追うのを、やめてみた。
── 情報を手放して、心にもゆとりが生まれた話
朝、スマホを開くのが、ほんの少しだけ憂うつになっていた。
画面に並ぶ未読の数、通知の数、お知らせの数。
好きでフォローしたはずのアカウント。
読もうと思って登録したメルマガ。
それなのに、心はどこかザワザワしていた。
──あ、ちょっと疲れてるかも。
そう気づいて、ひとつ、そっとフォローを外してみた。
“好き”が、いつの間にか負担に変わるとき
“推し”のいる毎日は、たしかに楽しい。
でも、“推しに合わせて生きる”ようになると、少しだけ苦しくなる。
新作の情報、新着のお知らせ、新しい話題。どれも見たい。
けれど、見逃したくない気持ちが、いつしか焦りに変わっていた。
SNS疲れ──そう呼ぶのかもしれない。
だから、ある日、決めたのだった。
残すのは、公式アカウントだけ。
“無数の善意”で成り立つファンアカウントのタイムラインからは、一歩引いてみることにした。
すると──思ったよりも、平気だった。
情報を断ち、静けさを取り戻すまで
その流れで、読んでいなかったメルマガも一括で解除。
「今日だけお得!」の通知にも弱かったけれど、そもそも知らなければ、欲しくもならないと気づいた。
なんとなく“いいね”を押していたアカウントにも、そっと距離を置く。
通知音もミュートにしてみたら、不思議と、呼吸が深くなった。
──まるで、ずっと鳴っていた小さなBGMが、ようやく止んだみたいだった。
これこそ、私なりの情報の断捨離。
── やめてみてよかったことリスト
・“ちょっと気になる”でフォローしたアカウント
→ 気軽なつもりが、いつの間にかノイズに
・なんとなく押していた“いいね”
→ 共感より「義務感」になっていたら要注意
• フォロワーや“いいね”の数を気にすること
→ 数字より、気持ちが通じるかどうか
• 人のSNSをパトロールすること
→ 見ても、なぜかモヤモヤするだけだった
• 通知をすべてリアルタイムで受け取ること
→ 静けさは、設定ひとつでつくれる
→ 折り返しが必要なものだけ、オンに
──
全部を追いかけなくても、大切なものは、ちゃんと届く。
必要なときには、必要なかたちで、そっと現れてくれる。
そう思えるようになってからは、朝の時間が、少し穏やかになった。
気づけば──
置き忘れていた“わたし”の声が、ちゃんと聞こえていた。
──
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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