見出し画像

共生の前に、順番がある-介護と海外人材の現場から見えた「秩序」の違和感-

おはようございます。秋田を拠点に、介護事業・海外人材の支援に取り組んでいる株式会社あきた創生マネジメントの阿波野です。


先日は「なぜ“安く働く外国人”は許されてきたのか。」この記事を読んで、私の中に残った違和感は、とてもはっきりしていました。
それは制度の是非や、誰かを批判したいという感情ではありません。
もっと手前にある、“人をどう位置づけてきたのか”という前提への違和感の話をnoteにまとめました。


今回は国が「秩序ある共生社会」という言葉を目にしたとき、私は素直にうなずくことができなかった。

ルールを守り、安全に暮らす社会。
それ自体は大切なはずなのに、どこか胸の奥に引っかかるものがあった。
それは、秩序を求める前に、私たちは本当に秩序を支える土台を守ってきただろうか
という問いだった。

介護と海外人材の現場での実感をもとに、
この違和感を言葉にしてみたい。


「秩序」という言葉に、私は立ち止まってしまった


最近、政府資料の中で繰り返し使われる
「秩序ある共生社会」という言葉に、
私はどうしても立ち止まってしまう。

言っていることは理解できる。
ルールを守り、安全で、安心して暮らせる社会。
それ自体に異論はない。

けれど、読み進めるほどに、ある違和感が消えなかった。

そもそも今の日本社会は、秩序を守るための土台が、本当に残っているのだろうか。

日本社会で起きている「秩序の空洞化」


介護の現場でも、海外人材との仕事でも、
私は日々「秩序」という言葉の曖昧さに向き合ってきた。

ルールはある。
制度もある。
しかし、それが
「なぜ必要なのか」
「誰のためのものなのか」
が語られないまま、
現場にだけ負担として降りてくることが多い。

日本人同士であれば、
空気で流されることがある。
暗黙の了解で見逃されることもある。

一方で、外国人に対しては、
「ルールだから」「決まりだから」と、
理由の説明を省いたまま、
秩序だけが突きつけられる。

この非対称さに、
私は強い違和感を覚えてきた。

介護×海外人材の現場で見えてきたこと

ここから先は

768字

メンバーシップ ¥ 980 /月

■なにをするコミュニティか 少子高齢化先進県の秋田から介護事業通して地域の未来と世界への展開を創造し…

ドリームプラン

¥980 / 月
1ヶ月無料 あと24人募集中

ぜひ応援お願いします🙏 いただいたチップは夢の実現のための活動費に使わせていただきます!