季節で、行事を思い出せるようになった。それが「日本人になった」ということかもしれない
日本は、季節の行事が多い国です。
お正月、節分、ひな祭り、お花見、こどもの日、七夕、夏祭り、花火大会、お盆、お月見、七五三、大晦日。数えたらきりがない。
しかも、それぞれに「やること」が決まっている。
豆をまいて、短冊を書いて、浴衣を着て、団子を供えて。
日本に来たばかりの頃、僕はこれを、
全部カレンダーで覚えていました。
2月は節分。3月はひな祭り。夏は祭りと花火。
そうやって、頭で、日付とセットで暗記していた。
外国人にとって、これらの行事は「勉強するもの」だったんです。
テスト範囲みたいに、順番に覚えていく。
でも、最近、あることに気づきました。
もう、カレンダーで覚えていないんです。
たとえば、今の時期。
日が暮れても空気が生ぬるくて、どこか遠くで太鼓の音が聞こえてきたりすると、体が勝手に「あ、夏祭りの季節だ」と反応する。
日付を確認したわけじゃない。
蒸し暑い夜の匂いと、風にのってくる音で、体が先に気づくんです。
花火もそうです。
夕方、空がまだ少し明るいうちに、浴衣を着た人たちが駅の方へ歩いていくのを見かけると、「あ、今日どこかで花火大会だな」と分かる。
スマホで調べなくても、街の空気で分かる。
朝の空気が少しゆるんできたとき、「あ、そろそろ節分か」と思う。
夕方の風が涼しくなってきたとき、ふと「お月見の時期だな」と感じる。
日付を見て思い出すんじゃなくて、季節の空気で、体が先に気づく。
これって、けっこうすごいことなんじゃないかと思ったんです。
日本で生まれ育った人は、たぶん、これを自然にやっています。
暑さや寒さ、光の色、風のにおい。
そういう季節の変化と、行事が、体の中で結びついている。
「そろそろあれの季節だ」と、感覚で分かる。
僕には、それがありませんでした。
フィリピンで育った僕の体には、
日本の四季のリズムが入っていなかった。
だから最初は、頭で覚えるしかなかった。
でも、17年かけて、いつの間にか、
季節と行事が体の中でつながっていた。
これは、日本語が上手くなるのとは、また別の話です。
日本語は、意識して練習して覚えた。でも、この季節の感覚は、練習して覚えたものじゃない。
17年、日本の空気の中で暮らしているうちに、勝手に体に染み込んでいた。
言葉は、努力で手に入れられます。
でも、季節を体で感じる感覚は、努力じゃ手に入らない。
ただ、その土地で、長く暮らすしかない。
時間をかけて、その場所の空気を、体に通すしかない。
だから、季節で行事を思い出せるようになったとき、
僕は初めて、「あ、自分は本当に日本で生きてきたんだな」と思いました。
日本語で気づかれないことより、
この方が、よっぽど「日本人になった」感じがしたんです。
もちろん、僕はフィリピン人です。
それは変わりません。
でも、体に日本の四季が刻まれている外国人、
というのも、悪くないなと思っています。
今年ももうすぐ、風で季節の変わり目を感じる時期が来ます。
そのとき、また体が勝手に、次の行事を思い出すはずです。
その瞬間が、けっこう好きなんです。
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