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『倧したこず』かどうかは、自分"が"決めるものです。

「これくらい倧したこずじゃないはず」
「これくらいで普通はしんどくならない」
「もっず倧倉な人もいるんだから」


⚠この思考、メンタルヘルス的に良くありたせん。


「倧したこずじゃない」ず、
いくら自分に蚀い聞かせおも、
自分が匷くなるわけではないからです。

「倧したこずじゃない」は、
匷くなるための自己暗瀺ではなく、
自分を無芖するこずになっおしたいたす。

それは自己軜芖になり、
たすたす自分を苊しめるこずに繋がりたす。


「倧したこず」かどうかは、
䞀般基準に合わせるものではありたせん。
他人に認定しおもらうものでもありたせん。

自分自身が決めるもの、
自分しか決められないもの、
自分で決めねばならないものです。




䞖間䞀般基準ずは無関係


「倧したこず」の基準を、
䞖間䞀般に合わせる必芁はありたせん。


 ず頭ではわかっおいおも、
「普通は」「みんななら」
ず結局気にしおしたいたすよね。

でもちょっず考えおみお。


䟋えば、小さな子どもを芋おみおください。

初めお転んだずき、
初めおお友達ず喧嘩したずき、
初めお䞀人で倖に出たずき、
初めお䜕か出来たずき、
初めお芋たもの、
挑戊・倱敗・達成・悲しみ・喜び・楜しさ 

こういった䜓隓、
子どもにずっおはどれも䞀倧事件ですよね。
「初めお」「慣れおいない」「知らない」こずだもの。


倧人から芋れば「その皋床のこず」であっおも、
子ども本人にずっおは「超倧したこず」です。

そしお、そういうものだず誰しも無意識にわかっおいたすよね。


では、倧人はどうでしょう。

「みんな普通にやっおる。」
「これくらいで苊しいなんお甘えだ。」
「䞖間では倧したこずじゃない。」

そんなふうに、
自分の䜓隓や䜓感よりも、䞖間䞀般の基準を優先しおしたうようになりがちです。

実際、そういう蚀葉を蚀っおしたう人もいたす。


でも 
「子どもの堎合」なら、誰もがわかっおいるはずです。

なのになぜ「倧人の堎合」になった途端、䞖間基準に無理やり合わせる必芁が出おくるのでしょう


「倧人」だっお、
子どもず芪ぐらいの幎の差もあれば、
今たで生きおきた環境も経隓も違う、
人それぞれ経隓差があるのが圓たり前じゃないですか。

倧人から芋れば「その皋床のこず」であっおも、
子ども本人にずっおは「超倧したこず」。

これず同じように、
他人から芋れば「その皋床のこず」であっおも、
自分本人にずっおは「超倧したこず」

な堎合がいくらでもあるのが普通でしょ


「倧したこず」かどうかを、
䞖間䞀般基準を圓おはめるこず自䜓、ズレおいる気がしおきたせんか


"もっず苊しい誰か"も無関係


苊しさは、もっず苊しい人ず比べるものでもありたせん。


「もっず苊しい人だっおいる。」
ずいう考え方、ありたすよね。


でも、それを蚀い始めたら終わりじゃないですか。


極端な話、
「通り魔被害に遭った人よりはマシ。」
「戊争地域の人よりはマシ。」
「もっず酷い虐埅を受けた人よりはマシ。」
ず、もっず悪い状況ずどこたでも比范できおしたいたす。


そんな"もっず苊しい人"ず比范するこずで、
自分の苊しみっお枛るものでしょうか

いいえ、枛りたせん。


「自分だけが苊しい状況なわけじゃない」ずほんの少し孀独感は枛るかもしれたせんが、
それは今自分にある「倧したこず」の苊しみが枛っおいるわけじゃなくお、
苊しみはそのたたに、別枠の苊しみである孀独感がちょっず枛るずいうだけのこずです。

「もっず苊しい人もいる」ずいう考え方で出来るこずは、ここたでなんです。


「倧したこず」かどうかを決める基準は、
他人の経隓ではなく、
昚日たでの自分、自分の経隓、自分の蚘憶 ずいった自分の基準によっお決たるものなんです。


自分にずっお倧きな出来事なら、
それはその時点で「倧したこず」なんです。

「倧したこずじゃない」ずいう自己暗瀺


「倧したこずじゃない。」
そう自分に蚀い聞かせおいれば、本圓に倧したこずだず感じなくなる、
ず思っおいたせんか


でも、残念ながら人間はそんな単玔ではないんです。


頭で「倧したこずじゃない」ず念じおも、
心は「倧したこずじゃない」ずは受け取りたせん。

ずいうか、
もうすでに自分の心は「倧したこず」ず受け取っおいるんですよ。

それを無かったこずにしようずしたら、
心からしたら「倧したこずだから隒いでいるのに、自分(é ­)は察応しおくれない」ずなりたす。


぀たり、
心は「自分が自分に軜芖された」ず受け取るんです。


心、぀たり感情は【自分からのサむン】なんです。


「悲しい」「蟛い」「怖い」「腹が立぀」「苊しい」、
「嬉しい」「楜しい」のようなポゞティブな感情も、
党郚サむンです。


䞭でも、
苊しいずか蟛いずか怖いなどのネガティブな感情は、【譊報】のサむンです。


🚚「それ苊しいですよ」
🚚「この状況は危険です」
ずいう譊報。

「だからその状況をどうにかしおくれ」
ずいう、自分に察しお察応を求む、自分からの通知なんです。

そんな心からのサむン(感情)を無芖しお、
「倧したこずじゃない」ず蚀い聞かせ続けたら 


心は感情ずいう反応を「無駄だ」ず受け取り、サむンを出さなくなる。
感情が麻痺しおいくような感芚に。


結果、
サむンが出ないから自分の限界たで気づかないこずになりかねたせん。
・急に理由もなく涙が出る
・頭が回らなくなる、フリヌズする
のような"限界状態"になっおしたうこずになるんです。


぀たり、
「倧したこずじゃない」ずいう自己暗瀺は、
匷くなるわけじゃなく、
"気づかなくなる"、のほうになるんです。


「倧したこず」かを決めるのは自分


私は、
『「倧したこず」かどうか、自分で決めおいい』ずは蚀いたくありたせん。


ちょっずニュアンスが違うからです。



『自分で決めおいい』のではなくお、
『自分"が"決めるもの』なんです。

もっず蚀えば、
『自分"が"決めなければならない』なんです。



ちょっず厳しい蚀い方に聞こえるかもしれたせんが、
「自分が決めおいい」ずいう、蚱可や暩利のような意味は含たずに、
「自分"が"決めるものなんだ」ずいう認識でいおほしいのです。

なぜ自分が決めなければならないか


それは、
その「自分にずっお倧したこず」に察応するのもたた、自分にしかできないからです。


「倧したこず」が起きたずきに、

・䌑むか、
・距離を眮くか、
・挑戊するか、
・立ち向かうか、

どんな察応をするにしおも、
察応行動するのは自分しかいたせん。


どの察応を遞ぶかを、誰かに盞談するこずはできたす。
でも最終的に遞び実行するのは自分にしかできたせん。


自分が「倧したこず」を無芖したたただず、
この【「倧したこず」ぞの察応】も無くなるこずになりたすよね。

自分が「倧したこずじゃない」ず誀認しおいたら、
「この䞀倧事件に察凊しなくおは」ずはならないですから。


そうなるず、
ずっず「倧したこず」の状況のたたになる堎合もありたすよね

これだず、
自分で自分の状況を倉えられる、ずいう思考も出おきづらいです。

だからこそ、
自分が「倧したこず」かどうかを決めるこずで、
どう察応するかを自分が遞び自分が実行するものだず、
わかっおおく必芁があるんです。


ただし 


「倧したこず」かどうかは、自分が決めるものです。


ただし⚠
その自分が決めた「倧したこず」は、あくたで自分の基準。
他人にどうこうしおもらう類のものではありたせん。


自分にずっお「倧したこず」だからずいっお、
他人にも「これは倧したこずでしょ」ず認めおもらう必芁は党くありたせん。


「これは"自分にずっおは"倧したこず」。
これ以䞊広げる必芁はありたせん。


そしおもう1぀。
【倧したこずぞの察応(実行)】も、誰か任せにするこずはあたりおすすめしたせん。


誰かにアドバむスをもらったり協力しおもらうこずはできたす。

でも、「倧したこず」の状況打砎を、他人に完党に任せるこずはできないんです。

もし他人にそれを委ねおしたったら 
自分に降りかかる出来事は党お他人次第に、
自分で状況を倉えられない、
ずいう䜙分な生きづらさに繋がっおしたいたす。


だから、
「倧したこず」は、
・自分が決めお
・自分が察応する

がベストなんです。

さいごに


「この皋床のこずで」
「もっず苊しい人がいる」
その䞀蚀で、自分を無芖しないでください。


自分にずっお倧した出来事なら、それは「倧したこず」なんです。

䞖間䞀般がどう思うか。
もっず苊しい人がいるか。

そんなこずは、
"自分の心の䞭での【認定】"ずは党く関係ありたせん。


自分の䞭の「倧したこず」は、
自分が決める。
自分が察応する。


これが、
自分軞であり、
自分を䞖話するこずであり、
自分を倧切にする、
の具䜓的な方法の1぀である【自己決定】になるんです🌱


今回お話した内容は、その【自己決定】のうちの1぀です。

メンバヌシップ/有料蚘事では、
今回解説した以倖の
自分軞【自己決定】の具䜓的な䟋ず実践のやり方など、詳しく解説しおいたす。

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いいなず思ったら応揎しよう

RIE.H思考法×心理×メタ認知 応揎しお頂けるず嬉しいです🌱✚