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0-5から勝ち点100へ——宿敵の玉座は、モウリーニョに何を勝たせて何を失わせたか【2-4】

本編はフットボール史を題材とした、歴史・教養プロジェクトです。歴史的事実には記事末尾に出典を付し、真偽の確定しない逸話は「〜と伝えられる」と区別して語ります。誤りのご指摘は歓迎です。

フットボールノート(FOOTNOTE)は、フットボール史を構造とビジネスのレンズで読み解く連載です。毎週月曜・木曜更新。
この記事は「ペレス&モウリーニョ編」の第4話。第3話とあわせて、マガジンから通しで読めます。

この記事で分かること(読了目安: 約10分)

  1. 当時スペインで「クラシコ戦争」と呼ばれた3年間の実像——0-5の屈辱から勝ち点100の記録まで、敵を作る語り方が組織と人に何をしたか

  2. 「凋落」と呼ばれた13年の中に埋まっていた、史上初の金字塔

  3. 2026年6月11日の帰還が「復讐の完結」ではない理由——選挙公約・違約金・W杯開幕日の発表

【第3話のあらすじ】
「アンチフットボールの帝王」ジョゼ・モウリーニョ(José Mourinho)は、実は1996年から4年間、バルセロナの内側で4年間はたらいていた人間だった。ロブソンとファンハールに重用されながら「通訳(エル・トラドゥクトール)」と嘲笑され、2008年にはバルサ監督の座を求めてプレゼンまで行ったが、能力ではなく「スタイル」を理由に拒絶される——選ばれたのは、彼自身がプレゼン資料でアシスタント候補に挙げていたペップだった。2010年4月、インテルを率いた彼はチャンピオンズリーグ準決勝で史上最強のバルサを撃破し、カンプノウの芝を疾走する。そのおよそ1カ月後、彼が座ったのは——宿敵の玉座だった。
(第3話 → https://note.com/footballnote_jp/n/n3399ce71a40d

タクミ: 『フットボールノート(FOOTNOTE)』ペレス&モウリーニョ編、第4話です。2010年夏、モウリーニョはレアル・マドリードの監督に就任します。バルセロナがこの世で最も憎むクラブ。バルサに拒絶された男が、バルサを倒すことを最大の使命とするクラブに雇われた。

ヒロ: 適材適所すぎて怖いんですけど。「あの会社に落とされた人材を、ライバル会社が最高待遇で採る」って構図ですよね。

タクミ: まさにそれです。——先に、言葉の断りを1つ。この3年間を、当時のスペインの媒体は「ラ・ゲラ・デ・ロス・クラシコス(la guerra de los clásicos)」=クラシコ戦争と呼びました。**そう呼ばれた、という事実の話です。一方、このあと僕が使う「戦争の言語」という言い方は、この連載の分析用の言葉で、モウリーニョやペップが口にした表現ではありません。**二人が実際に何を言い、何をしたかは、これから一つずつ出典つきで出します。——そのうえで、今日の問いはこれです。**クラシコ戦争とは、本当に「外敵の侵略」だったのか。**世界はあの3年間を「美学 対 破壊」の戦争として観ました。でも第3話を読んだ僕たちは、もう知っています。ベンチの両側に座っていた二人は、同じロッカールームで、同じ師のもとにいた兄弟弟子だった。順番に行きましょう。

1. 時代の常識——「バルサは倒せない」

タクミ: 2010年当時の常識を確認しておきます。ペップ・グアルディオラ(Pep Guardiola)のバルサは、ただ強いんじゃなかった。クライフについては後日あらためて一本を割きますが、その言葉を借りるなら、ヨハン・クライフ(Johan Cruyff)のOSが最高出力で回っていた時代です。育成組織から上がってきたメッシ(Lionel Messi)、シャビ(Xavi)、イニエスタ(Andrés Iniesta)が、同じ原則を子どもの頃から刷り込まれた状態でパスを回す。世界中の監督が対策を立てて、世界中の監督が負けました。

ヒロ: 「倒せない」が業界の共通認識だった。

タクミ: だからレアルが雇ったのは、直前にそれをチャンピオンズリーグで倒してみせた男だったわけです。就任時のモウリーニョはチャンピオンズリーグ制覇2回、直近で3冠。キャリアの絶頂です。ところが——最初のクラシコ、つまりバルサとの直接対決で、事件が起きます。

2. 開戦——0-5、ラ・マニータ

2010年11月29日、カンプノウ(Camp Nou)。この試合の前、レアルは首位で7戦無敗。満を持しての乗り込みだった。

結果は——0-5

ヒロ: 0-5……。

タクミ: バルサファンはこの試合を「ラ・マニータ(La Manita)」——「小さな手」と呼びます。5点を、5本の指を広げた手のひらになぞらえた呼び名です。モウリーニョは試合後、こう認めています。「5-0で負けたのはキャリアで初めてだ。我々にとって歴史的にひどい結果だ」。

ヒロ: あの人が、そんな素直に。

タクミ: ここで、ひとつ数字を並べておきます。クライフについてはこの連載で別に一本を割く予定ですが——1974年、クライフのバルサは敵地ベルナベウ(Bernabéu)でレアルを粉砕しています。そのスコアが、5-0。36年後、クライフのOSの継承者が、OSに拒絶された男を、同じスコアで叩いた。

ヒロ: 歴史が対句になってる……。

バルサ VS レアル | 1974年・2010年・2011-12シーズン

タクミ: そしてこの夜を境に、戦いの様相が変わっていきます。ここから記録に残っていくのは、記者会見、審判への抗議、心理戦——ピッチの外へと戦場が広がっていく過程です。スペインサッカー史上でも屈指の、消耗的な3年間の始まりでした。

3. 対立と危機——18日間で4回のクラシコ

頂点は2011年4月から5月。日程の偶然が重なって、リーグ、国内カップ決勝、チャンピオンズリーグ準決勝2試合——18日間で4回のクラシコが組まれた。

ヒロ: 宿敵と18日で4回。考えただけで胃が痛い。

タクミ: 第2ラウンド、4月20日のコパ・デル・レイ(Copa del Rey)——スペインの天皇杯にあたる大会の決勝で、レアルは延長戦の末に1-0で勝ちます。モウリーニョ体制初のタイトル、しかもバルサから。彼のやり方が「効く」ことが証明された瞬間です。ところがその6日後、戦争は言葉の領域で臨界点を超えます。チャンピオンズリーグ準決勝の前日会見。モウリーニョの前日の挑発に対して、あの温厚なペップがマイクの前で爆発した。「この会見室では、彼がクソ親分で、クソ支配者——**エル・プト・アモ(el puto amo)**だ。世界の誰より物知りだ。ここで彼と競う気は一瞬もない」。

ヒロ: 聖人みたいな人に、公式の場でそこまで言わせたんだ。

タクミ: ただし、これも一方的な話ではないんです。ペップの友人の映画監督ダビド・トゥルエバ(David Trueba)によれば、ペップは会見の前に「ひと芝居打つ。選手たちがそれを必要としている」と電話してきたといいます。つまり、あの「爆発」にも計算があった。戦争の言語を使ったのは、片方だけじゃなかった。

ヒロ: どっちも劇場を運営してた、と。

タクミ: そして翌4月27日、CL準決勝第1戦。レアルは自軍のペペ(Pepe)が退場になり、ベルナベウで0-2の敗戦。モウリーニョ自身も退席処分を受けます。その直後の記者会見は、彼のキャリアで最も有名で、最も高くついたものになりました。過去にバルサ戦を裁いた審判の名前を並べて、こう繰り返したんです。「なぜだ?(ポル・ケ/¿Por qué?) なぜオヴレボ? なぜブサカ? なぜデ・ブレーケレ? なぜシュタルク? なぜいつも彼らなのか」。

ヒロ: 審判への、公開の異議申し立て……これ、大丈夫なやつですか。

タクミ: 大丈夫ではありませんでした。UEFAは欧州カップ戦5試合のベンチ入り禁止という処分を下します。ここは正確に扱わせてください。彼の示唆した「偏向」を裏付ける事実は、確認されていません。確認されているのは、彼がそう主張したことと、処分を受けたことです。僕らが読み取るべきは陰謀の有無ではなく、構造のほうです。追い詰められた挑戦者が、負けの理由を外部化する物語を作って組織を束ねようとした。その物語は内側の結束には効くかもしれない。でも代金は、あとから組織全体に請求される。

ヒロ: 「うちが勝てないのは市場のせい、本部のせい」って言い続けるマネージャーの話だ。チームは一瞬まとまるけど……。

タクミ: そして2011年8月、代金の最初の請求書が来ます。スーペルコパ(Supercopa de España)——スペインのスーパーカップの第2戦、カンプノウでの試合終盤に両軍の乱闘が起き、その混乱の中でモウリーニョは、バルサのアシスタントコーチ、ティト・ビラノバ(Tito Vilanova)の目に指を入れました。当時、彼は広報を通じて謝罪を拒否し、世界中から非難を浴びます。約1年後、「明らかに、すべきではなかった」と非を認め、後年の著書ではより明確に「私が間違っていた。あんなことをすべきではなかった。彼に謝罪する」と記したと伝えられています。

ヒロ: ……笑えない事件ですね、これは。

タクミ: 笑えない事件です。省略もしません。戦争の言語は、使い続けると使っている人間を変えていく——その証拠として、これ以上でも以下でもなく記録しておきます。そして消耗は、敵とのあいだだけでなく、身内にも及びました。この荒れたスーペルコパのあと、レアルの主将イケル・カシージャス(Iker Casillas)が、スペイン代表で同僚のシャビに電話をかけ、両陣営で少し頭を冷やそうと動いたと報じられています。国の代表チームが、クラブの戦争で壊れかけていたからです。

ヒロ: 仲裁ですよね。主将の仕事というか。

タクミ: 普通の組織ならそうです。ただ、批判的スタンスで書かれたジャーナリスト、ディエゴ・トーレス(Diego Torres)の著書によれば、モウリーニョはこの電話を「白旗」であり裏切りと受け止めたとされる。以後、クラブの象徴だった主将との関係は崩れていき、それは彼の政権の終わりの一因になったと報じられています。この心情描写は単独著者の解釈を含むので、断定はしません。ただ、戦時の論理では「敵との対話」が背信に見える——構造としては、ありふれた話です。

ヒロ: 戦争のためのロジックが、今度は身内を撃ち始めた。

2010-11シーズン | クラシコ4連戦

4. 転換と結実——勝ち点100と、最悪のシーズン

タクミ: それでも、結果は出るんです。2011-12シーズン、レアルはリーガを制覇します。それもただの優勝ではない。勝ち点100、121得点。どちらも当時のリーガ新記録です。3連覇に向かっていたバルサ帝国を、数字の暴力で止めた。

ヒロ: あの「倒せないバルサ」を、記録づくめで。

タクミ: モウリーニョは後年「あのバルサの支配を、記録的な勝ち点と得点で終わらせた。最高の形でやり遂げた」と語っています。ここ、第3話からの流れで見てほしいんです。史上最強と呼ばれたクライフのOSの最高傑作を、内側でそのOSを4年学んだ男が止めた。**学んだ側が、教えた側を止めたんです。**内側で4年かけて読み取った回路の使い方を、これ以上ないほど分かりやすい形で提出してみせた——という読み方もできる。

モウリーニョ玉座の3年間の損益

ヒロ: でも、この図の右側……代償のほうも積み上がってますね。

タクミ: それが翌2012-13シーズンに、まとめて表面化します。リーガはバルサに奪回され、チャンピオンズリーグは準決勝で敗退、国内カップも決勝で敗れて無冠。ロッカールームの不和とカシージャス問題が報じられ続け、2013年5月、クラブとの相互合意で退任が発表されます。本人の総括は一言でした。「私のキャリアで最悪のシーズンだ」。

ヒロ: 数字は出したのに、組織をすり減らして去っていく……いますよ、こういう敏腕役員。業績は作るんだけど、その部署、あとがぺんぺん草も生えない。

タクミ: 敬意を持って言いますが、その両面評価がフェアだと思います。バルサ側の名手イニエスタは退任直後、「彼はスペインフットボールにダメージを与えた。総じて、良いことより悪いことの方が多かった」とまで言っています。一方でレアルは実際に、あの止められなかったバルサを止めた。成果も代償も、両方とも本物だった。——こうして彼は玉座を降ります。ここから通説では「凋落の13年」が始まるんですが、実はその中に、誰もやったことのないことがひとつ埋まっているんです。

5. 帰還——放浪の13年と、2026年6月11日

タクミ: 退任後の遍歴は、駆け足でいきます。チェルシーに戻ってプレミア制覇、そして解任。マンチェスター・ユナイテッドで欧州のカップをひとつ獲って、解任。トッテナムでは無冠で解任。世間のラベルは決まっていきます。「終わった監督」。

ヒロ: 第3話の「通訳」に続いて、また安いラベルだ。

タクミ: そのラベルの下で、2022年5月25日、ローマで事件が起きます。UEFAカンファレンスリーグ——欧州の3番目のカップ戦の初代王者にローマを導いた。これで彼は、チャンピオンズリーグ、UEFAカップ/ヨーロッパリーグ、カンファレンスリーグ——UEFAの主要3大会すべてを制した、史上初の監督になったんです。

ヒロ: 凋落してる人が史上初って、日本語としておかしいですよ。

タクミ: おかしいでしょう。「凋落」という物語で見ると、この金字塔は見えなくなる。ラベルは便利ですが、雑なんです。——その後、トルコのフェネルバフチェを経て、2025年9月には母国のベンフィカへ。そして2026年です。ここからは、この夏に起きたばかりの話。

レアル・マドリードは2季連続の無冠に沈んでいた。2026年1月、シャビ・アロンソ(Xabi Alonso)監督を在任233日で解任。6月7日、20年ぶりの選挙戦となった会長選で、フロレンティーノ・ペレス(Florentino Pérez)会長が約3分の2の得票で再選される。その選挙公約が、モウリーニョの招聘だった。レアルはベンフィカに違約金1500万ユーロを支払い、6月11日——北中米ワールドカップの開幕日に、就任を公式発表する。3年契約。63歳。13年ぶりの帰還である。

ヒロ: 待ってください。公約ってことは、ソシオ——会員の投票で選ばれて戻ってきたってことですか。

タクミ: そこが今日いちばん言いたかったことです。2013年、彼は組織を消耗させて、事実上追われるように玉座を降りた。その同じ組織の「民意」が、13年後、選挙を通じて彼を呼び戻した。これは復讐の完結ではないんです。復讐なら、奪い返して終わりの物語です。でも彼に起きたのは——一度うまくいかなかった場所から、もう一度選ばれたという出来事です。

13年ぶりの帰還

ヒロ: 63歳で、自分が一番消耗した職場に戻る決断って、どういう気持ちなんだろう。

タクミ: 心情は本人にしか分かりません。ただ、ひとつ気になる話があります。2026年に入って、彼の古い映像クリップが再拡散したと伝えられているんです。そこで彼はこう語っていた——「今日も、明日も、いつまでも、バルサを心に」。

ヒロ: ……最後まで、バルサなんですね。

タクミ: 拒絶されて、追い出されて、戦争までして、それでも彼の中の4年間は消えていないのかもしれない。そして63歳のモウリーニョの、13年ぶりのシーズンは、もう始まっています。**リーガの初陣は8月22日、アウェーのエスパニョール戦。ベルナベウでのホーム初戦は、開幕節から延期されていたレアル・ソシエダ戦で、この記事が出る今週——8月26日に組まれていました。**彼の中のバルサの4年間が、今度は宿敵の玉座で何を作るのか。**答えはもう出はじめていて、まだ出そろっていない。**それはここから、僕たちがリアルタイムで観られる物語です。

6. 今日の脚注(FOOTNOTE)——フットボール史をメタ認知する

タクミ: 今日の脚注(FOOTNOTE)です。前後編の締めなので、3点。

① 戦争の言語は、勝っている間も代金を積み上げている。 敵を作る物語は組織を素早く束ねます。実際、モウリーニョのレアルは勝った。でも「敵との対話」を裏切りと見なすロジックは、やがて仲裁者だった主将を撃ち、ロッカールームを撃った。外向けの武器は、必ず内側でも作動する。請求書は、勝利の後に届きます。

② 「凋落」というラベルを貼ると、金字塔が見えなくなる。 世間が「終わった監督」と呼んだ13年の中に、UEFA主要3大会全制覇という史上初の実績が埋まっていました。人のキャリアを一本の右肩下がりの線で語るのは、たいてい事実より物語の都合です。第3話の「通訳」も、今回の「終わった監督」も、同じ雑さでできている。

③ 組織との再会は、復讐ではなく再選択として起きる——という見方もできる。 2026年の帰還を「復讐の完結」と呼ぶのは簡単です。でも実際に起きたのは、一度消耗し合った組織と人が、選挙という手続きを挟んで、互いをもう一度選んだという出来事でした。決裂した会社に出戻る人、手放した人材を呼び戻す会社——そこにあるのは執念の物語とは限らず、双方が13年分の学習を済ませた上での、二度目の契約なのかもしれません。

ヒロ: 第3話の採用の話から始まって、出戻り採用の話で終わった……人事の話として一本筋が通ってるの、ずるいです。

タクミ: 拒絶された弟子の物語は、まだ終わっていません。続きはこの秋、ベルナベウで。それではまた次回、『フットボールノート(FOOTNOTE)』でお会いしましょう。


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出典リスト(後編・本編で使用したものだけを掲載)

音声版: 本記事の音声版は、音声合成ソフト AivisSpeech(音声モデル: 阿井田 茂/まお)で作成しています。


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