人生の最終段階で、親孝行が決まる?
時々思うことがあります。
親孝行って、「親が人生の最終段階でどう思うか」なのかな?って。
例えば、私は10年以上、実家とは連絡を取っていません。
これは、親からすると「親孝行してくれている」とは到底言えないでしょう。
でも、私は既に「親孝行は、しつくした」と思っています。
・子供時代からずっと、母の愚痴を聞いてきた
・親の望み通り、公務員になった
・孫を見せてあげられた
・祖母(母の実母)が入院先で死去するまでキーパーソンとして動いた
(母は病院にクレーマー扱いされたため、私がキーパーソンになった)
・父が「がんの治療」をする際、病院選びや予約の取り方まで「分からないからやって欲しい」と母に頼まれ、全て引き受けた
両親共に公務員だった話はこちら↓↓
道を外さず、愚痴も聞いてあげて、医療面でもサポート。
でも、色々あって今は音信不通。
これだけのことをしてきても、結局は「親不孝者」と思われている。
かなり前、母から夫の携帯に電話があって、私のことを「親不孝」と言っていたそうだ。(私は母からの電話は着信拒否にしています)
若い頃に「やんちゃ」していて、親に心配や迷惑をかけていても、親の人生の最終段階で良好な関係を築いていれば、親としては「親孝行してくれた」となると思います。
例えば夫。
夫曰く、中学高校時代は、親とはほとんど口をきかなかったらしい。
別につっぱってた訳じゃなく、単に中学高校の時は友達と遊ぶのが楽しくて、親なんかと話す気になれなかったと言っている。
夫の母は専業主婦のため、家にいつも母親がいるのもうっとおしくて、それで家にもあまりいたくなかったらしい。
現在、義父が病気療養中なのですが、夫は時々実家に連絡するくらいで、何も手伝ったりはしていない。
でも、私は「親孝行だな~」と思う。
義母もそう思っているはず。
というのも、まず、声かけが丁寧。
夫が時々実家に電話をする際、とても穏やかで優しい。
「こんにちは、〇〇です」
「暑くなってきたね」
「元気でしたか? 体調はどうですか?」
こんな感じです。
私も聞いていて、堅苦しいとは思わず、夫の両親への気遣いを感じます。
実親とはいえ、あくまで別世帯だし、こっちもいい大人だから丁寧に話している、って感じです。
自然体に親子で話せています。
中学高校時代に全く親と話をしていなくても、大人になって、こんなに何のわだかまりもなく話をすることってできるんだ、って思います。
おそらく、私が子供時代に感じた「機能不全家族」という感覚が夫にはないので、義理親に対しても邪気がないんです。
いろいろあっても、親は親。
気が向いた時に連絡すれば、昨日会ったように話をすることができる。
親も「なぜ頻繁に連絡してこないのか」なんて言わない。
連絡が来たときに、ただ受け止める。
これが本来の自然な親子の姿という感じでしょうか。
私には到底無理だけど……。
主に電話に出てくれるのは義母なのですが、息子(夫)から気遣いある電話をもらえて嬉しいと思う。
義父の体調管理とか病院通いとか、義母も気苦労は多いはず。
愚痴を聞いてくれたり、病院に付き添ってくれたり、そういう具体的なことは何もしなくても、時々連絡をくれる息子、その声を聞くだけで有難いと思っているはずです。
長年、親の愚痴を山ほど聞いてあげて、医療面でもサポートした私。
一方、学生時代は全く親と話さず、今でも具体的には何もしていない夫。
実際に私が親のためにかけた時間や労力は、夫のそれとは計り知れないほど多い。
それなのに、親の人生の最終段階での「評価」としては、
連絡を取っていない私は「親不孝」
連絡してあげている夫は「親孝行」
こうなります。
でも、これは私と夫の何が違うかというよりかは、義両親(特に義母)の人柄というか心持ちなんだと思う。
私も義母とだったら、最後まで親と子の関係で付き合いたいと思う。
「何もしてくれなくていい。ただ元気でやっていてくれればいい」
義母が夫に思うように、私も息子に対してそう思います。
そういう意味では「親の人生の最終段階」ではなく、「子供が生まれた瞬間から、その子はもう親孝行をしている」と言えるのではないでしょうか。
それぞれの家庭によって事情は異なるので、正解なんてありません。
でも、夫が義両親に電話をしている姿を見るたびに、
「私はこうして親と自然体で話せたことないな」
「私だって、親にはいろいろやってきたんだけどな」
って思います。
それでも、親と連絡を取るのをやめた決断を、全く後悔していません。
むしろ、このまま平穏な毎日が続くことを祈っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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