見出し画像

しみじみと転ぶ

散歩中に転んでコンクリートブロックに膝をぶつけて流血したダリコですこんにちは。

転んで膝を怪我するなんて子どもの頃以来では?
なぜ転んだかはよくわかりません。
冬は“厚底ファーブーツ”なるものをサンダル代わりに履いているのですが、厚底すぎたのか何かにひっかかりました。

子どもの頃、母親が凍結した道路ですべって転んで、怪我もなかったのに1週間くらい転んだ転んだって会う人みんなに話していたことがありました。
すべって転んだくらいでそんなに大騒ぎしていたら子どもの世界ではやっていけないよと思った記憶がありますが、わたしもこうしてnoteに書いて大騒ぎするくらい大人になったということですかね。

それにしても、子どもの頃は転びそうになってから転ぶまでの1秒前後の間に「危ない!転ぶかも!受け身がとれるか?最優先で守るべきものは?」などと思いをめぐらせたものですが、年をとると転んでから1秒後に「あれ?わたし転んだの?」って思うものなんですね。
ブロックに膝を打ち付けた状態でしばし考えました。
「しみじみと転んだ」とでも言いましょうか。

膝は青アザの上にブロックのギザギザ模様の傷がわりと深めについていますが、まあ大丈夫です。膝以外は無傷です。

先日仕事で「投資に消極的な中高年に寄り添ったコラム」を書く機会があり(どんなテーマだよ)、ヒアリング&リサーチをしていてふと思いました。
「今さら聞けない」「投資の超入門」的なことを丁寧に書いてくれているWebサイトが山ほどあるんです。
金融庁とか大手証券会社とかまで書いてる。
「知る人ぞ知る」的な話では全くなく、スマホでちょっと検索すればあふれ出てくるテーマなのに、何も知らない人が驚くほどいるんだなあと。

そのまま夫に話してみましたら、夫がこう言いました。
「それは、知った後の変化を受け入れる覚悟が必要なことだからじゃないかな。
大人になると、そういうのが重いときがあるでしょ。」

なるほど。

若い頃は新しいことを知った後の自分の変化が楽しみでしかなかったけど、人生経験をつむにつれて、楽しみだけじゃなくなっていくのは確か。

知ることで、自分が大切に育んできた価値観を更新しないといけないかもしれないし、今までのやり方やペースが否定されるかもしれないし、もしかしたらそれを理解できない自分と向き合うことになるかもしれない。

だから、今すぐそれをしないと死ぬぅーとかでない限り、静かに距離をとって穏やかにいることを選ぶ。
これ、年を重ねるほど顕著になっていく気がします。

年をとると転んだときの感覚が若い頃と同じではないように、世界との距離の取り方が変わるのは自然なことなのかもなあと思いました。
頑固だとか情弱だとかいう言葉で片付けてしまうのは寂しいことです。

寄り添いコラムは書き直そう。
ただの解説や体験談ではなく、「投資の話をしてもいい空気を作って差し出す」みたいな感じにできたらなーと。


いいなと思ったら応援しよう!

ダリコさん 読んでいただきありがとうございます🥰 よろしければ応援お願いします