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ファミマのヒジャブに反対する人種差別主義者の哀れ

ファミリーマートが、店舗スタッフのヒジャブ着用を正式に認めた。9月1日から導入される新しい身だしなみ基準「ファミマコーデ」の一環で、髪色の自由化やワーキングネームの導入と同時に、宗教上の被り物も明文化して許容するという内容だ。

これまでも個別には認めていたが、今回のユニフォーム刷新に合わせて正式な基準として位置づけた。実はコンビニ業界では後発で、ローソンは2024年6月に、セブン-イレブンも2024年10月に、同様の対応を公表済みだ。

ところが、この発表に対してSNS上で批判の声が上がっている。その中身を見ていくと、あきれるほどの無知と偏見に満ちている。

美しい日本国にこんな悲しい人々がいるのかと、あらためて驚かされる。


「衛生面で問題」という意味不明な主張


まず「ヒジャブは不衛生」という批判。意味がまったくわからない。お前ら給食当番で三角巾をつけなかったのか、と。食品衛生で一番問題になるのは髪の毛が落ちることだ。ヒジャブは頭髪だけでなく首元まで完全に覆うから、髪の露出という点ではむしろ三角巾より広い範囲をカバーできる。「髪が落ちないよう覆われているのに、なぜ「衛生面で問題」になるのか。完全な言いがかりだ。

さらに救いがたいのは、「ヒジャブをつけているから髪を洗わない、だから不衛生」という主張だ。これも、頭の中が残念だ。彼女達は、家に帰ったらヒジャブは当然外している。女性が家族以外に髪を見せないためのものなのだから。無知の極みだ。

ナースキャップも不衛生だから廃止されたじゃないか」という反論もあるようだが、これも的外れだ。ナースキャップが廃止された理由は、その素材、洗浄頻度、着用方法、衛生管理など総合的理由だ。ヒジャブは普通の布だ。普通に洗える。洗える布がダメなら服もダメだろう。全裸で接客しろとでもいうのか。


「タトゥーもOKなのか」という謎のすり替え


個人的には店員にタトゥーも認めていいと思う。ただ、日本ではタトゥーが長い間ヤクザとの結びつきで見られてきた歴史がある。反社会勢力のシンボルとしての社会的受け止め方がある以上、議論の余地はある。

しかし、なぜヒジャブとタトゥーが同列なのか。この発想をする時点で、ムスリム=危険人物という偏見が透けている。もしイスラム教徒が全員テロリストなら、日本赤軍を生み出した日本人は全員テロリストだ。


「日本人もヒジャブを強制される」という妄想


これについては、可哀想だが、完全に気が狂っているか、最低限の思考能力を欠いている。そもそもヒジャブはムスリム限定の話だ。

コーランには以下の一節がある。

慎み深く目を下げて、陰部は大事に守っておき、外部に出ている部分は仕方がないが、その他の美しい所は人に見せぬよう

クルアーン(コーラン)第24章31節

この解釈として「髪は隠すべき」という規範が定着し、ヒジャブというスタイルになった。

ここで重要なのは、イスラム教は良くも悪くもイスラム教徒と異教徒を明確に区別する宗教だということだ。だから、こうした義務は最初からイスラム教徒以外には適用されない。筆者はマレーシアに住んでいたが、華人やインド系がヒジャブを被っているのを見たことは一度もない。当たり前だ。ラマダン(断食月)でも、ムスリムが断食している横で、他の人々は普通にご飯を食べている。

「イランやサウジでは強制されているじゃないか」という反論もあるだろう。あれはイスラム法が国法となっている「イスラム国家」の話であり、宗教の教義とは別の次元の問題だ。しかもサウジアラビアでは2018年にアバヤ(全身を覆う衣服)の着用義務が撤廃され、女性の服装は事実上自由化された。イランでも、2022年のマフサ・アミニさん死亡事件をきっかけに着用義務に反対する大規模なデモが起き、現在も法と現実の乖離が続いている。

ちなみに、モスクを観光で訪れた際にスカーフを被るのは「義務の押しつけ」ではなく「配慮」だ。日本でも神道を信じていなくても、賽銭箱の前の「鈴緒」にぶら下がって暴れたりはしないだろう。

つまり、日本がイスラム法を国法とするイスラム国家にならない限り、あるいは自分自身がムスリムに改宗しない限り、さらには、自分が従う国のイスラム法がそう定めていない限り、ヒジャブの強制などありえない。


二重に哀れな人々


滑稽で、そして哀れなのは、こうしたことを一切知らないまま声高に反対を叫ぶ人々が、自分の発言が直球の人種差別の告白になっていることに気づいていない点だ。彼らは自分が何か正しいことを言っていると信じ、それは断じて差別ではないと思い込んでいる。

たとえるなら、地球が丸いことを知らずに「クルーズ船での世界一周は危険だから禁止すべきだ」と主張しているようなものだ。しかもその内心は、富裕層への嫉妬だったりする。二重に哀れだ。

言論の自由は保障されている。自分の偏見と無知を全世界に向けて開示する自由はある。しかし、それが完全な人種差別の宣言であり、世界中から見られていることを考えれば、害悪はあまりにも大きい。

「日本がどうの」と偉そうに語る人間が、ほとんど間違いなく日本の品位を落として国益を害しているのは、いったいなぜだろう。日本には、イスラムフォビアの伝統はない。「寛容」が美徳の国で、どうしてここまで不寛容な人間が国民の代表ズラをするのだろうか。

これらの凡夫が、よく勉強し、世の中を理解し、自分の心の醜さを直視して、「ああ、自分は差別的な発言をしてしまった、恥ずべきだ」と感じる日が来ることを願うばかりだ。

そして、人生を終えるとき、西の空に紫雲が立ち上りますように。

南無阿弥陀仏。

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