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パイサーン師 受け入れられたいという願い①

受け入れられたいという願い

ある少年が、ふとしたことから薬物に手を出してしまいました。依存が始まると、薬を買う金を得るために、ついには売人にまでなってしまいました。使用と密売が発覚して逮捕され、刑務所に入ることになります。

ところが刑務所に入ってからの彼は、心を入れ替えて環境に適応しようと努めました。看守にもよく協力し、刑務所内のさまざまな仕事を手伝いました。図書係をしたり、病気の受刑者仲間に薬を配ったり、仲間に読み書きを教えたりもしました。そうして「模範囚」となり、ほどなく釈放されて刑務所を出ることになったのです。

家に戻り、両親と暮らし始めました。しかしそこで彼が出会ったのは、家族からの嫌悪の感情でした。地元で薬物に溺れ密売をして刑務所にまで入った人間だからです。家の物を盗むのではないかという疑いの目も向けられる。両親は息子と一緒にどこかへ出かけることを恥ずかしく思い、「薬物で刑務所に入った子の親だ」と人に言われるのを恐れて、面目が立たないと感じていたのです。だから息子のそばにいたがらず、どこへ行くにも距離を置こうとしました。

嫌悪され、疑われ、そのうえ家の中で物がなくなれば「お前が盗んだのだろう」と決めつけられる。家にいることが、彼にとって大きな苦しみになりました。

そして最後に、彼はまた薬物の密売に戻ってしまうのです。悪事に惹かれたからではありません。刑務所に戻りたかったからです。刑務所に戻る口実をつくりたかった。刑務所に入れば、自分を受け入れてくれる知った顔たちに会える。そこで彼はまた元通りの模範囚となりました。ふてくされた態度をとるでもなく、中に入れば心安らかで、受刑者仲間からも看守からも受け入れられたのです。

こういう例は決して少なくないでしょう。刑務所を出た人がまた戻っていく。家の人たちに押し出されたからであり、周囲からの受容を得たいからなのです。

受け入れられる場所を求めて

実は、刑務所に入っていない人にも同じことがたくさん起きています。押し出された先が刑務所ではなく、不良グループだったというだけのことです。薬物とは無縁でも、親の気に入らない振る舞いがある。成績が芳しくない、遊び歩く、金遣いが荒い。そうして叱られ続けるうちに、家にいても幸せでないと感じるようになる。家の人から親から受け入れてもらえなければ、どこか他のところに、他の人に受け入れてもらうしかありません。

そして、十代の若者が求めるような受容を与えてくれる集団といえば、不良グループであり、暴走族です。そこにのめり込み、やがて悪徳に、酒に、薬物に流されていく。

こういう若者たちを「まっとうに生きる気がない」と言うのは、実は正しくありません。受け入れられることを求め、家から押し出された結果なのです。そしてこれは今、非常に多くの十代の若者に起きていることであり、男の子だけの話でも、女の子だけの話でもありません。

遠い世界の話に見えて、実はどんどん身近になってきています。私たちの子や孫のことだからです。親である人、祖父母である人には、子や孫がいる。その子は決して悪い子ではないかもしれない。ただ、親や祖父母が期待するほど「よく」はない、というだけかもしれません。

粗暴でもなく、非行に走るわけでもないが、言葉づかいが十分に丁寧ではない。あるいは勉強はできるけれど、親が期待するほどにはできない。そこで叱責され、小言を言われ、疑われる。それが重なれば、もう幸せではいられません。

なぜなら人間は、腹いっぱい食べて暖かく眠れればそれでよい、という存在ではないからです。心の幸福も必要とします。そして凡夫にとっての心の幸福のひとつが、受け入れられること、信頼されることなのです。

親や年長の親族がそれを認めず、叱り、責める。あるいは、親や親族の目には「よい人間」になれない。相手が求める水準、満足する水準、期待する水準に届かないからです。こうして若者は、他の集団に受容を求めるほうへと押し出されていく。その集団はたいてい、いわゆる「不良」と呼ばれるような集まりです。

受容の代償

そこに入ってしまえば、さらに受け入れられたいと願うようになる。すると、法すれすれ、規則すれすれ、道徳すれすれのことをしなければならなくなる。あるいは、はっきりと一線を越えてしまう。たとえば、人を殴りに行く。

仲間に認められたいがために、他人に暴力をふるったり、女性を集団で襲ったりする。最初は怖くてできない。しかし仲間に「本気じゃないんだな」となじられる。仲間内での承認がほしいために、悪を行うことを引き受けてしまうのです。

ある者は相手と喧嘩をして傷を負わせた。しかし怪我をさせただけだったので、「そんなのは本物じゃない、殺してこそだ」と仲間に笑われた。そして次に喧嘩になったとき、銃で相手を撃ち殺してしまった。個人的な憎しみなど何もありません。ただ受け入れられたかった、意気地なしと侮られたくなかった、それだけです。

これが多くの十代の若者の運命なのです。ただ親から、家族から受け入れられなかったというだけで。そして他所に受容を求めた結果、より深く沈んでいく。先ほどの、刑務所に入ってでも模範囚として受け入れられたいと願った青年よりも、むしろ悪い状態かもしれません。刑務所の中は、悪事を働く機会も条件も乏しい環境ですが、外にはいくらでもその機会があるからです。(続き)


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ばいたらよう(貝多羅葉) 貴重なお布施ありがとうございます!