パイサーン師 受け入れられたいという願い②
認められれば、人は変わる
しかしこうした人たちも、善いことをする機会を与えられ、公のために役立つ機会を得て、受け入れられ、褒められると、がらりと変わります。
何年か前のことですが、「サムライ」と名乗る若者のグループがいました。しょっちゅう喧嘩騒ぎを起こし、爆音を立てて走り回るので、村人たちにとっては迷惑千万で、たいそう嫌われていた。村人が叱れば叱るほど、かえって煽り立てる結果になった。
ところが、かつて同じ道を歩んで立ち直った先輩がやって来て、彼らを公益の活動に誘ったのです。たとえば年末年始やソンクラーンの時期に、警察の検問を手伝う。飲酒運転を取り締まって事故を減らすための検問です。
村人たちは最初、何が起きたのか戸惑いました。しかし、夜遅くまで、真夜中まで警察とともに検問所に立ち、公のために働く彼らの姿を見て、称賛するようになった。子どもたちの多くは、それがたいそう嬉しかったのです。これまで誰にも褒められたことがなかったからです。褒められ、受け入れられて、彼らは立ち直り始めた。暴走族から、不良グループから離れ、地域のために働くようになり、よりよい人間になっていったのです。
こうした人たちには、本当は刑務所も牢屋も必要ないのです。性根を叩き直す必要などない。ただ、善いことをする機会を開いてやり、それが受け入れられさえすれば、彼らは改心し、善い人になり、あるいは善を積み重ねていくことができる。自分にも善いことができるのだ、人に受け入れてもらえるのだと知るからです。
しかしそれが欠けていれば、刑務所へ、あるいは不良集団へと流れていく可能性がある。受容を求めて──たとえそれが間違った形の受容であってもです。
これは、親もまた心にとめておかなければならないことです。そうでなければ、知らず知らずのうちに、わが子を刑務所へ、あるいは不良集団へと押しやってしまうことになりかねません。(終わり)
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