SNSに表示されるのは同じ「♡」でもなんとなく密度が違うと感じるのは、私だけだろうか。
先ほど、友人とセッションをした。
人からの頼まれごとで、1時間。
今回が5回目。
私も慶んで引き受けている、趣味と興味と仕事が入り混じったような時間。
彼女から、こう言ってもらった。
「じんちゃんのストーリーズを見て、じんちゃんは今を生きてるんだなって思う。」
彼女が持っている感性に
大感謝だ。
思わずうるっときてしまった。
私がなぜストーリーズで発信するのか、
これまで、うまく言語化できなかった。
私は、
今を生きることを大切にするようになって…
いや、大切にすることを選べるようになって、
今ここで、生きてるよ。
美しいものを見て
こんな風を感じて
こんな光を受け取って
こんな悲しみを感じて
生きてるよ!
と、その気持ちを伝えたくて
投稿し続けている。
それが発信するいちばんの理由だ。
「♡」が来るのは嬉しいけど
数を見ているというよりも
「あ、この人元気にしてるんだな」
と確かめる感じ。
ご近所さんと道ですれ違って会釈するような
人によっては「おはよー!」「おつかれ!」と盛大に挨拶するような
そんな感覚で「♡」を受け取っている。
SNSに表示されるのは同じ「♡」でも
なんとなく、ひとつひとつ密度が違うと感じるのは、私だけだろうか。
一方その裏で、
キラキラ見せてんのかな?とか
子どもいなくて時間に余裕があるからできるんでしょ?とか(事実、それは大いにあると思う)
仕事しろwとか
なにか誰かにちょっとネガティブな感情を発生させていないか?と、
ビビっている自分もどこかにいる。
(その感情はその人の物だと分かっていてもね。)
前はこの「ビビる」恐れの方が勝っていたから、
なかなか投稿できなかった。
今は違うんだ。
シェアして届く人と繋がりたい。
その方が、自分にとって大切なことだと感じている。
消えたいと願っていた私が
今目の前にある時間を受け取れるようになった。
これは私が私に還ったことと
ほぼ一致している。
と、感じている。(今の感覚では。)
もし、目の前ではなく
考え事(空想)の世界を生きている人がいて
その人がもし、「苦しい」を抱えているなら
こんな風にも生きられるよ、
大丈夫だよ。と、
伝えたい。
考えごと(空想)は
過去のことであり、未来のことであり、
今ここ。ではないのだ。
今これを読むあなたの、この1秒後から
全ての起点は今ここ。だ。
※人に「大丈夫だよ」と言えなかった日々についてもいつか書きたい。
決して考えごとが悪いわけではないんだ。
でも、そこからずっと還ってこれなくなると
あなたがあなた、
わたしがわたし、
ではなくなっちゃうから。
あなたがあなたとして
イノチを輝かせられますように!
またね。
