リハビリ職の「お金の遣い方」⑤――評価の「型 」と ルービンシュタインの「音」
▼リハビリ職の「お金の遣い方」④
――その " 価値 " を決めるもの
という前回記事からの
つづきとなります
お金についてのお話
の 流れから
リハビリ職の " センス " とは
なーに?
" セミナーの価値 " を決めるのは
なーに?
という疑問に
「わたしは こう 想います」
というお話を
した場面でした
では
つづきを どーぞ
「めでたし」ならず――人生は次の扉を開ける
(しばらくの沈黙)
というのがね
わたしが 考える
「セミナーの価値を決めるもの」
です
本当にそうかどうかは
あなたの 今後のキャリアの中で
考えてくださいね
ということで
赤ワインの おかわりを
はははは
あなたも おかわり いかがですか?
あ
じゃぁ お願いしましょうね
(店員さんに お願いします)
はい
ということでですね
わたしはセミナーに参加して
評価
を 自分でできるようになり
「ダメPT」を
卒業したのでありました
昔ばなし なら この後は
わたしは Mさんとの 師弟関係の中で
幸せに その病院で
リハビリを続けましたとさ
おし~まいっ!
でんでん でんぐり返って
ばい ばい ばいっ ♬(←昭和の香り)
って感じになりそうですね?
はははは
ところが ぎっちょん キリギリス!(←昭和の香り その2)
わたしはね
その病院を 追い出されるんです
Mさんもです
(店員さんが おかわりを持ってきてくれます)
「あ ありがとうございます
とても おいしいです」
(赤ワインを飲む)
あぁ やっぱり おいしいですね…
えぇ そう
そうなんですよね…
人生
って
そういうものなんですよね
わたしの人生はね
わたしのことを
「お前は まだまだ がんばれよ」
っていうような現実を
次から次へと
用意してくれるんですよねぇ
人生さん ありがとー
ははは
ウソみたいな実話――わたしの " 卒業 "
つまらない話ですが
辞めた顛末を
ちょっと お話しますね
あなたの 参考になるかもしれないから
…
それまで長らく
リハビリ部のトップだった方がいたんですけど
その方 はっきりいって
後任に追い出された感じでしたね…
よく管理者だけがミーティングしていたんですけど
廊下まで
怒声
が聞こえたものですよ
あんなに穏やかな人なのに…
で トップを辞められちゃって
教育の世界へ 行かれました
今 あの方に指導してもらえる学生さんは
幸せだと想いますね…
(現 新潟リハビリテーション大学 教授)
追い出して新しく就任した
リハビリ部の トップは
ボバース嫌い
だったんです
女性の作業療法士でしたけどね
もう定年退職しているはずですが…
とんでもない人でしたねぇ
ボバースの研修に参加することとか
病院内で勉強会することとか
ぜんぶ できなくなりました
ボバースを勉強している
先輩たちが
どんどん 辞めていきました
わたしも 踏ん張っていたつもりだけど
仕事への取り組み方は変わらないのに
人事考課の判定が
それまで B だったのに
いきなり Cとか もっとひどいものが
付けられるようになりました
作り話じゃないですよ?
現実にそういうことって
起きるんです
それでも Mさんが がんばっていたから
わたしも がんばって残っていたのですが
結局 リストラのように
強制的に 退職させられるんです
その後
Mさんも お辞めになられたそうです
人生は
わたしに
その病院からの卒業
と
Mさんからの 卒業
を 求めた
今は そう 理解していますよ
(赤ワインを飲む)
やだ
ワイン マズくなるような話しちゃった(顔をしかめる)
ごめんなさいね(苦笑)
意見が合わない――評価の「型」という壁
次に勤めた病院では
前回もお話したような
「セミナーに参加はしないけど
安定してリハビリができる」
という タイプの人ばかりでした
いろいろな職場から
転職してきたスタッフの集まりでした
ですから
評価
が みなさんできるんです
そういうタイプの人たちを
新人の時のわたしは
『センスがあっていいなぁ』
と 想っていたのでしたね
でも そのときはね
わたしは そういう人たちを
『いいなぁ』
とは 想わなくなっていたんです
一部のリハビリスタッフさんと
患者さんについての
意見が異なる
ということが 起きるんです
評価 が 異なるんです
当然
リハビリの方針も 異なるのです
わたしのリハビリに対して
軽い批判
を 口にするスタッフも
一部にいました
特に
「筋力を付ければ
痛みは消える
痛みが消えなくても
筋力を落とさないことが大切」
という考え方を
ベースに持っているスタッフとは
ものすごく 相性悪かったです 笑
その考え方
場合によっては正しいんですけどね
でも なんでもかんでも
それを 患者さんに押しつけたら
リハビリが
苦行
になってしまう
そうなると
「リハビリの時間しか 動こうとしない」
患者さんになってしまう
そう危惧する
わたしの考えと
本当に 合わなかったですねぇ…(苦笑)
(チーズを 少し食べます)
なんで こんなに 合わないんだと
想います?
それはですね
わたしにも 相手のスタッフにも
原因があるのです
それは
わたしたち それぞれの
評価に
「型」
が できていて
それを
守ろうとしてしまうから
なんだと 想うんです
「型」はこうして生まれる――" 揺らされる " 現場
それぞれのスタッフの
積み重ねてきた 経験 から
「評価 と 治療 と その結果」
が 蓄積されていくんです
それが
「あぁ こういうときは このパターンだね」
という
「型」
が できあがります
…
わたしが入職したときの
その病院は
ちょうど 変革期だったんです
地域包括ケア病棟
という
当時の新しいタイプの病棟ができたり
弱かった整形外科に
常駐の医師が
来られたり
当然
受診される患者さんのタイプ
入院される患者さんのタイプ
も
変化します
新しい制度の下で
わたしたちリハビリ職が
順守すべき
制度も変わりました
ですから
彼らの それまでの
「型のある評価」
が
揺らされる時期
でもあったと想うんですね
「省エネ」と「安心感」――その誘惑「力の指輪」レベル?
もちろん 当時のわたしも
それまでの成功体験からできた
「型」
で
患者さんを見ていたと 想います
日々の忙しい臨床の中にいると
その型って
脳にとっても
省エネ で
脳は 省エネできることを
好むんです
型は できます
型ができると
リハビリする上で
ちょっと 安心感さえ
抱きますよ
ただね
怖い部分もあって
そういう時の わたし達って
「型に 執着したくなる」
のです
型を手放すとは
それまでの 脳の省エネを
放棄することです
成功体験 という 安心感をも
放棄することでもあります
ですから
その執着心は
非常に強力です
ロード・オブ・ザ・リング
の
『力の指輪』
くらい強いかも 笑
意見が合わなかったのは
わたしも 相手も
「自分の評価の型
に
固執」
していたからなのでしょうね
(赤ワインを飲む)
ゴラム になった
リハビリスタッフは
たくさんいますよ
「まぁ~い ぷれしゃぁ~す(My precious)」
はははは
恐ろしいですね

ゴクリー中つ国Wikiより
ボバースを追い出した心理――揺らされたくない者たち
考えてみれば
最初の病院で
ボバースを追い出した派閥って
「自分たちのやり方を
揺らされたくない」
からですよね?
患者さんが 言わなくても
「ボバース派の先生が
担当ならよかったのに…」
という 心の声が
聞こえる
その度に
" 揺らされる "
型が 揺らされ
職場での存在意義さえ
揺らされる
これは なかなか
地獄です
そりゃ
ボバースの一党を
こちら側に 引き込むか
それがだめなら
追い出したく なりますよね
…
わたしの今の職場で
わたしに向かって
「あんた うるさい!」
と 叫んでしまったスタッフも
同様の理由です
動揺…だけに……
( … しーん … )
(店員さんの ジト目 を 感じる…)
なははは
またやっちゃったぁ
ごめんなさい
「型」を更新するとは――その痛みとリスク
どこの職場でも
そういう 衝突の種は
絶対にあるのです
なんていうか…
わたしの リハビリ職の人生って
「この組織に染まるか?」
「自分の在り方を守るか?」
の選択を
ずっと 求められてきている気がするんですよね
困っちゃいますよね 笑
もっと困ったことに
わたしは
組織にも
周囲にも
合わせられないタイプ
ってことです(苦笑)
幸運なことに
わたしは 評価を することが
苦手
です
型を つくりたくても
つくれないんです
型ができた!
と想っても
それを 否定する
患者さんが
現れるんです
そのとき
わたしって
自分の型を
『あ… ちがうんだ…』
って 自然に想えるんです
「ダメPT」時代に
自然にそう想えるようになった
と 今ならわかります
ですから
そこで その患者さんから
学ぼうとするわけです
この姿勢って
一見 リハビリ職として
当然の態度
のように
思えません?
でもこれってね
誰かの型
組織の型
に 反するかもしれない
という一面もあるんです
ちょっと 嫌な話ですけどね
わたしが ひとつの組織に
長く勤められなかった理由って
いろいろ あるんですが
「型を更新する」ことも
理由のひとつだと
想うんですよね
憧れを手離す日――ボバースとの静かな決別
そんな わたし
ですからね
あんなに 憧れて
あんなに 救われた
ボバースコンセプトに
ついに
疑問
を持ち始めるんです
詳しくは 長い話 になるので
過去の記事に 詳細は譲りますね
わたしって
ボバースのセミナーの中にいても
「劣等生」
だったんです
参加者みなさんが
うんうん
って している中
わたしひとり
頭の中で クエスチョンマーク
みたいな感じでした
ですが
ある研修会で
わたしに 転機が おとずれます
ボバースコンセプトを日本に紹介した
紀伊先生の
評価の凄み
を 目の当たりにしたんです
その時ね
「いまのは なんだ!?」
って
わたし 文字通り
立ちすくんだんです
あれが わたしの
「ボバースとの お別れ」
だったんですよね
その時と
その後については
過去の記事を ご覧くださいね
▼「評価する能力」への憧れ
|ボバースとの出会い・違和感・そして胸にしまった「問い」(1/3)
△劣等生アルが 「立ちすくむ」ところまで
▼かつての"劣等生"が10年ぶりにボバース研修会へ
|若いPT君たちへ"還す"言葉(2/3)
△そして10年後
盛岡での修行を始めたアルは 小さなボバースの研修会に参加します
そして「もう学ぶものは無い」ことを 確認します
若い理学療法士さんたちとの短い交流も 綴りました
▼理想へ至る道が不安に覆われていても
|「道」の正体に触れ 踏み出した私(3/3)
△アルが求めていた「評価への道」は 盛岡にありました
初めて出逢った師匠と
サシで飲んだ 0次会 を綴りました
賞賛の中での「脱皮」――そして「巨匠」へ
はぁ…
まぁた 長話 しちゃいましたね
ちょっと 休憩して
ワイン楽しみましょう
(ルービンシュタインの演奏に
耳を傾ける)
いい演奏ですねぇ
録音の古さ さえ
味わい になるような…
さっき(前回記事)
ルービンシュタインって
チョコ食べながら
小説読みつつ
ピアノ練習していた
って言ったじゃないですか?
そこで 終わっちゃうと
わたし 彼を誤解させちゃったままなので
ちょっとフォローさせてくださいね 笑
…
プレイボーイの彼も
45歳くらいの時に
ついに年貢を納めるんです
結婚したって意味ですよ はははは
そのころの彼って
あいかわらず
聴衆からの絶賛の中にいたんです
順風満帆だったんですね
ところが
ある時
ある若手ピアニストの演奏を聴くんです
ウラディミール・ホロヴィッツ
という若者です
後にピアノの巨匠と讃えられる人です

素晴らしい演奏なわけです
それを聴いたルービンシュタインは
どう感じたか?
雷に打たれたような
衝撃を感じたんだそうです
「本物は本物を知る」
ですね
ルービンシュタインの素晴らしいところは
そこで 保身に はしらなかったことです
「あんな 若造 潰してやる!」
とは ならない
素直さ
があったのでしょう
そうじゃなきゃ
女性にモテないでしょうしね? 笑
で 衝撃を抱いたまま
彼は 演奏後のホロヴィッツを
たずねるんです
そこで また
衝撃を受けるんですよ
なんとね
あんなに素晴らしい演奏をしたホロヴィッツが
落ち込んでいるんです
当然 ルービンシュタインは
その理由を聞くんです
ホロヴィッツは言いました
「1音 ミスしてしまいました…」
…
ルービンシュタインは これを聞いてね
『俺なんて ミスしまくってるし!
ミスしても
てきとーに ごまかしてるし!』
って 衝撃を受けるんです 笑
…
その頃ね
ルービンシュタインに 子どもが生まれました
彼は こう 思ったそうです
『このまま演奏していって
将来子どもたちに
お父さんは一流のピアニストだと
誇れるのだろうか?』
とね
だーれも 彼の演奏を
ミスタッチが多い!
ごまかしている!
なんて 責めていないんですよ?
むしろ ミスさえ
味
として評価されていた
その状況で
あのような内省ができるところが
ルービンシュタインの
スゴイところ
そして
彼は
全ての演奏スケジュールを
キャンセル
するんです
南フランスの農家の おうちを借りて
猛練習するんです
ぽーん
という
音の出し方 から
基礎中の基礎 から
練習し始めるんです
1日
12時間 から 16時間
練習したそうです
そしてね
彼は
1937年に
アメリカのカーネギー・ホールで
『復帰コンサート』
を行うんです
その演奏は
聴衆 と 評論家の
度肝を抜きます 笑
「以前とは見違えるほど洗練され
深い精神性を湛えた巨匠!」
と大絶賛されるんですよね
そして今でも彼は
「20世紀最高のショパン弾き」
としての地位を
不動のものにしているんです
わたしは 専門家じゃないから
今の話 正確性に欠けますので
ご容赦くださいね
でも わたし
この話
大好きなんですよね
あ ちなみに
最晩年まで
彼は モテモテで
随分おじいちゃんになっても
女性関係で
" やらかして " ます 笑
もう そんな一面でさえ
皆に 愛されていたそうですよ
そのお話も
わたし 好きです
ふふふ

何も変わっていません――困ったものです 笑
なんだか お金の話から
完全に 外れていっていましましたね 笑
わたし達って 仕事をしていると
やっぱり どこかで
「型」
が できちゃうんです
その型に 安住する生き方を
わたしは 否定しません
患者さん 利用者さんから
「ありがとうございました」
って 言われて
自分でも
「納得できる リハビリができた」
って 思えていれば
それで いいんです
…
ただね
わたしの場合ですけど
ほら
とても 不器用だから
勉強しても 勉強しても
患者さんが 教えてくれるんですよ
「君は まだまだ だよ」
ってね
その患者さんが 心から
「ありがとうございました」
って 言っていただいたとしても
わたしが
「まだまだ だ」
って
想うんですよね
…
変わっていないんですよ
「ダメPT」時代のわたし
と
今の わたし
ぜんぜん 変わっていないんです
変わったのは
患者さんからの
批判
よりも
感謝
が
ちょっと多くなっただけ
「まだまだ だ」
「なんでだろう?」
「どうしてだろう?」
は
変わっていません
ですので
「型」
が 定まらないのでしょうね
ですから
いつまでも
「もっと勉強したい」って
セミナーに参加し続けるのでしょうね
そして いつまでも
組織にも 他者にも
染まれない
のでしょうね~
困ったものですね~
実に困ったものですね~
はっはっはっ 爆笑
(お金の話をしていないので
お金を話をするべく
次回に つづきますね 笑)
リハビリ職の「お金の遣い方」⑤
――評価の「型 」と ルービンシュタインの「音」

