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愛媛と高知_2|現存12天守の宇和島城を巡る

3月下旬の三連休を利用して
愛媛と高知をぶらり巡ってきました🍊

この旅のきっかけは2月の北陸旅…
旅の終盤、現存12天守の丸岡城を訪問
城内に掲示されてた他の現存天守写真で
唯一行けてない城が四国にあると判明し
やってきました今年初四国🙌

ちなみに現存12天守のうち
1/3の4城が四国にあるのが凄い

・丸亀城(香川県)
・高知城(高知県)
・松山城(愛媛県)
・宇和島城(愛媛県)

今回はこの中で行けてなかった
宇和島城を巡ってみました

愛媛と高知ぶらり旅_2


朝一から巡りたかったけど
業務終わりの終電利用だと
宇和島まで辿り着けず…
やむなく松山市内に前泊🏨

旅のメインは宇和島散策なので
松山滞在は列車の時間までの半日
宿と朝食と1時間散策だけ…

松山来て道後温泉も松山城も入らず
勿体ないと思いつつ割切りました🙌

宇和島へ向かう

12時過ぎに松山駅内へ

12:30|松山
 ↓ 🚞《特急 宇和海13号》
14:03|宇和島

宇和島自体は初上陸ではなく…
過去に2回乗継ぎで下車した記憶
待ち時間は少しあったものの
城に行く時間無かったんやと思う🙄

きさいやとは南予地方の方言で
来てくださいを意味するらしい

アーケード入口には宇和島市の
2種類のマンホールを発見

闘牛の町宇和島の闘牛シーン

そういえば駅前に牛の銅像あった…
肉牛の産地かと思ってたわ💨

宇和島市の祭りの花形牛鬼をデザイン

牛鬼とは、主に西日本に伝わる頭が牛、首から下が鬼の姿をした妖怪。水辺に現れ、毒を吐いて人を襲い食べると恐れられていた。一方で宇和島地方などでは魔よけの存在として親しまれている。

アーケード内を歩いてると
宇和島城の案内があった🙌

右折すると山上に小ぶりな城✨
下から見ると松山城に似てる?

入城は東側の桑折氏武家長屋門から

門は宇和島藩の家老桑折氏の長屋門で、終戦後の道路拡張の際に桑折氏より市に寄付され移築したが、移築場所が狭いため一部しか現存してない。

宇和島市

いつも下調べせず乗込むけど
今回は事前に城内マップを確認🙏

うわじま観光ガイドより

いくつかの散策コースから
今回は時間かけて満喫してみる

桑折氏武家長屋門

宇和島城への入口は2ヶ所あり
中心市街地に近いこちらがメイン
門外に駐車場や案内所もあった

長門丸から様々な石垣を巡る

本丸へ直登する階段を横切り
緩やかな登りで長門ながと丸方面へ

長門丸の石垣(東側)
長門丸の石垣(西側)

城内最長50mの直線を持つこの石垣は、角の部分がのみで整形された長方形の石材を交互に向きを変えながら積み上げていく算木さんぎ積みと呼ばれる技法で築かれており、1664~1671年にかけての大改修のものと考えられる。

現地の説明
算木積みの角部分

長門丸は公園になってて
ここだけ見ると城を忘れる

長門丸から階段を登って
郷土館のある藤兵衛とうべえ丸へ行くのが
本丸への近道やったけど
満喫コースはこの先も周回続行💨

藤兵衛丸石垣

この石垣は江戸時代に修理はされているが、いずれも藤堂高虎の創建時期となる1601年頃の特徴をとどめ、城内最古の石垣と考えられる。規則性に乏しい自然石材が多く用いられ多くの間詰石が詰められている。

現地の説明
式部丸石垣
代右衛門だいえもん丸石垣

写真左角が城内で最も高く15m。そこから続く正面の石垣には玄翁で整えられた石材が使われ、打込ハギと呼ばれる。間詰石はほぼ使われず築石を隙間なく組み合わせ積み上げている。

代右衛門丸はクスノキが多く
観光客も少ない静かな空間🍃

藤兵衛丸を過ぎると
いよいよ核心部が見えてくる

本丸石垣

この石垣は同じ面で2つの積み方が見られる。左上半部は幕末に修理された鑿加工の切込ハギ、玄翁加工の打込はぎ。右下半分は17世紀に築かれた自然石材を用いた野面積み

現地の説明
二之丸から本丸の天守は見えず…

現存はしてないけど
階段付近に菱形門があり
本丸を囲うように塀や矢倉が
建っていたようです

本丸 御大所跡から天守を望む

宇和島城について

城内散策路は調べたけど
肝心な城の歴史は現地で知った💦

宇和島市HPより

リアス式海岸地帯にある宇和島市、宇和島城はその最深部、標高73mの丘陵にある。1596~1601年の藤堂高虎創建時には大半が海に面する地形を巧みに生かした縄張りだった。その後、1615年に伊達政宗の長男秀宗が宇和郡10万石を拝領して宇和島城に入城。

2代宗利は1661~1672年にかけて城を大改修し、多くの石垣や櫓を修築。現存12天守となる天守はこの宗利によるもので、高虎が建造した望楼型天守(慶長天守)から、当時最先端の石垣造りの天守台をもつ層塔型天守(寛文天守)へと変貌を遂げた。

現存する宇和島城(寛文天守)

その後、明治を迎えるまで9代にわたって宇和島伊達家の居城としてあり続けた。堀は全て埋められたが、丘陵地は戦前まで伊達家の手により保護、1934年に天守が重要文化財、1937年に丘陵全体が国史跡の指定を受け、1949年に天守を含め丘陵全体が宇和島市に譲渡された。

正徳元年(1711)の絵図や調査成果をもとに作成したもの
宇和島市HPより

建物の大半は明治以降に撤去され
残る建物のうち追手門が戦災で焼失
現存するのは天守と上り立ち門のみ

僅かになってしまったとはいえ
丘陵や天守が今に残ってるのは
伊達家の存在が大きいみたい✨
後世に残してくれて感謝ですね🙏

宇和島城天守

丘陵地への入口となる門にも
開閉時間があるらしいけど
有料なのは天守見学のみで
しかも200円で安すぎ🤣

小ぶりな天守とはいえ
400年以上の建物となると
維持費かかりそうやけど…

各階の装飾性の高い飾り破風はふ懸魚げぎょ、いずれの面も左右対称となるよう配置された武者窓などから平和な時代を象徴するものと評されるとともに、小さいながらも御殿建築の意匠が随所にみられ、非常に格式を重んじた造りとなっている。

現地の説明

入ってすぐのとこにある
天守模型は1860年制作らしく
これ自体も貴重な作品✨

1階梁組

現存天守の梁組は魅力的
展示品もあったけど
やっぱり上ばかり見てしまう

慶長天守とは三重であること、1階平面が6間四方であることが居一致するだけで、構造や外観は全く異なる。廊下の内側に障子戸が残る形式は現存唯一とされ、また畳敷きの名残である高い敷居がある。

Wikipediaより
2階廊下

障子戸があることに関して
現地では違和感無かったけど
確かに天守やと珍しいのか…

3階
北西側|二之丸、宇和島港

創建当時より遠くなったとはいえ
海が間近に見えるのはいいな♪

北側|宇和島駅
南東側|社寺、鬼ヶ城連山

山麓に藩主が眠る菩提寺や
伊達家総鎮守の宇和津彦神社も…

小ぶりな3層天守ながら
丘陵地の上に建ってるので
それなりに展望がよかった🤣

二之丸へ下る

本丸への階段正面だと
天守が全く見えんかったけど
下山側に来たらいい感じに見える

藤兵衛丸方面に下り始めると
石段や本丸石垣、天守も一望

藤兵衛丸にある郷土館

時間あるし興味はあるけど
石垣と天守で満足してしまって
今日はいいかな…な気分でした

代右衛門丸から下る

式部丸を経て周回道へ出て
来た道とは逆側へ向かう

上り立ち門へ下山

上り立ち門は天守と共に
現存する数少ない遺構

宇和島城見学を終えて15時過ぎ
既に宿チェックインできるので
早めに行こうかと思ったけど

城内に掲示してたマップ見つけ
気になる場所行ってみた

名勝 天赦園てんしゃえん

1672年に宇和島藩2代藩主の伊達宗利が海を埋め立て造成した浜御殿の一部だったが、1863年に7代藩主の伊達宗紀が移居し南御殿と称されたあと築庭が竣工し天赦園と命名した。

Wikipediaより

大きな池の周囲を歩きながら
様々な角度から景色を楽しめる
池泉廻遊ちせんかいゆう式庭園という形式

伊達家の家紋に因み様々な竹をはじめ
藤や花菖蒲などの花が植栽されているが
訪問時はどれも時季外れで景色だけ🙄
庭の小路歩きも楽しめたしヨシとしよう♪

《続きは次の旅記事へ》

この記事で巡った場所

現存する建築物は少ないけど
様々な年代の石垣が連なり
天守以外の見学も楽しめた😆
これにて現存12天守制覇

関連記事_現存12天守

ほとんどnote始める以前の訪問で
記事にはしてないので一部のみ✏


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