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責められてないのに、つい弁明してしまうのはなぜ?

学生時代から、美術館に行くのが好きでした。

広い展示室を歩いて、気になる絵の前で少し長く立ち止まってぼーっと眺める。ミュージアムショップをのぞき、気に入った絵のポストカードを見つけたら買って帰る、までがセットです。

帰り道、お気に入りのポストカードをバッグの中に忍ばせて歩くときのほくほく感。好きなんですよね。

最近一緒に展示を見に行った友人に、美術館好きなんだねと言われました。
そうなんだよね、と答えました。

この会話のあと、「そういえば以前の私は、こういう何気ない一言に対しても無意識に理由を探していたな」と思い出しました。

「ちゃんと勉強したわけではないけど」とか、「知識として役に立つから」とか、そういう補足をつけないと、自分の好きが落ち着かなかった。

今は、あまりそこまで深く考えなくなりました。
好きな理由は、言おうと思えばいろいろ言えるけども。

聞かれてもいないし、責められてもいないのに説明してしまう。あの現象って一体何だったんだろうか。


7歳、所有権について考える


7歳の頃、家族で引っ越したばかりの私は、母方の親戚の子たちとよく遊んでいました。その中に、4つほど年上の女の子がいました。

子ども社会における年上の女の子というのは、なかなか手強い存在です。言葉がうまいし、頭の回転が早いし、なんとなく場を仕切る力がある。7歳の私は、まだその圧にうまく対抗できませんでした。

ある日、私が大切に集めていたシールを見て、「これ、わたしも集めてるから、もらっていい?クロワはいっぱい持ってるし、いいよね」と言ってきました。

そして、返事をする前に持っていかれました。

そんなの、たまったもんじゃない。それは私のものだったし、私はそれが好きだった。
すぐにその子に「ダメ」「いやだ」と言えばよかった。
でも、圧に負けた。言えなかった。

その時、本能的にそう思いました。

このままだと、私のものが全部あの子に取られる……!

7歳の私は、整理された思考を持っていません。自分の気持ちをきれいに説明する力も、相手との距離を冷静に測る力も、まだありません。

好きなものを守るためには、相手に納得してもらえる証拠がいる。
そこから私は、自分の好きなものを守るために、意識もせず理由を探すようになりました。

畳の上で展開された所有権争い、弁明する7歳。

たぶん私が正当性について考える時、記憶している中ではこれが最初の出来事でした。
(そのあとでちゃんと返してもらったので、安心してください笑)

求められてない弁明


歳を重ねるにつれて、その癖は少し形を変えました。

私は、なにかにつけて先に理由を用意するようになっていました。
それが、誰かに何かを取られそうな場面ではなかったとしても。

「それ買ったんだ」と言われただけで、「安かったから」「前から必要で」「ポイントがあって」と予防線を張ってしまう。
たいしたことじゃないんだけど、と先に自分を小さく見せることが癖になっていました。

美術館に行くのは、勉強になるから。ポストカードを買うのは、部屋に飾れるから。何かしら理由があると、自分の中で許可が下りる気がする。

これはいったい、誰に証明するためのものなのか。

たぶん問題は、「好きなものに理由があるかどうか」ではないと思います。

もっと奥の方にある、予防線を張ってまで守らなければならないと思っている不安感。そして、正当性がなければならないのはなぜなのかということ。

そもそも、なんで予防線がないと安心できないかということ。

質問は、攻撃ではない。会話は、審査ではない。

「好きなものの話をするたびに自分を弁護しなくていい」ということに気づくまで、ずいぶん長かった気がします。


クローゼットの中に残っていたもの


この前クローゼットの奥の方を整理していたら、昔美術館で買ったポストカードがひょっこり出てきました。

ラファエロの、大公の聖母。

少し角がよれていて、紙の色もなんとなく古い。でも見た瞬間、ああこれ好きだったな、と思いました。
この作品の前でどのくらい立ち止まっていたかまでは覚えていないけど、家に置いておきたかった気持ちはなんとなくわかります。

いつのまにか、私は、弁護する必要もすっかりなくなっていました。

飾るかもしれないけど、どこかにしまったまま、何年か経ってまた見つけるかもしれない。それでもいいと思う。

美術館の帰り道の、あのちょっと嬉しい気持ちにまで、正当性は必要ない。
聞かれてもいないのに、誰かを、自分を納得させようとしなくていい。

好きな理由を話すのは、楽しいことです。
必要な時に説明するのは、それでいい。ただ、毎回弁護席に座ることもない。

私は今、責められているんじゃない。
好きなものの話をしているだけなのだから。


▼肩の力を抜いて生きるために考えたこと


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