【毒親/毒家族】「死ねなくてごめんね」と言っていたあの頃
あの家はおかしい
いつもは表面上の
言える範囲での言葉での表現でしたが
もっと深い押し殺していた感情を
もう少しだけ、言葉にしたいと思いました
*目次を見てなんかイヤだな
と思った方は、ここで閉じてくださいねm(__)m
▶︎堂々と捨てられる、わたしの写真
「プリクラ」
母には友達がいないので
一緒に遊びに行ける相手は
娘の私だけでした
束縛する父から外へ出るのに
私との外出を理由に使っていました
私が20代の頃
母は撮ったことのない「プリクラ」に興味深々で
「一緒に撮ろう!」
「どうやるの?」
とニコニコ聞いてきて
2人で楽しく写真を撮りました
するとある日
ゴミの入っていないゴミ箱に
一緒に撮ったあのプリクラが
よく見えるように捨てられていました
「・・・・・」
固まる私
すると横からチラッと出てきた母は
にやっと笑い、私を見てました
(あー、なるほど、そういうことね)
私は拾うことも文句を言うことも
何もせず、その場を立ち去りました
それが、母にとって
1番悔しく苦しいことだと
わかっていたから
▶︎兄からの性虐待
6歳上の兄
今ならわかること、彼は
自閉症と愛着障害のようなものだと思います
ずっと怒鳴られ家中たたき散らし
それこそ息を吐くだけで怒られる
しかし
私が中学生になると
気味悪く変わっていきました・・
妹の私を「性対象」として見てきました
お風呂に入ると必ず脱衣所にいる兄
トイレに入ると
ドアをちょこっと開けて
にやっと笑う兄
私はこの2つを母に
やめるよう言って!とお願いしました
すると
「兄妹なんだからいいでしょう!!」
トイレの鍵については
母も私が鍵をかけると怒る人で
いつもガチャっと開けて
鍵をかけてないか確認していました
母も母、兄も兄
家の中が戦場のようで
一瞬も気を緩めて休めなかったような気がします
▶︎自傷行為
数年前に初めて知った
これも自傷行為になるんだ!?という行動
腕や手、体の見えないところを
爪で痛めつけたり
壁を殴って痛みで落ち着かせたり
唇の皮をむいたり・・
今はもう、なくなっている行為です
絶縁して、環境を変えたり
こうやって素直に吐き出せる場所のおかげです
本当に、そう思います🍀
▶︎それでも生きてきた、理由
やはり大きいのは
高校生の時の友達の自死
そして自分の脳の病気
この2つです
脳の手術が終わって、2ヵ月くらいたった頃
秋で風も涼しく
気持ちよくなってきた時
私は真っ青な雲ひとつない空の下を
リハビリがてら歩いていました
友達はあっけなく死んだのに
私は今、生きている
この差って、なんだろう・・・
歩きながら
うーん、うーんと考えます
考え、考え、考えます
「わからない・・」
それが、答えでした
考えても何も
言葉が出てこなかった
だから
私は死ぬまで生きようと
体が生きる限り絶対生きようと
そう、自分と約束をした
23歳、秋でした
_____
ここまで深い部分を話したのは
カウンセリング以外で初めてです
最後まで読んでくださり
ありがとうございます!m(__)m

癒されています♪
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