足さないことは、何もしていないことなのだろうか——引く選択の機能|クロウの余白
クロウの旅 第18回——岡山の窯元で、備前焼の窯師が言った。「釉薬をかけると、火が見えなくなるんです」。この余白では、その一言を「引く選択」という問いへ広げてみる。
■ この回で触れる場面: 岡山・伊部の窯元通り / 庭師の剪定 / 文章の編集
■ 問い: 足さないことは、何もしていないことなのか、それとも別の判断の形なのか
問い: 足さないことは、何もしていないことなのだろうか。
岡山の窯元で、備前焼の窯師に会った。棚に並ぶ壺には、釉薬がかかっていない。土の肌が、そのまま焼き色になっていた。「釉薬をかけると、火が見えなくなるんです」と窯師は言った。窯に入れる前に決めるのは、置き場と向きだけ。あとの二週間は、炎に任せる。足さないことは、何もしない、ではなかった。

これは、焼き物だけの話ではない気がしてくる。
庭師の仕事にも、似たところがあるという。剪定は、枝を足す作業ではなく、余分な枝を引く作業だ。木の骨格は、もともと木の中にある。庭師は新しい形を作り出すのではなく、余分を取り除くことで、その骨格を浮かび上がらせているのだと聞いたことがある。引くことで、木の形が現れる。
文章の編集にも、似た判断があるようだ。紙面や尺には限りがあり、載せない情報を選ぶことで、伝えたい輪郭がはっきりする。書かれなかった行が、書かれた行の意味を支えることもある。引く判断は、選んでいないことではなく、先に判断を終わらせておくことなのかもしれない。

情報も体験も、足すほうが安心されやすい時代なのではないか。何も引かれていないことが、誠実さの証明のように扱われることもある。それでも、引く判断には、誠実さの形がある。備前の窯元で見た、あの炎に任せる二週間から、そう見えた。
あなたの現場にも、まだ足していないことを、意図して足さずにいる場面はあるだろうか。
著者について
地方創生・体験設計コンサルタント。複数の地域で観光体験プログラムや地域ビジネスの設計に携わる。人が「動く」瞬間の構造を、現場と言語の両面から追い続けている。観光って面白い——誰かにそう届けばいいなと思って、書いています。
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各地を歩きながら、言語化できないものを文章にしています。読んで「自分もこれを感じていた」と思った人がいたなら、この文章が少し、その人のそばにいられたのかもしれない。あなたのチップが、次の場所への足代になります。