【闘病記①】「今を精一杯生きている」はずだった。看護師の私が、声にならない声で「助けて」を叫んだ日
「死を、知っているつもりだった。」
20年間、看護師・産業保健師として、人の生死と向き合ってきた。 患者さんの最期に立ち会い、ご家族の嗚咽を聞き、冷たくなっていく手を握った。 その経験が、私に根拠のない自信を与えていた。 「死がどういうものか、私はわかっている」と。
その自負は、ある日突然、無慈悲な現実の前に粉々に砕け散った。
これは、「死」を知っているつもりだった私が、本当の「死の淵」に立たされたときの記憶を辿る記録だ。
2024年6月4日:違和感
最初は、熱があるのだと思っていた。 少し前にかかった目の感染症の延長で、風邪をこじらせただけだと。 「一晩寝れば治る」 そう高を括ってベッドに入った。
けれど、違和感は指先から始まった。 スマホの画面がやけに冷たく、ツルツルと滑るのだ。 フリック入力をしようとしても、指が泥のように重く、狙った文字を打てない。 立ち上がろうとすれば、足の裏がふわふわして、スポンジの上を歩いているようだった。
「ピンポーン」
職場の同僚が呼んでくれた救急隊員がインターホンを鳴らす音が、夢の中で聞こえた。 足に力が入らず、カメとワニが融合した動物のように、玄関まで這いつくばって行った。
病院での血液検査の結果は、「入院の必要なし」という判断。
「え、マジで!?」
待合室の硬く冷たいパイプベッドの感触。 消毒液の混じった無機質な空気。 迎えに来てくれた友人の車の振動を感じながら、私は「何かおかしい」と感じていた。 しかし、私の体の中で、取り返しのつかない崩落が始まっていることを誰も知らなかった。
6月5日:断絶
明け方、視界が水の中にいるようにぼやけ始めた。 目を開けているのか閉じているのか、その境界線すらわからない。 頭の中に、無数の虫が這い回るような不快なノイズが響く。 たまらず頭を掻きむしった。痛いのか、痒いのかもわからないまま、爪を立て続けた。
再び病院へ行った。医師の言葉は遠く、フィルター越しに聞こえるようだった。
「精神的なものですね」
その診断に、私の心は悲鳴を上げた。
違う。精神病じゃない。
「苦しい」「助けて」
叫ぼうとして、喉の筋肉が動かないことに気づく。 喉の奥から漏れるのは、雄叫びをあげる狼か、酔っ払った親父がわめいているような、不協和音。
私は看護師として、多くの患者さんを見てきたはずだった。 だが、いざ自分がその立場になった時、「後悔しない生き方」なんて綺麗な言葉は、何の意味も持たなかった。 ただただ、怖い。 意思があるのに、体が外の世界から切り離されていく。 透明な棺桶に閉じ込められたような孤独。
母が水を飲ませようと、口元にコップを運んでくれた。 冷たい水が頬の中に感じる。けれど、飲み込めない。 水はそのまま唇から溢れ、喉を通過することはなかった。 拒否したんじゃない。喉が、もう私の言うことを聞かないのだ。 それを説明する言葉すら奪われている。
時間が経つにつれ、体の中で恐ろしい音が聞こえ始めた。 ブチブチ、ブチブチ。 それは、私の運動神経が音を立てて切れていく音だった。 幻聴だったのかもしれない。だが、確かにその「切断」の感覚があったのだ。
温かい液体の不快感が下半身に広がった時も、羞恥心はなかった。 それよりも、手足の先から冷たい闇に飲み込まれていく現実の方が、遥かに恐ろしかった。
「あーちゃん、しっかりしなさい」
いつも気丈な母が、自分に言い聞かせるように、震える声で私を呼んでいる気配だけが、ぼんやりと残っていた。
6月6日:冷たい光
横浜から姉が駆けつけた。 その足音や声の響きで、場の空気が「混乱」から「危機」へと変わったのがわかった。 姉の判断が、私の命を現世に繋ぎ止めた。
再びの救急車。サイレンの音がやけに大きく、脳に直接響く。 「酸素飽和度が低下しています」 誰かの声がしたが、モニターの数字はもう見えない。 ただ、体の芯から体温が奪われ、氷のように冷えていく感覚。 息を吸おうとしても、肺が膨らまない。 水底に沈んでいくように、意識が遠のいていく。
ドクターカーに移されたところで、記憶は途切れた。
「あと数時間遅れていたら、命はなかった」 そう聞かされたのは、私が再び光の中へ戻ってきた1週間後のことだった。
だが、一命を取り留めたことと、苦しみが終わることはイコールではなかった。 その時の私はまだ知らなかったのだ。この暗闇が、どれほど深く、長いものになるのかを。
あの3日間を振り返るたび、今でも気づかされることがある。
私は20年間、「死に備えること」を人に伝える仕事をしてきた。 それなのに、いざ自分の番になったとき、準備など何一つできていなかった。 怖かった。ただ、怖かった。 プロとしての知識も、経験も、覚悟も——全部、自分の身体が崩れ落ちていく前では、何の意味も持たなかった。
「知っている」と「経験する」は、まったく別の話だ。
あと数時間遅れていたら、命はなかった。 その事実を胸に刻みながら、私はこれを書いている。
(つづく)
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