ヒジャブの是非よりも大切なこと
おはようございます。
人と人の間をつなぐ想いの翻訳者、阿波野聖一です。
私は秋田県で介護、地域、海外人材という、一見異なる世界の間に立ちながら、人、組織、地域、想いの「違い」をつなぐ仕事をしています。
このnoteでは、現場で起きた出来事や学びを通して、誰かの明日につながるヒントを発信しています。
医療や介護の現場で、ヒジャブ着用を認めるべきか、制限すべきか…。
このテーマに触れるたびに、私は「賛成か反対か」という単純な議論に違和感を覚えます。
宗教や文化への配慮も大切です。
一方で、利用者の安全を守るための衛生管理も欠かせません。
しかし、SNSではその複雑な背景が切り取られ、どちらか一方の正義だけが拡散されることがあります。実際に現場を見ていない人が意見を重ね、知らないうちに風潮がつくられていく。そんな光景に危機感を感じています。
https://twitter.com/i/trending/2066410744737100044
海外人材の受け入れに関わる中で私がたどり着いたのは、「どちらが正しいか」を決めることではなく、「なぜそのルールが必要なのか」を互いに理解し、対話を重ねることの大切さでした。
ヒジャブの問題は、単なる服装の問題ではありません。
多文化共生とは何か。
違いを持つ人たちと、どう共に働き、共に生きていくのか。
その本質について考えてみたいと思います。
1.ヒジャブを認めるか、認めないかという問い
医療や介護の現場では、衛生面を理由にヒジャブ着用を制限する施設もあれば、宗教や文化への配慮から認めている施設もあります。
私自身、以前は「認めること」が正解だと思っていました。実際、弊社はヒジャブを外すことは強要していません。
宗教は個人の信仰であり、その文化を尊重することが多文化共生につながると考えていたからです。
しかし、海外人材の受け入れに関わり、多くの現場を見てきた中で、その考えだけでは足りないことに気づきました。
なぜなら、現場には利用者の命や安全があり、衛生管理という絶対に守らなければならない責任があるからです。
そして同時に、働く人には宗教や文化、人生があります。
本来、この問題は「どちらが正しいか」を決める話ではなく、両方をどう成立させるかを考える話なのだと思います。
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2.現場にあるのは「正論」ではなく「現実」
海外人材と関わる中で感じることがあります。
それは、衛生観念は国や文化、教育、家庭環境によって大きく異なるということです。
日本人が当たり前だと思っていることが、海外では当たり前ではない。
逆に、海外で当たり前のことが、日本では受け入れられないこともあります。
だからこそ大切なのは、
「認めるか、認めないか」
ではなく、
「なぜそのルールが存在するのか」
を伝えることだと思っています。
何が良くて何がダメなのか。
なぜその衛生基準が必要なのか。
それを曖昧にしたままでは、本当の理解は生まれません。
受け入れる側には説明する責任があります。
そして、働く側には理解した上で選択する権利があります。
私はそれが対等な関係だと思っています。
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3.SNS社会が奪っているもの
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