馬込地区に電車を (馬込特別出張所) #427
※本記事は
Otapedia 公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
公開しています。
無断転載・改変・商用利用を禁じます。
© Otapedia 2025
※史料に基づき記述していますが、
必要に応じて
考察が入る場合があります。
大正末期から昭和初期の馬込
関東大震災後
大田区各地に
多くの人々が移住してきました。
馬込地区には
都心に通勤する人々向けの
貸家が建てられました。
馬込から電車に乗るには
当時の馬込の住人達が
電車に乗るには
1927年 (昭和2年) に開通した
目黒蒲田電鉄の荏原町駅か
省線大森駅へ
夏は土ほこりが舞い上がり、
冬は赤土に立つ
長い霜柱の道を
歩いて通わなければいけませんでした。
品鶴線の計画
1921年 (大正10年) 頃
貨物専用線・軍用列車の路線として
計画され土地買収が始まりました。
駅ができることを見込んで
近隣住民は
お国のためなら
また、
将来上池上付近に
駅ができるかもしれないという
話もあり、
坪単価7円~13円という
安い金額で買収に応じました。
そして
いつどこに駅ができてもいいように
4線路分の広い土地を提供しました。
品鶴線が開通
1929年 (昭和4年) 8月21日
馬込地区の中央部を抜け
調布嶺にかけて
非電化の貨物専用線
品鶴線が開通しました。
貨物列車と機関車の煙
蒸気機関車が
まっ黒な黒煙を吐きながら、
数十輌の貨車を引いて通るばかりで、
地域住民はばい煙をあびせられるのみで
線路開通の恩恵を受けることは
ありませんでした。
大森区議・加藤三郎の訴え
1933年 (昭和8年) 7月14日
馬込町選出の加藤三郎議員が
品鶴線に住民のための
駅設置について訴えました。
「交通機関トシテ電車ヲ」
品鶴線ト称スル東海道本線品川駅カラ
大東京ノ西南部品川荏原大森等ヲ過ギテ
神奈川県鶴見ニ至ル線デアルノデアリマス。
本区ノ内馬込、池上、東調布ハ坪数
約十万、人口約数万デアリマス、
然カモ此ノ沿線ハ概シテ風光明媚ニシテ殊ニ
気候温和ニシテ住宅地トシテハ
最モ適当ナル所デアリマス、
此ノ中央部ヲ此ノ品鶴線ガ
通ッテ居ルノデアリマス、
此ノ品鶴線ハ貨物線デアッテ
毎日煤煙ヲ吐キツヽ古イ汽車ガ通ッテ居ルノデアリマス、
交通機関ノ不備ナル所ニ此ノ貨物線ガ通ッテ居ル居ル為ニ
色々ナ点ニ於テ不利益ヲ蒙ッテ居ルノデアリマス、
ソレデ此ノ附近ニ住ンデ居ルモノデ
色々鉄道省ニモ陳情ヲシテドウカ
交通機関トシテ電車ヲ通シテ貰ヒタイト云フヤウニ
陳情ヲシテ居ルノデアリマスガ、
今回ハ此ノ附近ノモノダケデハナク
大森区ノ希望トシテ皆サンノ御賛成ヲ得テ
当局ニ陳情シテ頂キタイト思いヒマシテ
茲ニ提案ヲ致シタ次第デアリマス、
ドウゾ諸君ニ於テモ満場御賛成ノ上
可決シテ下サルヤウニ
御願ヒ致シマス。
以上本文のまま
駅を求める住民たち
調布嶺、根方、馬込の住民は
一丸となって駅舎誘致運動を
起こしましたが
実現には至りませんでした。
時間が経っても
加藤三郎の声は届きませんでした。
電化されても貨物線
1939年 (昭和14年) 8月1日
品川~新鶴見操車場間が
(現・新鶴見信号場)
電化されました。
依然として貨物専用路線でした。
旅客化案の浮上
昭和30年代頃には
旅客化が実現するという話も
持ち上がりましたが、
実現にはつながりませんでした。
駅のための土地が新幹線へ
1959年 (昭和34年) 5月26日
IOC総会において、
第18回オリンピックの開催地を
東京に決定すると、
駅を作るために残しておいた土地が、
そのまま東海道新幹線建設予定地に
転用されました。
1962年 (昭和37年) 2月より
新幹線の準備工事が始まりました。
1963年 (昭和38年) 1月
大田区内では、
昼間に列車の通らない時間を設け
新幹線の高架工事が進められます。
東海道新幹線の開通
東京オリンピック開幕直前の
1964年 (昭和39年) 10月1日
東海道新幹線が開通しました。
馬込住人が求めていた鉄道が別路線で開通
都営地下鉄として初の路線
都営地下鉄1号線が
(現・都営浅草線)
1968年 (昭和43年) 11月15日
馬込地区に延伸して
加藤三郎の訴えから35年
馬込に念願の鉄道路線が
開通しました。

撮影:かえる11号

撮影:かえる11号
その後の品鶴線
開通から51年経ってようやく
旅客営業が開始され、
1980年 (昭和55年) 10月1日
新川崎駅が開業しました。
1986年 (昭和61年) 4月2日
西大井駅が開業しました。
2010年 (平成22年) 3月13日
武蔵小杉駅が開業しました。
しかし、
2026年 (令和8年) 現在
大田区内の品鶴線に
駅は設置されていません。
もしもの考察
東京オリンピックが
開催されていなかったら
品鶴線はどうなっていたでしょう?
1980年 (昭和55年) 10月1日
品鶴線を経由して
横須賀線の旅客列車が
走り始めた時、
JRの
馬込駅か上池上駅が
新川崎駅と一緒に
開業したかもしれません。
もしくは
もっと早く旅客化が
進んだかもしれません。
今となっても
「もしも」としか言えませんが
違う未来を想像してしまいます。
おわりに
現在の大田区には
新空港線(蒲蒲線)計画があります。
私は、
新しい路線を作ろうという意思の組織が
集結しているのなら
建設するべきだと考えています。
Otapediaは、
鉄道駅設置の活動を行った
大森区議・加藤三郎氏を
「大田区無名の偉人」
として
品鶴線が開通した
8月21日と
都営地下鉄1号線
(現・都営浅草線)
が開通した
11月15日を
「大田区記憶の日」
として記録します。
Otapediaは、
大田区の記憶を
未来へ遺すという
理念のもとに活動しています。
私たちは、
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。
人々の活動や風景、
残された痕跡は姿を消しても、
地域に刻まれた軌跡を
未来へと伝えていきます。
記事内で使用している
独自の顕彰は、
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。

出典
1.『大田区史 下巻』
2.『品鶴線』Wikipedia
3.『東海道新幹線』Wikipedia
4.『都営地下鉄浅草線』Wikipedia
ヘッダー
5.『西馬込駅』おおたWeb写真館
#かえる11号
#Otapedia
#デジタルアーカイブ
#地域史
#LocalHistory
#SDGs11
#大田区
#OtaCity
#馬込特別出張所
#関東大震災
#省線大森駅
#目黒蒲田電鉄
#荏原町駅
#品鶴線
#蒸気機関車
#加藤三郎
#電化
#東京オリンピック
#東海道新幹線
#都営地下鉄1号線
#おおたWeb写真館
#都営浅草線
#新空港線
#蒲蒲線
#新川崎駅
#西大井駅
#武蔵小杉駅
#8月21日
#11月15日
#大田区特別顕彰区民
#大田区準特別顕彰区民
#大田区裏名誉区民
#〇〇の父
#日本初
#日本一
#23区初
#大田区初
#大田区発祥
#大田区唯一
#大田区の逸品
#大田区無名の偉人
#大田区無名の企業
#大田区無名の産業
#大田区無名の風景
#大田区無名の呼称
#大田区無名の組織・集団
#大田区陰の功労者
#大田区未顕彰の地域遺産
#大田区記憶の日
いいなと思ったら応援しよう!
いつもご覧いただき、誠にありがとうございます。
皆様からの温かいご支援が、
私の活動の大きな支えとなります。