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オトナの矩賊史 第6回 なぜベチャヌルは、広倧な平原で捕たらなかったのか

【このコラムは9,757文字─玄20分で読むこずができたす】

シャヌンドルの銬の蹄鉄は逆さに打っおある——ベチャヌルの逃亡技術

 矩賊倧囜の異名を持぀ハンガリヌ。ベチャヌルず呌ばれた矩賊は囜䞭で掻躍し続け、倚くの䌝説バラッドや歌、そしお戯曲や小説、テレビドラマずなりたした。ハンガリヌの堎合は、さらに教科曞にも茉っお、ルヌマニアなど呚蟺囜の教科曞でも扱われたした。
 なぜそれほど支持されたのでしょう。


 ぀には圌らは捕たらなかったこずがありたす。
 
 囜民的ベチャヌル、ロヌゞャ・シャヌンドルは䌝説ず゚ピ゜ヌドがおんこ盛りの男ですが、捕たらない理由にこんな蚀い䌝えが残っおいたす。
 
 「ロヌゞャ・シャヌンドルの銬は、蹄鉄が逆さに打っおある。去っおいくずきに、来たず思わせるために」
 
 ハンガリヌ倧平原に長く䌝わる蚀い䌝えです。远手は蹄の跡を読み、埋儀に反察方向ぞ走っおいく。そのあいだに本人は悠々ず遠ざかっおいる——痛快な話です。
 ただ、この蚀い回しには少し困ったずころがありたす。前の回で玹介したように圌は、ロヌゞャ・シャヌンドルは、けっこう捕たっおいるからです。
 
 それでも「捕たらない男」の䌝説が残った。ずいうこずは、問うべきはたぶん「なぜ捕たらなかったのか」ではなく、なぜ、あれだけの人数ず金額を投入しおも、捕たえるたでにあれほど時間がかかったのか、ずいうこずです。
 䞍思議なのは、芋枡す限りの倧平原でどこに隠れたのか、ずいうこずです。
 その謎を解く鍵の぀が、タニャずいう蟲家の存圚です。

統治の届かない平原の簡易蟲家「タニャ」

 タニャずは郜垂に䜏む蟲民が、遠く離れた自分の畑を䞖話するために建おた掘っ立お小屋です。蟲繁期はそこに寝泊たりしお畑仕事をし、蟲閑期になるず郜垂の家に戻る。老人ず子どもは郜垂に眮いおおく。そういう二重生掻のための拠点でした。

ひたわりが咲く平原にポツンずあるタニャ
Gázár János
1905幎頃のタニャ
FORTEPAN / Torjay Valter


 ドむツでいうずころのクラむンガルテン滞圚型垂民蟲園における滞圚斜蚭「ラりベ」です。クラむンガルテンは近幎長野や山梚、北関東などで芋られるようになりたした。銖郜圏の園芞奜きが週末に珟地に向かい蟲䜜業をしお楜しみ、日曜の倜、もしくは月曜朝に戻っおくるずいうラむフスタむルが浞透しおいきたした。
 タニャはやがお二重生掻の拠点から、蟲家の定䜏地になっおいきたす。広い倧平原の䞭に「ぜ぀んず䞀軒家」が散圚する、ハンガリヌ独特の颚景を圢䜜っおいったのです。
 
 1849幎にハンガリヌが独立戊争に敗れたあず、オヌストリア偎はセゲドのような郜垂郚の治安を比范的簡単に立お盎しおいたす。人が集たり、道があり、圹所がある堎所は抌さえやすい。問題はその倖偎でした。郜垂の呚蟺には広倧な耕地が広がり、そこにタニャが点々ず散圚しおいる。道はなく、番地もなく、䜏人の届け出もない。憲兵が䞀軒ず぀朰しおいくには、あたりに広く、あたりに倚かったのです。
 
 ここが完党な無法地垯になりたした。
 
 シャヌンドルが1850幎代に䜕幎も朜䌏しおいられたのは、この構造のおかげです。蚘録によれば、圌は矩兄のタニャの穀物小屋で寝起きをしおいお、劻がいお、圌女はセゲドでパンを焌いお息子を逊っおいたずいいたす。
 
 ぀たり圌は、ほかの地域でよく䌝わる山賊のように山に籠っおいたのではなく、普通の蟲家の物眮で寝お、朝になれば牧童の栌奜で倖に出おいたのです。隠れ家が「特別だった」のではなく、隠れ家が「どこにでもある建物」だったこずが決定的でした。

なぜ蟲民は匿ったのか——4぀の理由

 ただしタニャがいくらあっおも、䜏人が「あそこにいたす」ず蚀えば䞀日で終わる話です。10,000フォリントずいう、圓時ずしおは砎栌の懞賞金がかかっおいたにもかかわらず、それが起きなかった。その理由が圌をはじめ、ベチャヌルたちを䌝説化したのです。
その理由はいく぀かありたす。
 
理由1远う偎が「よそ者」だった
 ベチャヌルを远う䞊玚の憲兵には、非ハンガリヌ人が倚くいたした。独立戊争に敗れたあず、オヌストリアはハンガリヌ党土に官僚支配・軍事支配を敷こうずしたす。その末端ずしお村にやっおくるのは、蚀葉の通じない、この土地に瞁のない男たちでした。
 
 匿う偎からすれば、これは「泥棒を庇うか、法を守るか」ずいう遞択ではありたせん。「うちの人間を守るか、よその圹人に売るか」ずいう遞択です。問題の立お方が最初から違っおいたした。
 
理由2匿われおいたのは、必ずしも「盗賊」ではなかった
 独立戊争のあず、圓局は元兵士の摘発ずオヌストリア軍ぞの城兵を始めたす。城兵を逃れるために朜䌏した若者は各地にいたした。ある町では、25人の若者が「所圚䞍明」ずしお蚘録されおいたすが、実際には党員が近隣の葊原に隠れおいた、ずいう話が残っおいたす。

 村人が匿っおいたのは、倚くの堎合、たず「兵隊に取られたくない近所の息子」でした。その䞭の䞀郚が、やがお食えなくなっお家畜泥棒になり、ベチャヌルになっおいく。匿う関係のほうが、盗賊であるこずより先に存圚しおいたわけです。順番が逆なのです。
 
理由3慈善ではなく、経枈関係だった
 ã€€ã‚·ãƒ£ãƒŒãƒ³ãƒ‰ãƒ«ã®è©•刀がタニャの䞖界で高かった理由ずしお、ハンガリヌの説明はかなり実務的なこずを挙げおいたす。奪ったものを垞に公平に分配したこず。そしお、襲撃で死んだ仲間の家族の面倒をきちんず芋たこずです。 
これは「匱きを助ける」ずいう物語よりも、盞互扶助組織や保険の仕組みに近い。匿う偎にずっおは、リスクを取る芋返りがあった。䞭に入る偎にずっおは、死んでも家族が路頭に迷わないずいう保蚌があった。制床ずしおよくできおいたす。
 
 䞀方で同じ資料は、圌が貧しい者を襲わなかった理由に぀いお、憐れんだのではなく、貧しい者からは奪うものがなかったからだ、ず、身も蓋もないこずを曞いおいたす。
 そしおもう䞀面。䞊述のようにベチャヌルはタニャに䜏たう蟲民にずっお、匿うメリットがありたした。だからベチャヌルがタニャに寄れば黙っお酒ず食事が出おきたした。でも誰もが心から歓迎しおいたわけではないようです。断ったら䜕をされるかわからない、ずいう怖さも確実にあったからです。共存関係ずいうのは、たいおい奜意ず恐怖の䞡方でできおいたす。
 
理由4䞖間が、圌らに捕たっおほしくなかった
 ã€€ã“れがいちばん倧きいでしょう。理由3たでは「隠す偎の事情」ですが、これは「芋お芋ぬふりをする瀟䌚党䜓の事情」です。
 ã€€ç‹¬ç«‹æˆŠäº‰ã«æ•—れたハンガリヌは、ハプスブルク垝囜に公然ず抵抗する手段を倱っおいたした。戒厳什䞋では、捕らえられたベチャヌルは3日以内に絞銖刑に凊すず定められおいたす。たずもに立ち向かえば死ぬ。
 
 そのずき、倧平原にひずりだけ、ただ憲兵に鉄砲を撃っおいる男がいた。しかもその男は、革呜の士、コシュヌト・ラペシュ本人が眲名した恩赊状を持っおいるのです。
 
 牢屋にいたシャヌンドルは1848幎、コシュヌトから恩赊を埗お人の自由郚隊を率い、察オヌストリア戊に参加しおいたす。圌はこの䞀点によっお、民衆の蚘憶のなかで、「コシュヌトの友人ずしお、ハンガリヌのために戊った矩勇の士」ずなりたした。戊埌の圌が䜕を盗み、誰を撃っおいようず、「ただ戊っおいる唯䞀の男」ずいう圹柄のほうが、事実より匷かったわけです。
 タニャの蟲民が匿ったのは、その圹柄だったのです。

平原の情報むンフラ、「チャヌルダ」

 ã€€éš ã‚Œå Žæ‰€ãŒã‚¿ãƒ‹ãƒ£ãªã‚‰ã€å‹•くための拠点はチャヌルダでした。チャヌルダずは街道沿いの蟲民居酒屋です。
 
 チャヌルダが重芁だったのは、酒が飲めるからではなく、そこが情報の結節点だったからです。仲間ず萜ち合う。誰がどこを通ったかを聞く。そしお銬喰ばくろうたちが盗たれた銬を売り買いする堎所でもありたした。盗品が珟金に倉わる仕組みが、そこにあったわけです。
 
 立地にも意味がありたした。よく䜿われたチャヌルダは、県境に近い堎所が倚い。远手は県境を越えるず远跡暩限を倱うからです。行政区分の継ぎ目が、そのたた安党地垯になっおいたした。
 

チャヌルダでのベチャヌル
テオドヌル・バレリオ
チャヌルダで楜士の前で悲しむベチャヌル
ムンカヌチ・ミハむ


チャヌルダで䌚合するベチャヌルの図氎圩画
パブリックドメむン


 さらにチャヌルダには次のような機胜が備わっおいたずされおいたす。
チャヌルダの地䞋から森ぞ抜ける50メヌトルず150メヌトルの逃走甚トンネルがあった、ずいう話が各地に䌝わっおいるのです。こうした話は「蚀い䌝えメンデモンダ」ずしお玹介されおいお、珟圚その痕跡は確認されおいたせん。煙突の隠し窓や裏道ぞの抜け穎も同じ類の話ですが、説埗力がありたす。

チャヌルダ
フォルテパン / テッド・グラりトホフ

憲兵の远及を躱かわすための食噚、「ベチャヌル・チュトラ」

 こうしたさたざたな蚀い䌝えのなかで、実物が残っおいるものがありたす。
 「ベチャヌル・チュトラ」です。
 朚で䜜った芋た目はごく普通の氎筒ですが、䞭が耇数の区画に分かれおいお、飲み口の栓を回すこずで、どの区画から泚ぐかをコントロヌルできるのです。工芞品ずしお実圚した食噚です。ベチャヌルの名前が぀いおいるように、匿っおいるチャヌルダの䞻人たちが、この噚を巧みに䜿っお远っおきた憲兵たちの远及をたくみに躱したずされおいたす。


氎筒を手にするベチャヌル。
ケゞェシュ・ペヌゞェフ《Betyár kulaccsal氎筒を持぀ベチャヌル》、1911幎


 
 䞻人たちは、䞀方に氎、もう䞀方に眠り薬を混ぜたワむンを入れたベチャヌル・チュトラから、官憲のカップにはワむンを、自分のカップには氎を泚ぎわけお、憲兵をもおなしおいたず蚀われおいたす。
 酔っお憲兵が眠ったすきを芋蚈らっおベチャヌルたちは脱出したのでした。
 
 たいがいはうたくいきたした。うたくいきすぎお、皮肉な話も生み出しおいたす。
 1884幎、バコニュ山地最埌のベチャヌルず呌ばれたシャノァニュヌ・ペヌシカが捕たったずきの手口が、たさにこれでした。ハラヌプのチャヌルダで飲んでいた圌のワむンに、眠り薬が入れられおいた。仕蟌んだのは远手ではありたせん。か぀おの仲間です。ペヌシカに芪族を撃ち殺された男が、報埩のために盛ったのでした。眠ったずころを憲兵が難なく取り抌さえおいたす。
 匿うための仕組みず、売り枡すための仕組みは、同じ堎所にあったのです。

牧童であるこずが、そのたた職業蚓緎だった

 タニャに匿われおいたベチャヌルたちの掻動は倜が䞻䜓です。かずいっお昌間、ずっず寝お過ごしおいたわけではありたせん。倚くは、昌間は牧童のふりをしおいたした。「ふりをしお」ずいうより、もずもず圌ら自身が蟲民だったので、実際に牧童だった者がそのたた倜だけ別の仕事をしおいた、ずいうほうが近いのです。
 
 圓時の牧童の暮らしは、かなり過酷でした。倏でも冬でも、マント䞀枚ず、わずかなパンずラヌド、それにパヌリンカ果実の蒞留酒だけを持っお、䜕日も倧平原の牧草地で家畜の面倒を芋る。雪が降ればマントにくるたっお耐える。孀独ず寒さず退屈に匷くなければ務たりたせん。
 
 この生掻が、そのたた逃亡技術になりたした。远手が来おも、草叢や藁の䞭に䜕時間でも動かずにいられる。それができるのは、もずもずそういう時間の過ごし方に慣れおいるからです。

「銬を静かに連れ出す」ベチャヌルの技術

 家畜の扱いも同じです。圌らは銬ず牛ず矊のこずを知り尜くしおいたした。圓時の牧童に぀いお「錻が利き、耳がよく、たいおい犬を飌っおいる。それでも倜のあいだ犬が䞀声も吠えないうちに銬を盗たれる」ずいう蚘述が残っおいたす。犬を手懐ける方法を知っおいお、堎合によっおは声を䞊げさせずに始末するこずもできたようです。
 
 銬に぀いおは、より具䜓的な手口が䌝わっおいたす。足枷の鉄を鑢で静かに倖す。蹄の音が鳎らないよう、銬の足銖に袋を瞛り぀ける。神経質な倧型銬をどうやっお黙らせたのか、现郚たでは分かっおいたせんが、少なくずも「静かに連れ出す」こずに技術䜓系があったのは確かです。
 

平原を銬で疟駆するベチャヌル
カヌロむ・ロッツハンガリヌ囜立矎術通


 圌らが牛や矊より銬にこだわった理由も実務的でした。移動が楜で、駿銬なら平原で远手を振り切れお、いざずなれば高く売れる。逃走手段ず資産ず商品を兌ねおいたのです。
 

1900幎代のハンガリヌの牧童。広倧な平原で矊を牧矊犬ずずもに守るホルトバヌゞの牧童
FORTEPAN / Magyar Földrajzi Múzeum / Erdélyi Mór cége 

 壁に穎を開ける技術もありたした。家人が寝おいるあいだに、物音を立おずに壁や壁の䞋の地面を掘る。
 ある裕犏な蟲家で、朝ベッドから䞋りた劻が「この郚屋はなんお冷たいのかしら、足が冷える」ず蚀ったので、よく芋るずベッドの䞋に、倧きな穎が開いおいたずいうものです。
 䌝承ずしお残っおいる話で、明確な蚌拠、蚌蚀はありたせん。ただ圌らの手口が極めお巧劙で掗緎されおいたこずは確かなようです。

ズルドノァヌシャヌル——緑の垂

 けれども問題がありたす。盗んだ家畜を金に換える必芁があったのです。そのためにはもう䞀぀の仕組みが芁りたす。

 牛や銬には蚌明曞が付いお回りたした。シャヌンドルの最初の逮捕も、アンゞャル・バンディの転萜も、きっかけは蚌明曞です。正芏の垂堎には怜査があり、来歎の蚀えない家畜は持ち蟌めたせん。ではベチャヌルたちは、盗んだ数十頭をどこで捌いおいたのか。

 ハンガリヌ民俗孊事兞に茉っおいるのは、「ズルドノァヌシャヌルzöldvásár」。蚳せば「緑の垂」です。「緑」は草の䞊ずいう意味です。屋根も囲いも垳簿もない、草地に立぀垂です。

 正芏の垂が立っおいる期間䞭に、垂堎の敷地ではなく垂の倖で行われた売買垂堎で、堎所は街道沿い、垂堎に隣接する森、攟牧地、そしおチャヌルダのそば。堎所代を払わず、圓局の怜査をすり抜けるためのものでした。

 チャヌルダがなぜ盗品の出口になれたのかは、これで説明が぀きたす。正芏の垂堎の倖にあり、街道沿いで、県境に近い。緑の垂が立぀条件を、そのたた満たしおいたのです。

 ここで泚意しおおきたいのは、緑の垂がベチャヌル専甚の闇垂ではなかったこずです。普通の蟲民や商人が堎所代ず怜査を避けるために䜿った脱法垂です。ベチャヌルはそこに玛れ蟌んだにすぎたせん。蚌明曞のない家畜を捌くのに特別な裏瀟䌚は必芁なく、みんなが皎を逃れるために䜿っおいる草地に持っおいけばよかったわけです。

 売り手ず実行犯を分ける工倫もあったようです。
 蟲民のなかには圓然盗たれた銬を远っお垂たで行く者もいたす。そこで自分の銬が売りに出おいるのを芋぀けるのですが、売っおいたのはベチャヌルではなく故買人でした。故買人ずは盗んだ盗品をわかっお垂堎で売る者たちのこず。
 圌らの働きは぀。たず買い取り。
 ベチャヌルは奪った銬や牛をその堎で珟金に換えたいので、たずめお匕き取る盞手が芁りたす。
 次に掗浄ロンダリング。蚌明曞のない家畜を、来歎の蚀える商品に芋せる䜜業です。焌き印を朰す、蹄鉄を打ち盎す、県をたたいで移す、時間を眮くなど。
 そしお売华。実行犯が垂に立たずに枈むよう、圌らが売り手ずしお衚に出たす。だから買い手は安心しお近づき、銬を芋お回れたのです。盗んだ者ず売る者の分担ができおいたずいうこずです。

なぜ、芋枡す限りの平原で芋぀からなかったのか。

 ここたで曞いおきお、ひず぀物理的な問題が残りたす。

 倧平原には、隠れる堎所がありたせん。山も森も谷もない。地平線たで麊ず草が続いおいるだけです。遠くから憲兵が来るのが芋えるずいうこずは、向こうからもこちらが芋えるずいうこずでもありたす。

ハンガリヌの倧平原「ブスタ」
パブリックドメむン

 では、チャヌルダで飲んでいるベチャヌルに、「いた憲兵が来おいる」ずどうやっお䌝えるのか。あるいは逆に、「もう出おいったから入っおいい」ず、どうやっお知らせるのか。

答えは、井戞です。

 ハンガリヌ倧平原の颚景写真に必ず写っおいる、あの長い棒が斜めに突き出た井戞——ゲヌメシュクヌト跳ね䞊げ井戞です。支柱の䞊で長い腕朚が支点を軞に回転し、片端に桶、反察端に石や朚の重りが付いおいる。腕朚を䞋げれば桶が井戞に沈み、手を離せば氎を汲んだ桶が持ち䞊がる。おこの原理を䜿った、蟲村のどこにでもある氎汲み装眮です。

 この腕朚の角床に、意味がありたした。

井戞で䌑憩するベチャヌル
ステリオ・カヌロむ

 民俗孊者ヘルマン・オットヌは1914幎に、これを「最も叀いハンガリヌの電信」ず呌んでいたす。腕朚の立ち方には皮類があり、ベチャヌルずその支揎者たちがそれを盛んに䜿った、ず。
 ハンガリヌ民俗孊事兞には「跳ね䞊げ井戞による合図」ずいう独立した項目が立っおいお、こうありたす——腕朚の䜍眮によっお、ベチャヌルは遠くからでもチャヌルダの呚蟺に憲兵がいるかどうかを知るこずができた。

 この仕組みの巧劙さは、暗号の耇雑さにはありたせん。たったく目立たなかったこずにありたす。

 跳ね䞊げ井戞で合図を送るのは、もずもず日垞の習慣でした。芖界の範囲で攟牧しおいる牧童に、昌䌑みの時間、氎やりの時間、食事の時間を知らせる。タニャの䞖界では、畑に出おいる日雇いや蟲䜜業員に「昌飯ができた」ず䌝える。井戞の腕朚が䞊がったり䞋がったりしおいるのは、倧平原でいちばんありふれた光景です。

 憲兵が銬で通りかかっお、井戞の棒が立っおいるのを芋る。䜕も起きおいたせん。井戞で氎を汲んでいる。それだけです。

 実際、ある解説はこう曞いおいたす。憲兵たちが、井戞の「舌」がやたらずよく動くのは誰かが誰かに合図を送っおいるからだず気づくこずは、めったになかった。圓局が䜕十幎も特定のベチャヌルの足取りを掎めなかった理由のひず぀はそこにある、ず。

 ホルトバヌゞ地方に、この仕組みをそのたた歌った民謡が残っおいたす。四行の䞭に、必芁なこずが党郚入っおいたす。

井戞の腕朚が䞋ろされおいるのが芋える
「ドむツ人」はもうチャヌルダから出おいった
女将さん、戞を開けおくれ
牝矊を9頭ず圓歳を連れおきた

 腕朚が䞋がっおいる安党。憲兵は「ドむツ人」ず呌ばれおいる。そしお最埌の行で、連れおきた家畜を枡しおいる。
 合図ず、安党確認ず、盗品の受け枡しが、四行で完結しおいるのです。

芋匵りず、垣根の掗濯物、パむプの煙

 合図は井戞だけではありたせんでした。

 ハンガリヌのチャヌルダを扱った蚘事に、こうありたす。
 「ベチャヌルのタニャやチャヌルダには、たいおい芋匵り圹がいお、远手が近づくず合図した。取り決めの合図もあり、たずえば「犁止」の䜍眮に立おた跳ね䞊げ井戞や、垣根に干した掗濯物が、その堎所を避けるべき合図になった」ず。

 掗濯物が合図でした。

 日本語資料などには「垣根や朚に、はっきりした色の服をかけおおく」ずあったりしたすが、目立たせるための工倫、ずいう読み方です。ずころがハンガリヌの蚘述では干しおあるのは、掗った䞋着類。぀たり、ただの掗濯物でした。

 この差は小さくありたせん。なぜなら色鮮やかな垃は、芋る人が芋れば䞍自然だからです。䞋着の掗濯物は䞍自然ですらない。垣根に掗い物が干しおあるのは、蟲家の庭でいちばんありふれた光景です。

 ぀たり跳ね䞊げ井戞ずたったく同じ蚭蚈思想だったのです。特別な暗号を䜜るのではなく、毎日誰かがやっおいるこずの䞭に意味を埋める。読める者だけが読み、読めない者には䜕も起きおいないように芋えるようにするのです。

 腕朚の䜍眮には、呌び名も付いおいたようです。
 ひず぀は「ティロシュtilos」——犁止。この向きに立っおいたら近づくな、ずいう意味でした。その角床にはそれぞれ意味があったずされたすが、少なくずも笊号の䞀぀には名前があったこずになりたす。

 このほか、目立぀ようにパむプをふかす、ずいう合図も䌝わっおいたす。

 この平原には隠れる堎所がなく、そこに蟲家、村人の日垞があったわけです。したがっおできるだけ違和感を出すこずなく、ごくごく些现な倉化を埋め蟌んで情報を届け合う仕組みが求められたのです。

同じ火が、圌らに向けお焚かれた

 こんな話もありたす。ハンガリヌのキシュクンシャヌグ地方の牧童たちは、倜、火を急に燃え䞊がらせるこずで仲間に危険を知らせる習慣を持っおいたした。
 䜕を知らせたか。狌が小屋チェレヌニュの近くをうろ぀いおいるずき。そしお、ベチャヌルが襲っおきたずきです。

 同じ資料の同じ行に、狌ずベチャヌルが䞊んでいたす。
 
 これは䜕を意味しおいるのでしょうか。
 ぀たり平原に匵り巡らされた合図の網は、ベチャヌル専甚の防衛システムではなかったずいうこずです。共同䜓が持っおいた汎甚の通信むンフラで、ベチャヌルはその䞀時的な利甚者にすぎなかったのです。
 通信網を誰の偎に立っお動くかは、その぀ど共同䜓が決めおいたした。

 決め方が倉われば、網はそのたた向きを倉えたす。

網は反転しない。黙るだけでいい

 珟代のハンガリヌは、矩賊倧囜ではありたせん。
 党土で掻躍したベチャヌルたちは、い぀しか歎史のなかに消えおいきたした。
 あれほど支持しおいた村人たちが、圌らを狩る偎に぀いたのです。
 その倧きな圹割を果たしたのが、この通信網だったのです。
 ただ「やがおこの通信網は向きを倉え、ベチャヌルを狩るために䜿われた」ず蚀えるほど単玔ではないずいうこずです。
 
 跳ね䞊げ井戞の合図が官憲偎の道具ずしお䜿われたずいう蚘述は、少なくずも出おきたせん。
 ホルトバヌゞの民謡から読み取れるのは、腕朚が䞋りおいる状態が「憲兵はもう出おいった、入っおきおいい」を意味しおいたずいうこず。安党のほうが、井戞の普段の姿なのです。

 ずいうこずは、村人がベチャヌルを狩るなら、合図を出すのをやめるだけでいい。腕朚をい぀もの䜍眮に攟っおおく。それだけで、遠くから芋おいるベチャヌルは「安党だ」ず読んで、チャヌルダに入っおいくこずになりたす。

裏切るのには、腕朚を動かす必芁はない。手を止めるだけで足りる

 しかも、これは受け取る偎からは刀定できたせん。腕朚が䞋りおいるのは、憲兵がいないからなのか、それずも誰も自分のために腕朚を動かさなくなったからなのか。合図を読む者には、どちらも同じ圢をしおいたす。

 長く自分を守っおきた網が、どこかで機胜しなくなっおいったのです。しかし、誰が「黙ったのか」は分からないずいうこずです。

 網が向きを倉えたのではなく、網が静かになったずいうこずです、おそらく。

 ベチャヌルたちがうたく逃亡できたのは、こうした倧平原のむンフラに加えおもう぀ありたした。

 それは、女性にモテる、ずいうこずです。すでにこのシリヌズに登堎したベチャヌルたちは、女性にモテたくっおいたようです。
 それは、たたたたモテたから長く逃亡できた、ずいうよりベチャヌルずしお掻躍するためには、“女性にモテるずいうこずが、ベチャヌルにずっお必須むンフラであった”のでした。

 そのあたりに぀いおは、たた次回に──。

参考資料 南塚信吟『アりトロヌの歎史』NHKブックス | 南塚信吟『矩賊䌝説』岩波新曞 | E. J. ホブズボヌム『匪賊の瀟䌚史』みすず曞房 |
Magyar Néprajzi Lexikonハンガリヌ民俗孊事兞ハンガリヌ民俗誌Magyar Néprajzハンガリヌ囜立公文曞通Magyar Nemzeti Levéltár Szenti Tibor『南郚倧平原のベチャヌルの䞖界』
ほか

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あわせお読むず、歎史ず珟代がもっず楜しくなる


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