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編集人の京都の朝をぶらぶら◉寛永行幸から400年、二条城が朝廷に見せたもの ー 唐門と二ノ丸庭園に残る徳川将軍の演出

先月は京都を離れて、沖縄・那覇の首里城しゅりぐすく識名園しきめいえんを歩きました。

首里の台地を包む濃い緑。
そして、沖縄から戻って一週間後に歩いた、京都御所きょうとごしょの新緑。まったく違う森でありながら、どちらも近世の元首の空間を包んでいた。
前回は、そんな視点から、首里城と京都御所が、近世の終わりへ向かう時間の中でつながって見えてきました。

今月は、その京都御所から少し西へ。
寛永行幸かんえいぎょうこうから400年の二条城にじょうじょうを歩きます。
寛永3年、1626年。
後水尾天皇ごみずのうてんのうが御所を出て、二条城へ行幸した年です。

天皇を迎えるために整えられた将軍の城には、何が用意され、何が見せられようとしていたのか。
今回は、唐門からもんと二の丸庭園を中心に、その記憶をたどってみます。

二条城へは、東大手門ひがしおおてもんから入ります。

朝の光を受けた東大手門の前に立つと、この門をくぐった先から、やがて御所へ向かう将軍の動きが思い浮かびます。

徳川家康は上洛の際、伏見城ふしみじょうを経て二条城に入り、ここで装束を整えてから御所へ向かったといいます。

二条城は、ただ京に滞在するための場所ではありません。将軍が朝廷と向き合うために、威儀を整える場でもありました。

その二条城は、寛永行幸を迎えるにあたり、城域を広げ、行幸御殿や庭園、天守などを含む迎賓の空間として大きく整えられます。

天皇をこの城に迎えるために、将軍はどのような場を用意し、何を見せようとしたのか。

東大手門をくぐるところから、その記憶をたどっていきます。

城の奥へ深く分け入るというより、門の先に、格式ある空間が静かに控えている。その築地塀の向こうに、二の丸御殿があります。

遠侍とおざむらい、式台、大広間、黒書院、白書院へと連なる御殿群。
将軍が対面し、儀礼が行われ、来訪者を迎える場です。

今回は、その御殿へ導く唐門と、御殿から眺める二の丸庭園に目を向けます。

唐門をくぐって御殿へ向かい、御殿の座敷から庭園を眺める。そう考えると、二の丸全体が、ひとつの大きな迎賓の空間として見えてきます。

二の丸御殿へ向かう手前で、唐門に足を止めます。

唐破風からはふ、極彩色の彫刻、飾金具。
正面から見る唐門は、単なる入口というより、御殿へ向かう前に置かれた、華やかな序章のようです。

いまの唐門は、長い時間を経て、色も光も少しやわらいで見えます。けれど、後水尾天皇を迎えたころ、この門はもっと鮮やかな色彩で、訪れる人の目を引いたはずです。

この門をくぐれば、二の丸御殿です。将軍が天皇を迎えるために整えた空間へ入っていく。唐門は、その境目に立っています。

近づくと、唐門には、さらに濃密な世界が広がっています。

鶴や亀。
松竹梅。
龍や虎などの霊獣。
そして、細部に目をやると、羽を広げた蝶の姿も見えてきます。

遠目には唐門全体を彩る装飾に見えていたものが、近づいてみると、それぞれに量感があり、しっかりとした存在感を持っています。

長寿や吉祥を思わせる鶴や亀、松竹梅。
力強い龍や虎。
そのあいだに、蝶のような優美な意匠も加わって、唐門はまるで、いきものたちの華やかな行列のように見えてきます。

この門をくぐることは、ただ入口を通ることではない。賑やかな装飾に迎えられながら、二の丸御殿へ向かって、少しずつ気持ちをあらためていく。
近づくほどに、色彩の重なりや彫刻の厚みが見えてきます。

唐門の装飾の中で、今回とくに気になったのが、蓬莱ほうらいを思わせる意匠です。

蓬莱とは、不老不死の仙人が住むとされた理想郷。
長寿や繁栄、永続する世界を象徴する場所でもあります。

もちろん、門に刻まれた意匠の意味を、こちらが一つひとつ決めつけることはできません。
それでも、後水尾天皇を迎えるために整えられた二条城で、蓬莱のイメージが置かれていることには、目を留めたくなります。

唐門に刻まれた蓬莱。
それは、長寿や繁栄を願うめでたい世界を、御殿の入口でそっと見せているようにも思えます。

そして、この蓬莱のイメージは、門だけで終わりません。

二の丸庭園へ目を移すと、池の中に中島が置かれています。
その中島は、蓬莱島などと伝えられています。

唐門に刻まれた蓬莱のイメージは、庭の水面に浮かぶ蓬莱島へとつながっていきます。

門で見た理想郷のイメージが、今度は庭の中に現れる。そう見ると、唐門と庭園は別々の見どころではなく、二の丸御殿を中心に結び合う、ひとつの空間として見えてきます。

大広間から眺める庭は、池、中島、滝組がひとつの景色として整えられています。それは、御殿の座敷からの視線を意識してつくられた眺めです。

寛永行幸のころ、この庭は大広間や黒書院、そして今は失われた行幸御殿の側からも眺められていました。

見る場所によって表情を変える庭には、天皇を迎える空間としての緊張感が残っているように感じます。

大広間と黒書院の間あたりから西南に目を向けると、池と中島、石組の向こうへ、視線が自然に抜けていきます。

現在、その先に天守はありません。
けれど寛永行幸の時代、本丸には天守が建てられていました。

この庭の眺めの中に、その天守がどのように入っていたのか。そこは断定できません。

ただ、後水尾天皇が行幸中に天守へ登ったと伝えられていることを思うと、天守は、庭園の向こうにそびえる建築物であるだけでなく、将軍の権威を体感させる場所でもあったのかもしれません。

庭の中島に蓬莱のイメージがあり、その向こうに天守がある。そう想像してみると、二の丸庭園は、理想郷のイメージと将軍の存在感を、ひとつの風景の中に重ねる空間だったようにも見えてきます。

目の前にある庭。
そして、今は見えない天守。

残るものと失われたものが重なりながら、寛永の二条城の眺めを想像させてくれます。

唐門と庭園を離れ、城内の南西へ歩きます。

西南隅櫓せいなんすみやぐらの近くには、6月らしく紫陽花が咲いていました。

ここまで、後水尾天皇を迎えるために整えられた二条城の記憶をたどってきました。
唐門、二の丸御殿、庭園、そして今は失われた天守。そうした歴史を思いながら歩いたあとで紫陽花を見ると、少し気持ちがやわらぎます。

石垣と櫓のそばに咲く紫陽花。
400年後の二条城にも、季節は静かに巡っています。

6月の朝、東大手門をくぐり、唐門で足を止め、二の丸庭園を眺める。
その風景の中に、寛永行幸の記憶は、今も静かに残っているように感じられました。

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