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【ゲーム】2️⃣7700円のテレビゲームを求めて、自転車で遠くの店まで走った――手に入れたら、あまり遊ばなかった

2️⃣7700円のテレビゲームを求めて、自転車で遠くの店まで走った――手に入れたら、あまり遊ばなかった


前回書いたように、私のゲーム人生は『ウエスタンガン』から始まった。

河津に住んでいた小学生の頃、私は『ウエスタンガン』に夢中になり、持っていた小遣いを全部使ってしまった。

ゲームを続けるには、そのたびにお金を入れなければならない。

子どもの小遣いには限界がある。

そこで私が考えたのは、ゲームを我慢することではなかった。

家でテレビゲームができれば、お金を入れなくても何度でも遊べる。

家庭用テレビゲームが、喉から手が出るほど欲しくなった。

私が買ったのは「テレビテニス」ではなかった

約半世紀前の記憶なので、私は最初、自分が買ったゲーム機をエポック社の「テレビテニス」だと思っていた。

しかし、当時の写真を調べてみると違った。

エポック社のテレビテニスは、木目調の横に長い大きな本体で、発売時の価格は1万9500円だった。

私の記憶にあるゲーム機は、もっと小さい。

色は黄色に近いオレンジ色。

本体の左右に、大きな黒いつまみが一つずつ付いていた。

いくつかの写真を見比べて、ようやく分かった。

私が買ったのは、1977年に任天堂から発売された**「カラーテレビゲーム6」**だった。

コントローラーは「つまみ」だけ

今のゲーム機のコントローラーには、方向キー、スティック、ボタン、振動機能などが付いている。

カラーテレビゲーム6には、そのようなものはない。

本体の左右に、大きな回転式のつまみが一つずつ付いているだけだった。

コントローラーと呼んでも、できることはそのつまみを回すことだけである。

つまみを回すと、テレビ画面の左右に表示された縦長の棒が上下に動く。

飛んでくる四角い点を棒で打ち返す。

それだけだった。

今から見れば、驚くほど単純である。

しかし、自分がつまみを回すと、テレビ画面の中の棒が動く。

それまでテレビは、放送される番組を見るためのものだった。その画面を、自分の手で動かせるようになったのである。

これだけでも、当時の小学生には十分に未来だった。

「6」なのに、記憶ではテニスしかない

カラーテレビゲーム6には、名前の通り「6種類」のゲームが収録されていたとされる。

しかし、六つのまったく違うゲームが入っていたわけではない。

* テニス
* ホッケー
* バレーボール
* それぞれのシングルスとダブルス

これを合わせて「6種類」と数えていた。

画面も操作方法も、基本的には棒でボールを打ち返すテニス型ゲームである。任天堂「カラーテレビゲーム6」の収録内容

だから、私の記憶では、

テニスしかできなかった。

となっている。

実際にはいくつかのモードがあったのだろう。しかし、小学生の私にとっては、すべて「テレビテニス」だったのだ。

定価9800円を、7700円ほどで買った

カラーテレビゲーム6の定価は9800円だった。

当時の小学生にとって、簡単に出せる金額ではない。

私は、少しでも安く売っているディスカウントショップを探した。

そして、7700円ほどで売っている店を見つけた。

今ならスマートフォンで価格を検索し、通販サイトで最安値の商品を注文できる。翌日には自宅へ届くこともある。

しかし、当時はインターネットも通販サイトもない。

安い店を見つけたら、自分でそこまで行かなければならなかった。

その店は、かなり遠い場所にあった。

それでも私は、自転車で買いに行った。

どのくらいの時間をかけたのかは覚えていない。しかし、「かなり遠かった」という感覚は残っている。

ゲームの内容より、安い店を探し、自転車を走らせて買いに行ったことのほうを、私はよく覚えている。

喉から手が出るほど欲しかったのに

『ウエスタンガン』で小遣いを使い果たした私は、家で何度でも遊べるゲーム機を喉から手が出るほど欲しがった。

安い店を探した。

かなり遠くまで自転車を走らせた。

そして、ようやくカラーテレビゲーム6を手に入れた。

ところが、不思議なことに、家で何度も遊んだ記憶はほとんどない。

誰と対戦したのか。

何回くらい遊んだのか。

どのモードが好きだったのか。

そうしたことは、ほとんど覚えていない。

鮮明に覚えているのは、

* 欲しくて仕方がなかったこと
* 安い店を探したこと
* 遠くまで自転車で買いに行ったこと
* 本体が黄色に近いオレンジ色だったこと
* 左右に大きなつまみが付いていたこと

である。

つまり私は、ゲームで遊ぶこと以上に、新しいゲーム機を探し、安く手に入れることに夢中になっていたのかもしれない。

この頃から、すでに始まっていた

後年、私は毎日のように秋葉原へ通うようになる。

店を何軒も回り、価格を比べ、安売りされているゲーム機やソフトを買い込んだ。

遊ぶ予定がなくても安ければ買った。

未開封のまま残ったソフトもあった。

古い機械をソフマップで売り、そのお金を持ってビックカメラで新しい機械を買った。

東京で余っていた商品をヤフオクへ出したら、関西では品薄だったらしく、思いがけない高値で売れたこともある。

その原型は、小学生の頃にすでにできていた。

欲しいものを見つける。
安い店を探す。
遠くても買いに行く。
手に入れた瞬間に満足する。
そして、あまり遊ばない。

私はゲームを攻略する少年ではなかった。

新しいゲーム機を探し、手に入れることを攻略する少年だったのである。

次の主役は「ブロック崩し」

テレビテニス型のゲームの次に登場したのが、ブロック崩しだった。

棒でボールを打ち返すという基本は同じだが、今度は相手と打ち合うのではない。

ボールを跳ね返し、画面上に並んだブロックを一つずつ壊していく。

同じような点と棒の画面なのに、ゲームは少しずつ「攻略する遊び」へ変わっていった。

そして、その先には、日本中を巻き込むインベーダーゲームの大流行が待っていた。

私の小遣いを狙うゲームは、ますます増えていく。

しかし振り返ってみれば、一番熱中していたのはゲームそのものではない。

次は、どんな新しい機械が出てくるのか。

その期待だったのかもしれない。

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