【エッセイしりとり企画作品】どうにもならない出来事
これまで人生で何度か、修羅場らしきものに遭遇してきた。
ヤンキーに絡まれたり、会社で上層部の批判を繰り返し、クビになりかけたことだってある。
でも、だいたいのことはなんとかなった。
まったく勉強もしなかった高校受験もなんとかなった。
就職だってなぜか大手に入れた(すぐに辞めてしまったが)。
世の中って案外甘い。
俺の人生はなんだかツイている。
親父が事故に遭ったという電話を受けた時でさえ、俺は自分にそう言い聞かせていた。
「大丈夫だって。今までなんとかなってきたじゃん!」
でも、親父が帰ってくることはなかった。
世の中には「どうにもならない出来事」っていうものがある。その時、俺は人生ではじめてそれを知った。
結婚当初、俺たち夫婦はなかなか子宝に恵まれなかった。何年も不妊治療に通った。検査もたくさんしたけれど、これといった原因はわからなかった。
今月もダメ。
来月もダメ。
何やってもダメ。
病院に行く日の前後、いつも嫁が見せるヒマワリのような笑顔は影を潜め、アナウンサーがたまにする表情筋だけの笑顔になる。
そんな笑っていない笑顔を何度か見て、俺はある日嫁に話した。
「なぁ、俺もう子供いいから、その代わりOMEGAの時計買いたい。ダメ? そういう幸せだってあるじゃん。北海道にも行きたいしな」
嫁は少し笑って言った。
「一緒に高い時計買っちゃおうか?」
その週末、俺は欲しかったOMEGAのスピードマスターを買った。月の満ち欠けまでわかる高い奴だ。
そして翌週、嫁の初めての妊娠がわかった。
「出産シーン録画してね」
嫁の希望もあり、立ち会い出産をすることになった。手を握るくらいしかできないかもしれない。でも、親元を離れ、近くに友達もいない嫁を一人になんてできない。一緒にいなければ。
切迫流産だのなんだので入退院を繰り返す嫁。色々な不安は、ベビーベッドにおくるみ、おむつ、そんな出産準備でごまかした。俺より嫁のほうが100万倍不安なはずだ。
「時計、返品してきて?」
そんな冗談さえ言う嫁と一緒に、万端な準備を整えつつ、十月十日はなんとか過ぎていった。そして、とうとうその日はやってきた。
「やばい、産まれるかも」
出社直後に携帯が鳴った。会社を飛び出し、光よりも早く家に戻った俺は、すぐさま嫁を連れて病院へ行った。その直後、破水が始まった。それまで何度も頭の中で想像していた出産が、とうとう始まったのだ。
「頑張ってください!あと少しですよ!」
「オギャー!」
いつかテレビで見た、そんな感じを予想していた。
「頭が見えてます」
看護師さんの声が聞こえ、嫁は苦悶の表情で歯を食いしばっていた。俺はオタオタしながらも、カメラを構え撮影していた。
あと少しなの?何が起きてるの?
そこから何も進んでいるように見えない。
大丈夫なの、これ?
最初、部屋には先生らしい人と看護師さんが二人だった。気がつくと、一人増えて三人になっていた。
「出血増えてます!輸血の準備して!」
え?
出血に輸血⁉
俺の頭の中で、その言葉だけがやけに大きく響いた。
「**さん呼んできて!」
また看護師が一人増えた。ただでさえ不穏だった部屋の空気が、さらに変わった。みんな血相を変えて1.2倍速で動いている。どうみても一大事にしか見えないんだけど大丈夫かこれ。
「押すから!」
先生が嫁のお腹の上にまたがり、格闘技で言うマウントポジションになった。体重をかけるようにグイグイお腹を押している。嫁の膨らんだお腹がぐぼっぐぼっとへっこむが、また元通りに盛り上がる。ものすごい勢いで、お腹が膨らんだりへこんだりを繰り返している。
なんなのこれ!いいの?これ!?
俺はいつしかビデオカメラを置き、アワアワとただ突っ立っているだけの人になっていた。嫁の手さえ握ってやれていなかった。
「だめです!出ません!」
看護師さんが緊迫した声で叫ぶ。
嫁は、見た事がない苦悶の表情だ。
「うー、うー」
顔色はどんどん青くなっている。
「手術室、準備入って!」
手術?
え?
待って。
ちょっと待って。
「大丈夫…なの?」
嫁から返事はない。
これ、もしかしてなんかダメなやつなのでは?
またどうにもならないことが起きるかもしれない。
親父の時と同じように。
「大丈夫だって。なんとかなる」
そう思いたい。前ならそう思っていた。でも目の前で繰り広げられる慌ただしさに「きっと何とかなる!」なんて到底思えなかった。なんとかならないことがある。大切な人が、突然いなくなることがある。俺はそれを知っている。
嫁か子供、もしかしたら両方が、
死ぬかもしれない。
その言葉が頭に浮かんだ瞬間、頭が真っ白になった。いつかと同じ、目の前が見えなくなる感覚だ。
頼む。頼む。頼む。
神様なんとかしてください!
俺は誰に言っているのかもわからないまま、心の中で何度も繰り返していた。
部屋の中は、薬品なのか血なのか、今まで嗅いだことのないような匂いと、よくわからない空気で、よどんでいた。忘れられない空間、そして匂い。
それから、少しして。
「出ました!大丈夫です!」
と、声がした。
でもまだ世界はゆがんでぐにゃりとしたままだった。
「おぎゃぁ」という声はなかった。いやあったかもしれない。俺は産声を記憶していなかった。
オロオロするだけの俺はすぐには喜べなかった。
嫁を見ると、うつろな目でこっちを見ていた。
「う……うぅ……」
嫁は泣いていた。でも嬉しそうに泣いているのを見て、俺はようやく我に返った。
「大丈夫?大丈夫?大丈夫?」
たぶん二十回か三十回くらい聞いた。その後も胎盤の処置だのなんだので、嫁はずっと痛そうにしていた。でも、なんとか終わった。
子どもは生きている。
嫁も生きている。
俺は、まだボーっと突っ立っている。
全部終わってから、ようやく身体の力が抜け、その場にへたり込んだ。ハッとして嫁の手を握った。大変な目にあった嫁に、俺がかけた言葉は、
「ごめん録画できてないや」
だった。
今でも、ときどきあの日の声が頭の中で再生される。
「お父さんが大変な事になったの!」
「輸血の準備して!」
「手術室、準備入って!」
今日ケンカしたまま、もし明日いなくなったら。
あの時もっと優しくしてやればよかった。
そんな後悔なんてする気はさらさらない。
世の中甘くなんてない。
だから俺は、今日も家族を甘やかす。
以上、読んでいただきありがとうございました。
このエッセイですが、実は連作となっています。
もし良かったらこちらもどうぞ。
マイキーさんの「♯エッセイしりとり」という企画で、オルカさんよりバトンをいただき書かせてもらいました。ありがとうございました。
オルカさんのエッセイはこちら。
★企画概要
と、いうわけで私が次の方にまわすバトンは「と」です。
まずはこのお方に。
深水双葉さんです。実は深水さんから別企画のバトンを渡されているのですが、そのバトン回していません💦 貰ったバトンを違うバトンで返してしまう裏切りのバトントス。すみません~。
あと、もうお一方。渡井なちさんへ。
すみません勝手に!
問答無用で勝手に、指名させてもらってますので決して強制ではありませんし、企画の締め切りがどうやら8月31日までのようなのでお忙しかったら全然大丈夫です!(パスされた際も、本当にどうぞお気になさらずで!!)
●バトンを渡した人の記事のタイトルの最後の文字をタイトルにつける
●本文140字〜3000字
●締め切りが8月31日まで
●「#エッセイしりとり」のタグをつける
●3名以内で次の人に繋げる(繋げなくてもいい)
