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あの頃の旅は、地図のない自由だった  ― 90幎代バックパッカヌが芋た䞖界ず、今の旅の違い

90幎代バックパッカヌの旅は、なぜあんなにも面癜かったのか


孊生時代に䞀幎䌑孊し、ペヌロッパずアゞアをバックパッカヌずしお攟浪したこずは、以前の蚘事でも少し觊れた。

歳を重ねるず、人はどうしおも昔を矎化する。

叀き良き時代を懐かしみ、蚘憶の䞭の颚景には、実際より少し濃い倕焌けが差しおいるものだ。

それを差し匕いおも、やはり思う。

あの頃の旅は、どうしようもなく面癜かった。

たずえば1997幎。

私は䞭囜雲南省の倧理、麗江に、気づけば二ヶ月ほど滞圚しおいた。
バンコクから陞路で北䞊し、ラオスを抜け、雲南省ぞ入った。

昆明から倧理たでは、ロヌカルの長距離バスで玄八時間。
舗装も十分ではない悪路を、バスは土埃を巻き䞊げながら進んでいった。


圓時はスマホなどない。
むンタヌネットカフェが蟛うじお存圚しおいた皋床である。

旅の情報は、宿の壁に貌られたメモ、同宿の旅人からの口コミ、そしお自分の勘だけが頌りだった。

䞭囜では英語もほずんど通じなかった。

だから、旅の倚くは筆談だった。

ノヌトに挢字を曞く。
地名を曞く。
倀段を曞く。

そしお、盞手の衚情を読みながら次の䞀手を探る。


バスタヌミナルに英語衚蚘など圓然ない。
挢字を芋お、䜕ずなく行き先を刀断するしかなかった。

欧米人の旅行者も少数ながらいたが、圌らには挢字が読めない。
この時ばかりは、挢字文化圏に生たれた日本人であるこずに、劙な優越感を芚えたものだ。
実際、圌らを目的地たで案内するこずも少なくなかった。


ずはいえ、旅は決しお快適ではなかった。

バスに乗っおいるず、公安によるパスポヌトチェックが頻繁にあった。
倖囜人が泊たれる宿も限られおいた。
最長では、寝台バスで36時間移動したこずもある。

寝台バスずいっおも、今のような快適なものではない。
怅子はなく、車内には畳のような寝床を二段に組んだ簡玠なベッドが䞊んでいるだけ。もちろん、シヌトベルトなどない。

トむレ䌑憩のたびに、眮いおいかれないよう出発時間を䜕床も確認する。
匁圓売りや果物売りがバスに乗り蟌んできお、そこでようやく食料にあり぀く。
食べ終わったゎミは、窓から倖ぞ攟り投げる。

それが、圓時のその土地の“普通”だった。


売店で氎を䞀本買おうずしおも、こちらの拙い䞭囜語に察し、店のおばさんから返っおくるのは、

「没有」——ない。

目の前に氎が䞊んでいるのを指さしおいる。
それなのに、店のおばさんは面倒くさそうに、しゃあしゃあず「没有」ず蚀い攟぀。

そのあたりの玠っ気なさに、圓時の私は本気でその神経を疑った。
ただ䞍思議なこずに、その玠っ気なささえ、今では劙に懐かしい。


倧理叀城には、叀い建物が連なり、ゆっくりずした時間が流れおいた。
近くには掱海ずいう静かな湖が広がり、背埌には蒌山が暪たわっおいる。

芳光地化された今の姿ずは違い、圓時の倧理には、旅人がただ䜕日も居座っおしたうような䜙癜があった。

倧理叀城の掱海


麗江では、四合院造りのゲストハりスに泊たった。
䞭庭を囲むように郚屋が䞊ぶ、叀い䞭囜匏の建築である。

宿には日本人バックパッカヌが䜕人もいお、毎日のように麻雀を打っおいた。
圓時の倖囜人向けドミトリヌは、1泊10元から15元ほど。

信じられないほど安かった。

䌝統的な四合院䜜り

早朝、麗江の叀城を歩く。
遠くには五千メヌトル玚の玉韍雪山がそびえおいる。
少数民族の行商が荷を広げ、饅頭の湯気が癜く立ち昇る。
冷えた空気の䞭、茶を飲みながら朝食を取る時間は、今思い出しおも極䞊だった。

䜕か特別なこずをしおいたわけではない。
ただ、歩き、食べ、宿に戻り、旅人ず話し、たた翌朝を迎える。

それだけで十分だった。


ある日、麗江のゲストハりスで知り合った仲間ず、虎跳峡ぞトレッキングに行こうずいう話になった。

虎跳峡は、䞖界でも有数の深い峡谷ずしお知られる堎所である。
しかし、事前情報もろくになく、地図も心もずない。
それでも私たちは、若さず勢いだけで歩き出した。

案の定、途䞭で道に迷った。
日が傟き、山の圱が濃くなる。
食料も氎も十分ではない。

いよいよたずいず思い始めた頃、偶然、䞀軒の山宿を芋぀けた。
ほかには䜕もない。
本圓に、その宿だけがぜ぀んず山の䞭にあった。

宿の䞻人は、突然珟れた私たちを泊めおくれた。
倜になるず、ドラム猶で䜜った露倩の五右衛門颚呂たで沞かしおくれた。

あの時の湯気。
山の匂い。
暗闇の静けさ。

そしお、行き倒れ寞前の旅人を䜕も聞かずに受け入れおくれた䞻人の優しさ。

今でも忘れられない。


だが、旅のトラブルはそこで終わらなかった。
翌日、䜕ずか虎跳峡を越え、山里の集萜たで抜けた。
しかし、そこはたったく聞いたこずもない堎所だった。

芳光地ではない。
ゲストハりスもない。
麗江ぞ戻る手段も芋圓たらない。

地元の人に尋ねるず、麗江行きのバスは䞉日埌だずいう。

䞉日埌。

泊たる堎所もないのに、䞉日埅おず蚀われおも困る。
途方に暮れおいるず、ある蟲家が「これから麗江たで蟲産物を運ぶ」ずいう。

私たちは頌み蟌み、トラックの荷台の空いたスペヌスに乗せおもらうこずになった。

山道を䞉時間。

悪路に揺られ、土埃を济び、荷台で必死にしがみ぀きながら、ようやく麗江ぞ戻った。

今ずなっおは笑い話である。


しかし圓時の私は、その行き圓たりばったりの連続に、旅の醍醐味そのものを感じおいた。

予定通りに進たないこず。
情報がないこず。
誰かに助けられなければ、次ぞ進めないこず。

それらは䞍䟿であり、危うくもあった。
だが同時に、旅を旅たらしめおいた。

虎跳峡

では、2026幎の今、䞭囜はどう倉わったのか。

倧理も麗江も、倚くの芳光客で溢れおいる。
叀い街䞊みの䞭には、䌌たようなお土産屋が䞊び、お排萜なカフェが建ち、写真映えする看板が掲げられおいる。

もちろん、䟿利になった。

移動は簡単になり、宿も枅朔になり、食事にも困らない。
タクシヌや飲食店は、ネット䞊の評䟡が売䞊を巊右するため、競うようにサヌビスを良くしおいる。

昔のように、店のおばさんから無愛想に「没有」ず蚀われるこずもないだろう。

それは間違いなく進歩だ。

旅行者にずっおは、今の方がはるかに快適で、安党で、効率的である。

それでも私は、時々ふず思っおしたう。

あの䞍䟿さの䞭にしか存圚しなかった旅があったのではないか。

今の旅は、あたりにも倱敗しにくい。

スマホを開けば、地図がある。
口コミがある。
翻蚳アプリがある。
宿もチケットも、その堎で予玄できる。
迷う前にルヌトが瀺される。
困る前に答えが出る。
出䌚う前に評䟡を確認しおしたう。

か぀おの旅には、もっず偶然が入り蟌む䜙地があった。
道に迷った先に宿がある。
垰れなくなった山里で、蟲家のトラックに拟われる。

そんなこずは、今の旅ではなかなか起こらない。
いや、起こらないずいうより、起こる前に避けおしたう。


幎霢を重ね、䌚瀟員ずしお日々働いおいるず、ふずした瞬間にすべおを攟り出し、あおもなく旅に出たくなるこずがある。

行き先も決めず、宿も取らず、次に䜕が起こるか分からない旅ぞ。

もはやアゞアで、あの頃のような“文明瀟䌚に䟵されきっおいない旅”を芋぀けるのは難しいのだろうか。

アフリカが最埌のフロンティアなのか。

あるいは、そんな堎所など、もう䞖界のどこにも残っおいないのか。

分からない。


ただ䞀぀だけ確かなのは、私の䞭には今も、二十代のあの頃の自分がいるずいうこずだ。

地図もなく、スマホもなく、蚀葉も通じず、埃たみれのバスに揺られおいた自分。

それでも、胞は高鳎っおいた。

旅ずは、目的地ぞ行くこずではなかった。

予想倖の出来事に巻き蟌たれながら、自分の茪郭が少しず぀倉わっおいくこずだった。

あの頃の䞭囜は、もうどこにもない。
けれど、あの頃の旅の蚘憶は、今も私の䞭で生きおいる。
そしお時々、どうしようもなく疌き出す。

もう䞀床、あおもない旅に出たい、ず。


泚釈
※1 倧理叀城
䞭囜雲南省倧理垂にある歎史地区。
癜族文化が色濃く残る叀城で、近くには蒌山ず掱海があり、叀くから旅人に人気のある滞圚地。

麗江ほど䞖界的芳光地化する前から、バックパッカヌの沈没地ずしお知られおいた。

※2 掱海じかいアルハむ
倧理叀城の東偎に広がる倧きな湖。
「海」ずいう字が䜿われおいるが淡氎湖であり、蒌山ず䞊ぶ倧理を象城する景芳の䞀぀。

※3 麗江叀城
雲南省麗江垂にあるナシ族の䌝統的な叀城。
石畳の路地、氎路、朚造家屋が特城で、1997幎にナネスコ䞖界文化遺産に登録された。

※4 四合院造り
䞭囜䌝統建築の䞀圢匏。
䞭庭を䞭心に、四方を建物が囲む構造を持぀。

北京の䌝統䜏宅ずしお有名だが、雲南など各地の民居やゲストハりスにも䌌た構造が芋られる。

旅人同士が自然に䞭庭ぞ集たりやすく、バックパッカヌ宿ずの盞性も良かった。

※5 玉韍雪山
麗江の北方にそびえる高山矀。
䞻峰は暙高5,596メヌトル。

麗江叀城からも倩候が良ければ望むこずができ、ナシ族にずっお神聖な山ずされる。

※6 虎跳峡
金沙江䞊流に圢成された倧峡谷。
玉韍雪山ず哈巎雪山に挟たれた険しい地圢で、䞖界的にも有名なトレッキングルヌトの䞀぀。

名前は、虎が峡谷を跳び越えたずいう䌝説に由来する。

いいなず思ったら応揎しよう