は先輩達も周知の事実、数ヶ月に1回店長との面談の機会を設けられているというメリットはあるものの、基本的には他の健常者の店員と同じ仕事をこなすため、A型事業所にいた頃には考えた事もなかったような失敗も数多くあります。

また、お客さんもどちらかと言えば障害発覚前の職場にいたような、それこそA型事業所のお客さんではあり得ないようなシビアな人が多く、ひどい場合では私も先輩達も皆嫌っているカスハラ客もいます。

それでもスーパー時代とは異なり、接客業界に骨を埋める覚悟ができた事で、やめたい、逃げたいと思わなくなった事、また優しいお客さんに救われたと感じられるようになった事、これらに関しては私も成長できたのかなと思います。

現在のドラッグストアでは、医薬品の販売に欠かせない登録販売者の資格に興味があれば、障害者雇用の短時間パートでも資格取得の支援をして頂けるので、時給を上げ仕事の幅を増やしたいと思い勉強に取り組み、晴れて資格を取りました。

また、資格だけでなく店員としての能力や商品に関する専門的な知識などで待遇が向上し、定期的に能力をチェックする機会が設けられています。

今はまだ店員としての能力は低いですが、先輩から学んで仕事を覚えていけたらと思います。


ここまで振り返って

私が成長したからか、世の中が変わったからか、あるいはその両方か……工場に入社した新卒時代から20年近く経ち、ようやく社会の荒波を上手く泳げるようになった気がします。

「もっと早く自分の特性を知ってA型事業所と出会っていれば」
と、過去をやり直したい気持ちになる事は今もよくありますが、その反面、理想と現実の齟齬が小さくなり社会でやっていけるようになるまでこれだけの年月が必要だったのかなとも思っています。

ここまで来るのにものすごく長い道のりでしたが、現在の職場に出会えて本当に良かったと心から実感し、仕事もプライベートも充実させて最後の最後に笑って終われるような人生を作りたいと思います。

それでは次回の記事でお会いしましょう、ごきげんよう!

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