岐阜の栗きんとん
好物のひとつに、栗きんとんがある。
栗きんとん、と言っても、わたしは岐阜のものでなければだめ。
栗きんとんは、栗の実のほっこりさと淡い甘さが最大限に引き出された、あの、岐阜のこれ以上ないくらいの素朴なやつでなければ。
たとえ美味しく出来上がっていたとしても、バターやさつま芋なんかを混ぜた栗きんとんは、栗きんとんではなく別の類のお菓子だと思う。
わたしの中でのほんとの栗きんとんは、味だけではなく、賞味期限だって、超儚い。
あれは買ってすぐに食べなければいけない。
なんなら持ち帰ったその日の夜にでも、もう味が変わってしまっている。
栗の収穫時期にもよるのか、同じ店の栗きんとんでも、毎回、味がちがっているような気がする。
生ものではないけれど、生もの級の取り扱いを要する。
毎年秋になると、栗きんとんが売り出される岐阜県に車で通った。
家から目と鼻の先にある名古屋の街よりも、中津川や恵那、それから馬籠に行った回数のほうが多かった。
あのころはまだ夫の愛車だったロードスターがあったから、地べたを這うようにして走るそれに乗って紅葉の進み具合を眺めながら移動した。
わたしには今でも理解できないけれど、夫はぐにゃぐにゃと曲がる山道をドライブすることを楽しんでいた。
至るところに透きとおった水の流れる川があり、やさしい曲線を空に描く山に囲まれた岐阜の田舎がわたしは大好きだった。
大らかな緑の景色はふるさとを思い起こさせ、人は幼いときに慣れ親しんだものからなかなか抜け出せないものなんだなと思った。
「こんなにお店があって大丈夫なん⁉」と思うほど、中津川には栗きんとんを筆頭に和菓子を売る個人店舗が集中していた。
栗と砂糖からできた栗きんとんは、ふしぎと店ごとに味がちがっていて、行く度に別の店のそれを買い求めて食べ比べをした。
地味で、ぜいたくな楽しみだった。
カレンダーが九月に近づくにつれ、そんなことを思い出していたある日。
教会から家まで送る道中で話すうち、Fさんが岐阜の山奥の出身だということがわかった。
Fさんは(たぶん)七十を過ぎていて、近くの商店街の裏路地の一角でやもめ暮らしをしている。
以前、夫との会話の中で、かつてはエンジニアで、もんじゅをはじめ哨戒機やスペースシャトルの設計の仕事に携わっていたと話していた。
熱と厚みの関係。わたしにはさっぱりわからない分野の話だった。
恰幅の良い方で、町内会長とか商店街会長とかしていそうに見える。
わたしがこちらに来たばかりのころ、教会の戸を開ける度によく通る声ではきはきとあいさつをしてくれるので、「入っていいんだな」と安心したものだった。
Fさん特有のだれでも近寄りやすい、あっけらかんとした人柄のためか、商店街にも古くからの知り合いが多くいるようだった。
透析で本当に大変なことも、Fさんが飾り気のない口調で話すと、大変なんだけれども悲壮感みたいなものがあまりただよわない。
でも、話の内容からするととても大変な状態だから、祈らなければ、という気持ちになる。
透析が始まった去年の秋か冬頃からずっと、とても辛そうな症状のときでも礼拝に参加している。周りが心配しても、Fさんがそうしたくてそうしている。
時々、体調のいいときには、教会の前の道を掃き掃除している。
Fさんが、神様に頼って生きていることが、みえる。
そして、わたしにはわからない方法で、神様がFさんに応えられていることが、わかる。
そうでなければ、あんなふうにできない。
お互い、いろんな土地で暮らして、今に至っている。
Fさんは、岐阜から北陸、湘南、そして横須賀。
もう、岐阜に帰ることはないそうだ。
「今の時期になると、岐阜の栗きんとんが食べたくなるんです」と言うと、「あれ、店によって味がちがうんだ」とFさんが笑った。
「あの栗きんとんは、あそこにしかないんです」と言うと、「そうそう。中津川だけじゃなくて、恵那にもあるけどね」と言っていた。
「よく知ってます。回って、食べ比べしましたので」と言おうか迷ったけど、やめておいた。
Fさんを送って家に帰ってから、「Fさんのおすすめの店、聞いておけばよかった」と思った。
お互い腎臓によくないかもしれないけれど、一緒に中津川の栗きんとんを食べたいと思った。
なかなかに遠くなってしまった、岐阜の景色と栗きんとん。
Fさんと話したら、ますます恋しくなってしまった。
Fさんもそうかもしれない。
わからないけど。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
