短編小説|怖がりな司書
ここは、性格町。
個性豊かな十六人の住人が織り成す物語。
すこし風が吹いて、琥珀色の街灯が灯る時間。
街の骨組みに、夕暮れの桔梗色がじんわりとしみ込んでいく。
中央通りの片隅から漂う、古びた紙とインクの、静かでどこか冷たい匂い。
十歳になる"とおる"が、その匂いに誘われるように、ツタの絡まる古い煉瓦造りの図書館の扉を押した。
ギイ、と重く静かに鳴る蝶番。
巨大な本棚の影に隠れるようにして、背中を丸め、身を小さく縮めている"こわがり屋"の女性司書。
足元には返却された本が山積みになり、彼女の手は微かに震えながら、一冊の本を棚に戻している。
とおるの足音に気づくと、司書はビクリと肩を震わせ、暗がりの向こうで、怯えた目をぎゅっと見開いた。
「ひっ……!」
小さく息を呑み、逃げ出すように身を引く。
「あ、あの、今は声をかけないでほしいんです……! この棚の隙間風が、いつか天井を崩すかもしれないって思うと、怖くて仕方がなくて……!」
止まることのない震えが、司書の細い肩を揺らし続ける。
とおるは、その怯え方に戸惑いながらも、まっすぐに見つめた。
「どうして、毎日いる場所なのにびくびくするの?」
とおるの素朴な問いに、司書の震える手がぴたりと止まる。
司書は、自分が抱えた古い本の表紙をぎゅっと握りしめ、一瞬涙ぐんだ表情を見せるも、震える唇をそっと噛み締めた。
「……怖いよ。誰もいない夜も、知らない誰かに声をかけられることも、地震が来るかもしれないこともぜんぶ」
暗がりの中で、大切そうに本を抱きしめている。
そのとき、ギイ、とドアベルが鳴り響いた。
扉を開けて入ってきたのは、眉間に皺を寄せた、調べ物をしている街の住人。
「おい、古い地図を探しているんだが、どこにある!」
荒々しい声に、司書はビクリと跳ね上がり、両手で頭を抱えて身を縮こまらせた。
「ひっ……! ち、地図ですね……! お、お持ちしますから、どうか怒鳴らないでください……!」
司書は震える足取りで本棚の間を案内し、奥から古びた一枚の地図を取り出して、そっと差し出した。
住人は地図を受け取ると、表情を和らげた。
「……すまないな、いつもここにしかないから助かってるよ」
さっきまで消え入りそうだった司書の顔に、パッと安堵の光が灯る。
「あ……ありがとうございます……! よ、よかったら次の面白い地図も用意しておくので……。あっいや、その、失礼します……!」
司書はバタバタと慌てて逃げるように、いつもの書架の隙間にすべり込んだ。とおるはその様子を見届けながら、図書館を後にした。
そのすぐ横を、"あまえたがり屋"の少女が「ねえ、おんぶしてよ」と服の裾をぎゅっと引っ張る。
とおるは一人、丘への坂道を登っていった。
少し離れた時計台のテラスでは、「うーん、この理論で正しいはずなんだが」と真鍮の望遠鏡を覗きながら、"りくつ屋"のおじさんが佇んでいた。
ズボンのポケットの銀の鍵に、そっと触れる。
やはり、カチリとも鳴らない、不思議な鍵。
一番高い場所にある、古い木の扉を小さく叩いた。
鍵のあく音がして、氷のように透き通った目をした"性格屋"が、「やあ」と言って、とおるを迎え入れた。
机の上には、一本の蝋燭と、二つの白い湯呑み。
"性格屋"は、温かい薄荷の香りのするお茶をとおるの前に置き、自らも隣へ腰掛けた。
庵の窓の外には、街には訪れないはずの、本当の夜の美しい星空。
「"こわがり屋"のお姉さん、怒鳴られてすごく怯えていたのに、地図を渡したらなんだか嬉しそうだったんだ」
とおるは、湯呑みの温かさを手のひらで受け止めながら、ぽつりと言った。
"性格屋"は、ちいさく湯気を揺らし、窓の外の、夜に溶けていく銀河の河原を見つめた。
「とおる、こわがり屋はね」
その声は、夜の風のようにひんやりとしていた。
「あらゆることに怯え、傷つくことを恐れて、身を縮めているんだよ」
とおるは黙って、お茶をすすった。
「でもね、震えながらも手渡したその本は、誰かの暗闇を照らす灯りになる。臆病な背中ごしに、彼女はちゃんと世界と繋がっているのさ」
喉の奥があたたかく、けれど、どこかひんやりとした。
遠くの時計台の鐘。
街に響く、夕寝の合図。
街の住人たちは、窓辺でお鍋をカタカタと鳴らし、あたたかい山羊のミルクを飲む。
図書館の奥でも、ようやく震えを鎮めた司書が、温かいミルクを口に運んでいた。
それぞれの場所で、住人たちはスヤスヤと眠りにつく。
窓の外では、彼らの長い影がすっかり夜の闇に溶け、ただ、銀河の河原のような美しい星空が、性格町を見守っていた。
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