【#28】更年期川柳🌿義実家で料理するのは、いつの間にか私になっていた
こんにちは🌿あいです!
もうすぐお盆ですね。
毎年この時期になると、家族で、車で2時間半かかる義実家へ帰省しています。
昔は、義実家に着くと
義母がたくさんの料理を作って待っていてくれました。
でも今は……
私が義実家に着いて、料理を作っています。
☆今日の更年期川柳 #28
「義実家で 料理するのは いま私」🌿
いつの間にか、
私が「おもてなしをする側」になっていました。
義母は2年前に亡くなりました。
三人の息子を育てた、パワフルで肝っ玉母ちゃん。
そして私にとっては、看護師の大先輩でもありました。
昭和20年生まれの義母は、周りの友達が嫁いでいく中、親元を離れて進学。
寮生活をしながら日赤の看護学校を卒業し、結婚するまでしばらくそのまま日赤の看護婦をしていたそうです。
「そのとき車の免許も取ったのよー。私くらいだったのよ、そんな人は。」
と義母は若い頃のことをよく誇らしげに話してくれました。
結婚後は子育てしながら共働きで家計を支え、外科や精神科の婦長も務めました。
当時は共働きは珍しく、きっと先駆けだったと思います。
「〇〇(夫)が小さい頃は、病院の託児所に預けて夜勤していたのよ」
そんな話も聞かせてくれました。
看護婦がいまは看護師になりました。
看護は大学で学ばれる看護学という学問になりました。
義母たちの時代の看護婦さんたちがその歴史を紡いで繋いできてくれたから、その先に私たちの今があるんだなぁと、思います。
息子が連れてきた当時彼女だった私が看護師だと知ったとき、
「息子が看護師さんを選んでくれて嬉しい」☺️
そう言ってくれました。
結婚後も意地悪も嫌味も一切なく、
なかなか子どもが授からなかった時も親戚の集まりでも
いつも私の味方をしてくれる人でした。
でもコロナ禍をきっかけに心身の調子を崩し、部屋からなかなか出てこられなくなりました。
帰省しても会えないで帰ることもありました。
久しぶりに会えたときには義母には黄疸が出ていて、びっくりして病院へ連れて行きましたが、治療も難しく3か月後に亡くなりました。
看護師なのに、もっとなんとかならなかったかな。
私は自分を責めました。
でも義母はきっと「そんなこと思わないで」って言ってるだろうなと
「あいさん、看護婦だってどうにもならないことはたくさんあるよ」
って原点を教えてくれていると感じました。
看護師としても、家のことも、もっといろいろ教えてもらいたかったな。
そんな思いで
今年のお盆も、みんなで帰ります。
お義母さん。
今年も帰ってきてね。
みんなで行くからね🌿
そして私は、義母が作ってくれていた料理を思い出しながら、今度は私が作ります。
いつの間にか受け取る側から、
次の人へ渡す側になったんだな。
50代。
体の変化に戸惑うこともあるけれど、
人生の中で受け取ってきたものにも、ふと気づく年代なのかもしれません。
今年のお盆も、
「ただいま」と「おかえり」を言える時間を大切にしたいと思います🌿
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
同じようにゆれながらも静かに戦っているあなたや、その大切な方へ、心からのエールを。
もし共感してくださったら、スキやフォロー、コメントなどで教えてくださると嬉しいです🌿
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