家族との距離を整える── “親孝行”のかたちはひとつじゃない
干渉しない、というやさしさ
「なんでもやりたいことはやってみなさい」
「行きたいところがあれば、どこへでも行きなさい」
そう言って背中を押す、そんな家だった。
だから若い頃のわたしは、親元を離れても、罪悪感というものを、あまり感じないまま過ごしていた。
電話の回数が減っても、帰省が少なくても、
「大丈夫、好きなことをしなさい」
という空気を、そのまま受け取っていた。
“いつか”にしてきたこと
「結婚したら、実家に帰るのもままならなくなるでしょうから、その前に旅行でも、買い物でも」と、母とはよくそう話していた。
けれど実際は、仕事に追われ、その時間をうまくつくれなかった。
そんなときも「仕事を任されるって立派なことよ」と言ってくれた。
結婚してからは「嫁ぎ先で可愛がられるのが一番幸せよ」という言葉に甘えて、実家に帰るのはいつも後回しに。
そのうち「お互い落ち着いて元気なうちに、いつか、きっとね」という約束も、“また今度ね”をくり返すうちに、そのまま時間の向こうへ行ってしまった。
ひとりで生きることも、親孝行
家族の仲が悪いわけでも、ぞんざいに扱ってきたわけでもない。
むしろ互いに尊重していたと思う。
それでも、家族が一緒に過ごす時間が少ないまま、別れの日を迎えた。
「親孝行らしいこと、なにもしていないんです」
式が終わったあと、ぽつりと言った。
すると僧侶が、静かに言った。
「ひとりでちゃんと生きていけるようになったことが、一番の親孝行です。」
その言葉が、胸の奥でそっとほどけていった。
わたしたちが大切にしてきた“あっさりした関係”は、冷たさではなく、相手を信じるからこそ選べた距離だったのだと。
距離のある愛というかたち
濃く絡み合う関係だけが、正しさではない。
そっと寄り添いながら、必要なときだけ手を伸ばす──そんな愛の形もある。
親孝行は、「何かをしてあげること」だけではないのかもしれない。
安心して生きている姿を見せること。
心がすり減らない距離を、ちゃんと選び続けること。
それもまた、きっと親を大切にする、静かな形なのだと思う。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
少しでも響くものがあれば、“スキ”で教えていただけるとうれしいです。
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