見出し画像

記憶の中の義母、得と徳。

カルチャーショック
結婚後、
義両親と同居した経験のある人は、


多少なりとも似たような戸惑いを
味わったことがあるかもしれません。


私も例外ではなく、他人の家庭に入り、
実家との違いに衝撃を受けました。


実家の母は潔癖で完璧主義。
細かなルールを家族に強い、


常に取り越し苦労で、
対人関係は閉塞的でした。


一方、義母はその真逆。
楽観的で開放的、人生を気楽に楽しむ人。



私とは、四十歳年上だったこともあり、
相当な我慢をしていたーーと思います。


嫁ぎ先は「規則のない自由の国」。
堅苦しい実家への帰省は、


年に二、三回で十分でした。



思い出は美しすぎて
 
義母は活動的で、外に出ることが
生きがいの一つでした。



同居を始めて三年ほど経った頃、
膝の手術などで入退院を繰り返し、



痛みと身体を動かせないストレスが
どれほど堪えたか、想像に難くありません。



その数年後、クモ膜下出血で
惜しまれながら、七十歳の生涯を閉じました。



義母との「親子の縁」は七年ほどの
短い時間でしたが、


誰よりも孫をかわいがり、
私のことも大切にしてくれました。


少し大袈裟かもしれませんが、
義母はいうなれば、


私にとって恩人であり、
かけがえのない人です。


悲劇のヒロインだった頃
若かった私は、甘ったれた
配慮の足りない人間でした。



二十代後半、幼い子どもの育児と家事、
仕事の両立で手一杯。



義母の世話までは、
気が回らない日々でした。



育児休暇や学童保育など
子育て支援が整っていない時代。



泣きたくなるほど苦しい毎日でしたが、
周囲の助けに支えられ、なんとか乗り越えました。



あの頃の試練が、私をぐんと大人へ
成長させてくれたのだと思います。



レンタル大おかみと育ての祖母
義母は、私が嫁ぐ前、
近所の和菓子屋で店番をしながら、


その家の子どもの世話や家事まで
引き受けて働いていました。


店に出入りする業者は、義母のことを
「大おかみ」と勘違いしていたそうです。


その子どもたちは義母を「おばば」と呼び、
こちらの家にも自由に出入りし、


実の祖母のように慕っていました。
義母が病院で人工呼吸器をつけたとき、


誰よりも必死に声をかけていたのは、
その子どもたちでした。



えらいとこに嫁に来た
義母の葬儀は、菩提寺で執り行なれましたが、
三百人近い人々がお寺に押し寄せました。



本堂の内外で、
正信偈の大合唱が響き渡っていました。



参列者の一人から、後にも先にも
あんな葬儀は見たことがないと言われました。


何の肩書も持たない六十代の主婦が持つ
「人徳」というべきかーー。



SNSのない時代の義母の「ネットワーク力」
を思い知りました。



遠くの親戚より近くの他人
義母が亡くなってからは、その和菓子屋の
おかみさんには随分とお世話になりました。



私が仕事で遅くなると、
よくその家の店先に、うちの子の三輪車と



補助輪付き自転車が
街灯で照らされていました。



その光景は、
母親にとっては切ないものでした。



迎えに行くと、子どもたちに
夕飯を済ませてくれていました。



家まで料理を届けてくれたことも
しばしばーー。



おかみさんは、常々「お義母さんには、
本当にお世話になったから、いいんです」



と言い、私はその言葉に甘えました。



巡る恩
義母が亡くなった後、
お盆に遠縁だという高齢の男性が訪れました。



その人は、義母のお姑さんの代に、一時、
こちらへ家族で身を寄せたことがあり、



その時の親切が忘れられないーー
と話されていました。


義母の姑が亡くなってから
既に数十年経っていましたが、



毎年、こうしてお参りを
続けられているとのことでした。



義母は生前、自分のお姑さんのことを
あっけらかんと話していました。



やはり、孫をかわいがり、
食事の準備では箸まで並べられていたこと、



炎天下から帰ると井戸で冷やした
スイカを出してくれて、



生き返る思いがした等々ーー。


義母の姑は、晩年、
転んだ後に寝たきりとなったけれど、



義母もまた仕事や家事で忙しく、
十分に世話ができなかったそうです。



義母は、「ばあばに返せなかった恩を、
嫁に返す」と言っていました。



義母は常日頃、人は困っている時に、
助けられると心から嬉しいものーー。



なので、目先の手間や、
多少のお金は惜しまない。



いつか、巡り巡って
子どもに返ってくると言っていました。



実際、私は義母が亡くなった後、
義母のお陰で随分と助けられました。



多分、義母の生き方の源流は、
そのお姑さんにあったのかもしれません。



いったん負けて・後で勝つ
私の実家の母親の座右の銘は、
「負けるが勝ち」でした。


義母は、「損して得取れ」


どちらも「いったん引くことで、
あとで大きなものが返ってくる」という


否定の哲学を身につけていました。
人生は、力で押し通すよりも、



すこし身をゆだねた方が、
思いがけない得(徳)が巡ってくることがある。



義母も実母も、そのことを経験から
知っていたのだと思います。



そして、義母のもう一つの口癖は
「明日もござる」。



きっと、これは「のんびり構えて」、
「明日は明日の風が吹く」というような意味



だと思ってるんですがーー
 「合ってる?!お義母さーん !」🍃







*本エッセイは、以下の方から
エッセイのしりとり企画でバトンが送られてきました。
noteを始めて、直ぐにフォローしていただいたご縁です。

バトンをいただき、ありがとうございました。😊


*この企画を立ち上げた方は、以下の方です。
マイキーさん、はじめまして。😊




エッセイしりとりのルールは、ひとつ。



タイトルの最後の文字から、次のタイトル名を付けるだけです。
(濁音、小文字、大文字の変換は可)


私のタイトルは、「き」で始まり、「ぼ」で終わりました。


次にバトンを受けとられた方は、

「ぼ」


または

「ほ」


始まるタイトルを付けてくださいませ。😊


このコンテストへの参加はもちろん自由です。


締め切りは、8月31日(月)ですが、
詳細は上記のマイキーさんのバナーをご覧ください。





次のバトンは、三名の方へ渡すルールとのことです。
なので、次の方々へ繋がせていただきます。


🔲お一人目

わさびネコさん、無茶ぶりしてごめんなさい。😂
クスっと笑えて、余韻が残るーー、
いつも事実に基づいた語りが、好きです。



🔲お二人目

たらちゃんさん、失礼します。
スキしたときのダンスの画像が一番好き!
内容全般、ぶははっ、くすっ、むふふって、なってまーす。😊



🔲三人目

よっしさん、失礼します。
奇想天外のストーリー、「もしも」の世界に引き込まれています。😊
コメントのスパイスまでもが、風味豊かーー🍃












いいなと思ったら応援しよう!