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お墓参りに行ったら、お墓が消えていた。絶縁した親戚の「墓じまい」


我が家には約20年ほど、絶対に崩さない
「父の祥月命日ルーティン」があった。

まずお寺さんへ行って法要をし、
その後に父方のお墓参りへ行く。
これが、我が家の夏の恒例行事。

しかし、ある年に限って色々と事情が重なり、「先にお墓へ行ってから、お寺さんに行こう」
という、いつもと違うルートになった。

私はお墓参りが好きなので、
当日ウキウキと墓地へ向かった。

「晴れた空の下でお掃除、最高だぜー!」
なんて思いながら。

しかし、
私たちを迎えたのは、見慣れぬ風景だった。

……あれ?

うちのお墓は、
かつて豪快にお金を持っていた父方の一族が作った、無駄にハイパー豪華な仕様だ。
わざわざ出身県から高級な石を取り寄せ、
ご丁寧に樹木まで植えている。
墓地の中でもひと際目立つ存在感を放っていたはずだった。

なのに、ない。

見間違いかと思って何度も目をこすったが、
そこにはただ、ぽっかりと空いた綺麗すぎる更地があるだけだった。

状況が呑み込めないまま、
とりあえず次の予定のお寺さんへ向かった。

「あの、お墓参りに行ったら、お墓自体が消えてたんですけど……」と報告する。

お寺さんによると、
伯父が墓じまいをしたとのことだった。

実は、父方の親戚(父の兄の家族)とは絶縁状態にある。(もちろんお寺さんもご存知だ。)
きっかけは色々ある。その泥沼のお話は、また機会があればお話したい。

20年ほど前、当時はまだ絶縁とまではいかないが、ほとんど交流がなくなったころに祖母が亡くなった。そのお葬式などを、なぜか私たち家族が取り仕切ることになった。

伯父は「長男!」という立場をものすごく誇らしげにする人なのに、である。

その2年後、私の父が亡くなった。
お墓をどうするか話し合う際、我が家の長男である私の兄が「僕が管理します」と申し出た。
祖母のお葬式を丸投げされた過去もあったので、スムーズにいくかと思いきや、伯父が激怒した。

「長男は俺だ!」と。

話し合いにもならず、
結局管理は向こうにお願いすることになった。

「我が家は会わないように、ひっそりお墓参りだけ続けよう」というところに着地。

そう。
絶縁中だから当然、連絡ひとつなく勝手に墓じまいされていたのだ。
(ちなみに父のお骨はそこに入れてなかった。)

母方の親戚はいつも親身になって助けてくれる「聖人」多めなのに、なぜ父方はこうも毎回、
斜め上の「びっくり箱」を開けてくるのか。

幸い、1年ほど前から家でお線香を立て、毎朝手を合わせる習慣を始めていた。
父と祖母が悲しい亡くなり方をしたこともあり、
「あの世で困ってなきゃいいな」という気持ちからだ。亡くなってからだいぶ経つのだけど、ふと手を合わせたくなったからだ。

そう考えると、石の家がなくなったところで、
大した問題ではないのかもしれない。

どこかの高級な石に向かって拝むより、
毎朝リビングで心を込めて線香を立てる方が、
ご先祖様にも届いている気がする。

豪華な石は消えたけど、私の祈りはここにある。

……とは思いつつも、やっぱり更地を前にしたあの衝撃だけは忘れられない。

でも、そらそうだ。

連絡するくらいなら、
そもそも絶縁なんてしてないし。
そう考えたら、なんだか妙に腑に落ちた。

長年、
我が家は「ひっそりお墓参り」をしていた。
伯父は伯父で「ひっそり墓じまい」をしていた。
お互いに、ひっそり。

その結果、
私たちを待っていたのは、見事な更地だった。

お寺さんが、ポツリと言った。
「良くも悪くも、終わるのもご縁だからね」と。

気になって後で調べてみた。

仏教には
「物事が終わることや離れることも、
すべて大切なご縁(縁起)」

とする教えがあるらしい。

お寺さんの説法はいつも面白くて、興味深い。

予告なく訪れた墓じまいのおかげで、
「仏教」という新しい興味の扉が開いた。

これもまた、一つのご縁。
さっそく、初心者向けの仏教の本でも買いに行ってみようと思う。

普段漫画しか読まないけど、
この夏は本を読もうかな。

祖母、父が他界した状況について
少し書いてます↓


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