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「日本人みたいだね」が、うれしいのに少しだけ痛い理由

「日本語、うますぎませんか」
先日も言われました。もう何百回目かわかりません。

言われるのは、だいたい初対面の場面です。しかも、相手がまだ僕の名前を知らない状態のとき。
僕はフィリピン人なので、苗字も名前もカタカナです。つまり名前さえ出てこなければ、外国人だと判断される材料が何もない。実際、その前情報がない状態で話し始めると、ほぼ100%日本人だと思われます。

会話がしばらく進んで、どこかのタイミングで名前が出る。そこで相手の中の前提がひっくり返って、あの一言が出てくる、という流れが一番多いです。
基本的にはうれしいです。というより、いつもうれしい。ありがとうございます、と返して、話はそのまま次に進みます。相手に悪気なんてまったくないし、むしろ良かれと思って言ってくれている。それは、ちゃんとわかっているつもりです。
ただ、この言葉を言われたとき、たまに一瞬だけ返事が遅れることがあります。
その一瞬に自分の中で何が起きているのか。17年経っても、まだうまく言葉にできていないっていうところですね。今日はその話を書いてみようと思います。

まず、うれしいのは本当です

僕はフィリピンで生まれて、フィリピンで育ちました。日本に来て17年になります。今は日系の企業に勤めています。

初対面の人に外国人だと気づかれることは、ほぼありません。体感で、95%は気づかれない。というより、さっき書いたとおり、気づかれるきっかけは基本的に名前だけです。話し方そのもので疑われることは、ほとんどないっていうところですね。

これは、けっこう本気で誇りに思っています。

日本語が話せるようになりたかったんじゃなくて、日本語で「気づかれない」ようになりたかった。文法が合っているとか、単語を知っているとか、そういう話ではなくて、間の取り方とか、相槌の打ち方とか、笑うタイミングとか。そういうものを17年かけて拾い集めてきました。

だから「日本人みたいだね」は、僕にとって答え合わせみたいなものなんです。やってきたことが間違っていなかったと言われているような感覚があって、単純にうれしい。ここは本当に、まったく嘘がないです。

ただ、こういう日もあります

去年、日本人のステキな女性と結婚しました。

結婚するとなると、当然ながら手続きがあります。書類を書いて、出して、また別の書類を出して、というのを何度も繰り返しました。

日本人同士の結婚と大きく違うのは、役所に行く前に、まず大使館があることです。

必要な書類をそろえるために、大使館へ何度も足を運びました。一回で終わることはなくて、通って、また通って、そのたびに何かが足りない。

そうしてそろえた書類を持って、今度は日本の役所へ行きます。そこではほとんど言葉を交わしません。窓口の人が見ているのは、書類の上に並んだカタカナの僕だけです。

17年かけて積み上げてきた話し方も、間の取り方も、そこには一行も出てきません。

その書類には、国籍:フィリピン と書いてあります。

当たり前です。事実ですから。僕はフィリピン人で、パスポートもフィリピンのものです。そんなことは自分が一番よく知っている。

でも、話しているときは「日本人みたいですね」と言われて、書類の上では国籍を書いている。どちらも本当のことなのに、その二つの間に、少しだけ距離があります。

この「少しだけ痛い」の正体

うまく説明できないまま何年も過ごしてきたんですが、最近になって、いくつかに分けられるのかなと思っていて。

褒められるということは、区別されているということ

日本人は、日本語を褒められません。

日本で生まれて日本で育った人に「日本語うまいですね」と言う人はいない。つまり、褒められている時点で、僕は「日本語がうまくない可能性がある側」に分類されている、ということになります。

言われるたびに、少しだけ位置を確認されている感じがあります。悪意ではなくて、事実の確認として。うれしいのに、同時に線を引かれている。この二つが同時に起きるから、処理に一瞬かかるのかもしれません

残りの5%は、たぶん存在しません

さっき、95%は気づかれないと書きました。あれ、正直に書き直します。

たぶん、100%気づかれていません。

では残りの5%は何なのか。あれは、僕が自分で足した5%です。

誰も疑っていないのに、自分だけが「でも自分は日本人ではない」と思っている。その分を、勝手に引いて数えていた。ずっとそうしてきました。

長いあいだ、この5%は相手側にある数字だと思っていたんです。まだ届いていない部分が5%残っていて、それを埋めればいい、と。でも実際は外側には何もなくて、内側にだけありました。

そうなると、この5%は日本語がうまくなっても減りません。この先20年住んでも、たぶん減らない。減らせるのが自分しかいないからです。

これに気づいたとき、正直けっこうきつかったです。17年やってきたことでは、そもそも届かない場所に置いてあったので。

バレないことを、目指してきたという事実

そもそも僕は何を目指してきたんだろう、と思うことがあります。

日本語がうまくなりたかったのか、それとも外国人だと気づかれたくなかったのか。この二つは似ているようで、たぶん全然違います。

前者は積み上げですけど、後者は隠すことです。もし自分が後者をやってきたのだとしたら、それは16年かけて何かを消してきたということになるのかもしれない。

まだ答えは出ていません。両方だった気もします。
事実として、こういうこともあります

感情の話ばかりになったので、事実だけ並べておきます。

  • 去年、日本人の女性と結婚しました

  • でも、同じ苗字にはなれませんでした。国際結婚では別の姓のままがスタンダードです

  • 日本に17年住んで、日本人と結婚しても、簡単には帰化できません

  • 僕の国籍は、今もフィリピンのままです

これについて何かを主張したいわけではないです。制度には制度の理由があるんだと思います。ただ、事実としてそうだった、というだけの話です。

「あなたはもう日本人だよ」と言ってくれる人はたくさんいます。とてもありがたいです。でも、書類の上ではそうならない。人からもらう言葉と、紙に書いてあることが、ずっと少しずれたままきています。

それでも、言われるとうれしい

ここまで書いておいてなんですけど、明日また「日本語うますぎ」と言われたら、やっぱりうれしいと思います。これは変わらないです。

そして、うれしいと感じている自分に、また少し引っかかると思います。

どちらかが本当でどちらかが嘘、ということではなくて、たぶん両方本当なんですよね。整理しようとすると、どちらかを削ることになる。だから、整理しないままにしています。

まだ、途中です

結局は、乗り越えました、という話にはなりませんでした。

17年住んで、結婚もして、話し方では気づかれないところまできて、それでもまだ途中です。しかも自分で足した5%が相手だとわかった以上、この先も、しばらく途中のままなんだと思います。

でも最近は、途中のままでもいいのかなと思うようになりました。乗り越えたことにしてしまうと、この引っかかりごとなかったことになる。それは、なんとなく違う気がしていて。

同じように、誰にも指摘されていないのに自分で何%か引いている人。もしいたら、それだけで少し安心します。


ここまで書いておいて何なんですけど、その17年でやってきたこと自体は、無駄だったとは思っていません。

単語でも文法でもなくて、間の取り方とか、相槌の打ち方とか、どこで笑うかとか。そういうものを一つずつ拾ってきた結果、いま話し方では気づかれないところにいます。5%は残ったままですけど、95%は確かに動きました。

その95%の中身を、次にきちんと書きます。あの5%は自分でどうにかするしかないとして、95%の方は、たぶん人に渡せるものなので。


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