東京横浜独逸学園 横浜市都筑区に移転【9月20日】 (入新井特別出張所) #440
※本記事は
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公開しています。
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※史料に基づき記述していますが、
必要に応じて
考察が入る場合があります。
東京横浜独逸学園略歴
1904年 (明治37年) 9月20日
横浜において
日本で最初の独逸学校が
開校されました。
開校時の生徒は
3か国9名の男女生徒が在籍し
民家を校舎としていました。
1923年 (大正12年) 9月1日
関東大震災により被災し
閉鎖を余儀なくされました。
また
多くのドイツ人も
瓦礫の山となった
横浜から東京へ
引っ越しを余儀なくされました。
1923年 (大正12年) 10月22日
在東京独逸学校協会の設置が
可決されました。
1923年 (大正12年) 11月27日
2名の教師で
12名の生徒を迎え、
OAG(東アジア自然・民族学協会)の
施設を借りて
東京独逸学校として
授業を開始できるようになりました。
1925年 (大正14年) 春
品川駅からさほど遠くない
大田区の山王に
新校舎の用地が見つかり、
計画が実行段階に入りました。
1925年 (大正14年)
大田区の山王に校舎を移しました。
1926年 (大正15年)
山王の校舎が焼失しました。
1927年 (昭和2年)
焼失した校舎の近くに
新しい校舎を建設しました。
1933年 (昭和8年) 10月2日
新たに、
現在のジャーマン通りの近くに
新校舎が落成しました。
生徒は51名でスタートしました。
1942年 (昭和17年)
最初の4人のAbitur取得者を
輩出しました。
1944年 (昭和19年)
第二次大戦激化のため
軽井沢などに疎開しました。
1945年 (昭和20年)
山手にあった横浜校が閉校しました。
戦後は
休校を余儀なくされ
さまざまな場所に移転を
繰り返しました。
1953年 (昭和28年) 12月1日
学校法人東京横浜独逸学園として再建。
17名の生徒と教師5人で
授業が再開されました。
1960年 (昭和35年)
高校卒業資格取得者を輩出しました。
1966年 (昭和41年)
新校舎建設のため、
旧校舎の取り壊しが行われました。
工事の期間中は
さまざまな学校に身を寄せました。
1967年 (昭和42年) 11月23日
新校舎が完成しました。
1970年以降
西ドイツとの経済関係が深まるにつれて
生徒数が急激に増加し
1971/72には生徒数が初めて
400名を超えました。
1990年 (平成2年) 9月11日
新校舎の起工式が行われました。
1991年 (平成3年) 8月30日
横浜市都筑区仲町台の
新校舎の引き渡しが完了しました。
1991年 (平成3年) 9月6日
新校舎での授業が、
450名の生徒とともに
開始されました。
1991年 (平成3年)
生徒数増加のため
大田区山王から
横浜市都筑区仲町台へ移転しました。
東アジアに現存する
独逸在外学校の中で
最も古い学校となっています。
ジャーマン通り由来
一般的には
この東京横浜独逸学園が由来と
されていますが
パン屋さんの名前が由来
という説もあるようです。

撮影:かえる11号

撮影:かえる11号
おわりに
学校がなくなってもなお
学校の記憶を遺す
ジャーマン通り。
Otapediaは、
東京横浜独逸学園を
「大田区無名の呼称」
「大田区無名の組織・集団」
として
ジャーマン通りを
「大田区無名の呼称」
として記録します。
Otapediaは、
大田区の記憶を
未来へ遺すという
理念のもとに活動しています。
私たちは、
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。
人々の活動や風景、
残された痕跡は姿を消しても、
地域に刻まれた軌跡を
未来へと伝えていきます。
記事内で使用している
独自の顕彰は、
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。

出典
1.『大田区政五十年史』年表・資料・索引
2.『東京横浜独逸学園』Wikipedia
3.『Deutsche Schule Tokyo Yokohama』
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