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【徒然日記】こぼれなかった言葉たちのゆくえ

今日は、理不尽についての話。
(センシティブな内容に見えるかもしれませんが、過去に自分が考えていたことの整理です。今の私は、元気にあわあわしていますのでご安心を(笑))


「許す」という言葉は、やさしさのように見えて、ときどきずいぶん曖昧です。
以前、別のエッセイで「真実」について書きました。

すべてを一つの物差しで測れないことも、わかっている。

けれど――
なんでも許しているわけではない。
理不尽まで抱え込んで、笑って流せるほど、私は器用じゃない。

腹が立つこともある。
飲み込んで、言葉にしないまま終わらせることもある。
そのたびに、少しずつ澱のようなものが、胸の奥に沈んでいく。

きっと、どこかで誰かが、この流れを断ち切らないといけない。
同じかたちの理不尽が、当たり前みたいに繰り返されていくなら、なおさら。

でも、ふと立ち止まる。
じゃあ、そのときの私の思いは、誰が汲んでくれるのだろう、と。

声をあげることは、誰かを守ることにつながるかもしれない。
けれど同時に、自分の中のやわらかい部分を、削ることにもなる。

正しさと、やさしさと、疲れ。
そのどれもが、少しずつ私を引っ張って、均衡はいつも不安定だ。

それでも、と思う。

いまはうまく言葉にならなかったものも、
飲み込んだままの気持ちも、
きっとどこかで、意味を持つ日が来る。

誰かが拾うのかもしれないし、時間の中で、形を変えて返ってくるのかもしれない。

それは、いまの私にはわからない。

ただひとつ言えるのは、私が感じたことは、なかったことにはならないということ。

たとえ誰にも汲まれなかったとしても、その感情は、どこにも行き場がないわけではない。

私は、私の中の真実を持っている。
そしてそれは、他の人の真実とは違うこともある。

誰かにとっては過ぎ去った過去で、
誰かにとっては思い出したくない記憶で、
私にとっては、忘れられない理不尽で。

けれど、それを恨み続けることが、
自分を前に進めてくれるわけでもない。

だから考えていた。
この出来事を、他者の問題としてではなく、
自分の中でどう捉えていくのか。
そして、どんな未来に向かっていくのか。

それだけが、自分にできることだと。

そんなことが、頭の中を占めていた時間もありました。

自分の受け止めや、
自分の中の真実が、どこへ向かっていくのか。

未来だけが、それを知っている。
そう思っています。


実は、この記事はゴールデンウィークの旅に出る前、下書きとして書き上げていました。
今は、少し長めの旅から帰ってきて、懐かしい方々との再会を楽しみながら、その余韻に浸っています。

あの頃の自分にも、信じていたこと、感じていたこと、願っていたことがたくさんありました。
思い描いた通りに続いていないものもあるけれど、それでも、それらは確かに今の私の中に残っています。

そんなことを、しみじみと思う今日この頃です。

過去の自分へ。
ふくふくした気持ちは、ちゃんと待っているよ。
だから、そのときそのときに見えた世界を、感じた世界を、一生懸命に生きてね。


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