個性はいらない。まずは「守破離(しゅはり)」の「守」を身につけるのだよ、しゅらしゅしゅしゅ
「守破離(しゅはり)」という言葉がある。
仕事ができる人ほど、この言葉の意味を知っている。
一人前になる人と、途中で伸び悩む人、その違いは才能ではなく、最初の『守』をどれだけ大切にしたかにある。
「守破離(しゅはり)」
これは、茶道や武道、芸事の世界で古くから使われてきた成長の考え方だ。簡単に言えば、人が技術や仕事を身につけ、一人前になり、さらに自分だけの境地へ進んでいくための三段階を表している。
最初の「守」は、型を守る段階だ。
師匠や先人から教えられた基本を忠実に学び、決められた手順や考え方を身につける時期である。
次の「破」は、身につけた型を土台にして、少しずつ工夫を加える段階だ。
ただ真似するだけではなく、「もっと良くするにはどうすればいいか」を考え、自分なりの改善を始める。
そして最後の「離」は、型から離れ、自分自身の方法や価値観を確立する段階である。
もはや誰かの真似ではなく、その人にしかできない仕事になる。
多くに人が憧れるのは、そりゃあやっぱ「破」や「離」だよね。
自分だけの工夫をする。自分だけのやり方を持つ。「あの人だから任せられる」と言われる存在になる。かっけー。
「破」や「離」は確かに、仕事をする人間にとって大きな目標だ。んがしかし、問題はそこへ行くためには、ほとんどの人が地味ぃ~な「守」を通過しなければならないということだ。
そして、この「守」の期間には、少しばかり我慢が必要になる。守の期間に一番やってはいけないこと。それは、早く個性を出そうとすること。
厳しい言い方しちゃうと、よーするにアレだ、基礎ができていない人間が「個性」と言い張るものは、多くの場合、ただの「癖」なのよね。
本人は効率化しているつもりでも、それは必要な工程を飛ばしているだけだったり、危険な省略だったりする。とほほ。
ぶっちゃけ「自分らしい仕事」と「癖」を勘違いしている人は、いつだって自信満々で豪快に間違った仕事をする。かつての僕もそうだったけど。あははのは。
いやいや、笑い事じゃねえっす。建設現場では、それが笑い話で終わらないから厄介だ。
小さな確認不足が事故につながる。小さな手順の省略が手戻りになる。小さな勘違いが、多くの人の時間を奪う。
建設現場で新人に求められるものは「自分らしさ」ではない。
「正しくできること」である。
教えられた通りに報告をする。教えられた通りに図面を読む。教えられた通りに手順を守る。当たり前のことを、当たり前にやる。
かつての僕もそうだったけど、これが意外と難しい。人は、隙あらば個性という名の効率化を探し、ただの癖を正当化しようとする。基本を積み重ねるより、何か特別な方法を見つけるほうがクレバーであると錯覚する。
現場で信用される人間に、派手な、奇抜な、目の覚めるような裏技をこれ見よがしに行って喜々としている者はいない。現場で信用される人間は、誰も見ていないところでも、決められたことを手を抜かずやれる人である。
建設の仕事は、工場勤務なんかと比べると一見して自由なようでいて、実は型にはめられた仕事だ。先人たちが長い時間をかけて失敗し、改善し、残してきた知恵が、現場のルールや習慣になっている。
新人が最初にやるべきことは、それを疑うことではない。なぜ、この順番なのか。なぜ、この確認が必要なのか。なぜ、このやり方が今も残っているのか。まず理解することだ。
繰り返す。失敗する。繰り返す。注意される。繰り返す。修正する。繰り返す。繰り返す。繰り返す。いつの間にか身体が覚えている。
技術とは、そういう極めて地味なものだ。「守」の期間に必要なのは、特別な才能ではない。斬新なアイデアでもない。続ける力である。
守を軽く見ないこと。地味な繰り返しを馬鹿にしないこと。自分のアイデアを一度しまっておく勇気を持つこと。
個性とは、その先の、先の、先に、じわっと滲み出るものだ。
わーわー言っとります。時間だで。さいなら。
