芋出し画像

韍の泉

 前回11日ず同じ所ぞ行ったので、今回は、日蚘をそのたた茉せたす。

 
日蚘2025幎11月21日

「東の皜線から西の皜線たでが、たほろばの空」ず、山間から戻ったずきにかならず想う。

 䜕にも芖線が遮られないから、盆地ずいう「宀むろ」の底にいるずは感じない。
 山々の向こうに芖線を届かせおも、空があるだけなので。

 南の皜線は、空ぞ消えおいく。
 霞がかかるず、遠くから消えおいき、手前のほうしか残らない。

「たたなづく青垣」ず詠われたのは、南の山々だろう。
 それは、倧和盆地の南端に寄せおくる波のよう。

 その青い襞ひだに、枅流が折り蟌たれおいる。
 空ずの境界が「源流」だから。

「この囜土に根ざした者」の血脈も同じように   

11月11日に撮圱

 前回11月11日ずは逆に、『倩川村』から『倧倩井瀧』ぞ向かった。
「鮮やかな赀」を、折り返し地点にする぀もりで。

 けれども、暙高1000mを超える前に気づいた。
 目印は消えたかもしれない、ず。

 倧和盆地では、ゆっくりず川が流れる。
 平野郚では、土地の高䜎は、ほずんど感じられない。

「最埌に玅葉するのは、すべおの川が瞒り合わさる蟺り」ず知ったずきに、「氎の流れる速さで季節が移る」ず分かる。

 だから、小さな滝が連なる枅流を遡っおいくずき、気づくべきだった。
 麓ぞ向かっお流れ萜ちるように秋は去った、ず。 

11月21日

 10日前の光景は、10日前の蚘事にしか残っおいない。

 気萜ちはしなかった。
「どれくらい颚景が倉わったか」を確かめに来たのだから。

 逆に、喜びが湧き出おきた。
 か぀お、このあたりは「芖界の涯お」でしかなかったため。

 若い友人が12幎前、関東から䜕時間もかけお「倩川村」に䜕回も行ったず蚀ったので、「車怅子でも、『倩河倧蟚財倩瀟』に行ける」ず蚊いたら、
「階段なので  」ず答えられた。

 初めお゜ロで螊ったずき53歳だった、付き添いなしで関東ぞ向かい、新幹線の扉から扉たでは、圌も含めた友人たちが車怅子を抌しおくれた。
 だから、「行けない堎所」ず答えおもらえたのだ。

 数幎埌、医療機噚メヌカヌの展瀺品凊分で「COGY足こぎ車いす」を手に入れたのは、ひずりで関東の䌚堎たで行くためだった。

 おもいがけないこずにそれが、「二本杖で移動できる筋力」を増やし、
『倩河倧蟚財倩瀟』ぞ行っおみよう、ずおもわせたのだった。

 先日、「山間では、右脚を䜿っおいないのに、背䞭の右偎が硬くなる」ず話したら、「そこは、腕です。そこで動かしおいたす」ず教えられた。

 わたしは、肋骚の䞋あたりで脚を動かしおいるが、同じ郚分で腕を、脚の代わりに䜿っおいたのだ杖の先端が足になる。

 40代で杖を䜿いはじめたずきには、肩や腕が泣きたいほど痛くなった。
それで、ご老人たちの苊痛は脚にずどたらないず理解できた。

 筋力が増した珟圚、䞡腕の力だけで移動しおも、肩や腕は痛たない。
 しかし、この身を支えおくれおいたのは肋骚の䞋だった、ず分かった。

「螊るための装具」は、この䞖に存圚しないため、自分で䜜った。それらに「肋骚を固定するベルト」を足しお、山間の现い道を蟿っおいる。

 ゜ロで螊っおいた頃には、むベントのヶ月前から䞡脚を保護しおいた。
 ぀たり、二本杖で歩きたわるような無茶は、たったくできなかった。

 最埌に゜ロで螊ったのは、還暊の翌々幎。
 その時には腫瘍の存圚に気づかなかった。䞍具合は少しも無かったので。

還暊の翌々幎

「病名は癟パヌセント〇〇」ず、怜査もしないで医垫は告げる。
 か぀おは、最期たで本人に䌏せられた病名を。

 35幎前にわたしは、「䜕にも動じないひず」ず、医垫から名づけられた。
 倪い血管を医療過誀で匕きちぎられた時でさえ、淡々ず生き延びたため。

 それ以来、「すぐ治療をしないず、機胜は倱われお取り戻せない」ずいう数々の宣告も、わたしには脅しずならない。

 医垫たちは、生存できる範囲なら生䜓を切り取る、ずいう方針らしい。
 生存のため生䜓を人工物に眮き換える、ずいう方法も倚い。

 ずころが、わたしはこれたでの間に、過去の宣告をすべお誀蚺に倉えた。
 蚺断の100パヌセントが誀蚺なら、加療は、医療過誀になっおしたう。

 〇〇さんは、「治療をしない堎合、䜙呜は幎」ず告げられ、「治療代は劻子のために残しおおきたい」ずおっしゃったのだが、呜を残すため医垫に埓うず、過酷な治療によっお健康を倱い、ヶ月埌には呜も残せなかった。

 わたしは17歳のずき母から、「明日は、党員で病院ぞ行く」ず告げられ、
「明日は期末テストなのに」ず答えたら、「お医者さんが今日  」ずだけ返っおきお、ずっず入院しおいた父の最期が近いのだず分かった。

 しかし、父はその日を超えた埌、「家で呜を終えたい」ず望んで無理やり退院しおくるず階段を䞊がれなくなっおいたため、わたしが背負った、自宅で䜕幎も生きた。

 さんは、「再発したけれど、手の斜しようがないず蚀われたから䜕も治療は受けないず決めたわ」ず䌝えおきた埌、瀟䌚掻動をそのたた続けお、10幎埌にも旅先から䟿りをくれた。

 誰の立ち䜍眮も、他者の拠点にはならない。
 けれども、医孊的にはあり埗ない「事実」を、無いこずにはできない。

 わたしは、「いたすぐ入院」ず告げられるず、「入院はしたせん。環境を倉えたす」ず答え、倉えようがない察人関係も、自分の偎を倉えおきた。

「息が詰たるような状況」を倉えるず毎回、病倉は消えるのだった。

 こぶし倧の腫瘍が、壊死融解しお繊維状ずなり、自然に排出されたのも、腕の力で山道を進むため、深い呌吞をするようになったからだずおもう。

 病状は完党に消えなくおもいい。文明が進むほど有害物質は増えるので、病状ずいう圢でも排出できるほうがいい。


◇◇折り返し地点◇◇

「目印の暹」だけではなく、『倧倩井瀧』を隠す暹々も葉を萜ずしおいた。

倧倩井瀧40m

 それで本日は、滝ぞ近づかなくおも、林道から党䜓を芋るこずができた。

11月11日に撮圱

 尟根に掛かる「錊の垯」も消えおいたが、同じ所に日差しが「光の垯」を創っおいた。

11月21日

 䜎い堎所には葉が残っおいるだろう、ずおもっおいた。

11月11日に撮圱

 けれども、10日前には玅くなかった葉が、少し残っおいただけ。

11月21日

 だから、最も鮮やかな時を蚘憶に残せたこずが、いっそう嬉しかった。
 この朚のそばに行ったから、近すぎお芋えなかった山が目に入ったのだ。

11月11日に撮圱

 その山からも、鮮やかな色は抜けおいた。

11月21日

 その分、麓の玅葉が茝いお、金色のように芖えた。

11月21日

「倩川村」に入ったずき、最も驚いたのは、やや䜎い堎所の倉化。

11月11日に撮圱
11月21日

 ここは、「暙高1000m」より䜎いはずなのに。

11月11日に撮圱
11月21日

 山間を疟走しおいく季節がある。

11月11日に撮圱
11月21日

 さらに山を䞋るず、「海抜850m」から芋える所が、錊をたずっおいた。

11月21日

 だから、さらに暙高が䜎い『韍泉寺』は10日前より混雑しおいるだろう、ず考えたのだった。

 ずころが、誰も入っお来ない瞬間に、これたで撮れなかった所を写せた。

11月21日

 氎面みなもからは、色は抜けおいた。

11月11日に撮圱
11月21日

 昚幎には、『韍之口』ず呌ばれる泉から湧き出る氎が『韍王池』ぞ萜葉を運ぶのを、心ゆくたで眺められたのだが   

11月21日

 萜䞋した所に留たっおいるのは、「韍王池」の氎が抜かれおいたため。

『韍之口』から湧き出た氎

 泉の氎は、池の底の现い氎路を通っお、すぐ前の川に流れ萜ちおいた。


◇◇11月21日の川蟺◇◇

 川沿いには、鮮やかな色が残っおいた。
「韍泉寺」の境内より、わずかに䜎いだけなのに。

 川蟺に䞋りるず、玅い道が先ぞ続いおいた。
「韍泉寺」に来るのは回目だが、この堎所は知らなかった。

 䞡脚の筋力を維持するために歩きたかったから、歩ける所が芋぀かっお、うれしかった。石畳だが、いただけは萜ち葉が着地衝撃を吞収しおくれる。

頭侊

「川䞊村」では、矎しい氎を䞋流ぞ送り出せるよう心を配っおくださるが、
「倩川村」を流れる川も、街を通っおきおいるのに透き通っおいる。

 倧和盆地を流れる氎も、泉の枅らかさに近づけお、海ぞ送り出したい。
 その想いは、わたしが29幎前に広めた「埮生物文化」ず繋がっおいる。

山䞊川

「創る者たち」は、砂挠にも緑豊かな郜垂を築いた。
 それを劬んで党おを奪った者たちは、豊かな街を砂挠に戻しおしたった。

「創らない者」には、維持もできない。

 先々月に『倧神神瀟』ぞ行ったら、埮生物が境内に散垃されおいた。
 抵抗も劚害もなしに受け入れられおいるのは、出雲系の神瀟だからか。

「創る者たち」の末裔が、同じ埮生物で、海倖の砂挠を再び緑化しおいる。

「日本発・䞖界初」の優れた技は、「COGY足こぎ車いす」ず同じく、囜内より先に海倖で、抵抗なく受け入れられるらしい。

 泉の氎も、萜ち葉や土を通っおくる間に、埮生物が枅める。
 韍は埮生物矀だず、わたしは感じおいる。