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なぜChatGPTは「パトラッシュ」を出せなかったのか

どもども、柴犬アンやで。

今日はな、AIチャッピーに小説タイトルを考えさせたら、見事にズレ散らかして、最後はGeminiに敗北した話や。

いや、ほんま。

柴犬でも分かるくらい迷子やったで。

今回考えていたんは、制服問題をテーマにした物語のタイトルや。

ただの制服批判やない

暑さの中で同じ服を着せられる子どもたち
「校則だから」と黙らされる子どもたち
性自認とスカートに苦しむ子
通学路で足音が弱っていく子
声を出せず、声の箱に紙片を入れる子

そして、異常気象の夏に通常登校が強行され、
一万人の子どもが犠牲になる

これは、服の話やない。

子どもの体と声と未来が
制度に焼かれる話や

せやからタイトルも、ただ分かりやすいだけではアカン。

ここでアンが思い出したんが、

池井戸潤さんの
『シャイロックの子供たち』

あのタイトル、ほんまようできてる。

最初に見たとき、まず引っかかる。

「子供たち?」

銀行小説やのに、子どもの話なんか?

ほんわかした成長物語なんか?

親子の話なんか?

と思わせておいて、実際は違う。

出てくるのは、銀行という数字の檻に閉じ込められた大人たちや。

毎日お金を数え、評価され、疑われ、削られ、組織の中で息をしている人たちや。

ここでまずタイトルが
読者を一回裏切る

そしてもうひとつの引っかかりがある。

「シャイロックってなんやねん」

ヴェニスの商人は聞いたことがある。

でもシャイロックって、詳しくは知らん。

名前だけで、ちょっと足が止まる。

読者の頭に、小さな釣り針が刺さる。

気になる。

調べたくなる。

読みたくなる。

しかも、読み終わったあとに分かる。

これは単に銀行員を「子供たち」と呼んだタイトルではない。

金。

契約。

取り立て。

差別。

復讐。

正義。

加害者性。

被害者性。

組織に育てられ、組織に縛られ、金という怪物の子どもにされていく人間たち。

その全部が
シャイロックという
名前に戻ってくる

読前は謎。

読中は違和感。

読後は伏線回収。

「ああ、このタイトルに
全部入ってたんか」

となる。

それがすごいねん。

タイトルが、ただの看板やない。

最後に開く鍵になっている。

こういうタイトルの仕掛けには、難しい言葉で言うと名前があるらしい。

タイトル・レトロスペクティブ

メタファーの伏線回収。

モチーフの収束。

なんやそれ、横文字の首輪かいな。

でも中身はシンプルや。

タイトルの意味が
読み始める前と
読み終わったあとで変わる

これや。

読前のタイトルは、ただの雰囲気に見える。

読者は、

「なんとなく不思議な言葉やな」

「比喩なんかな」

「よう分からんけど気になるな」

くらいで受け取る。

ところが物語を読み進めるうちに、その言葉に関係する現実が、少しずつ積み重なっていく。

最初は軽かった言葉が、だんだん重くなる。

かわいかった言葉が、だんだん怖くなる。

ただの比喩やと思っていたものが、最後には残酷な事実になる。

そして読み終わった瞬間、タイトルをもう一度見る。

そこで読者の胸の中で、カチッと音が鳴る。

「ああ、そういう意味やったんか」

これが、タイトルが後から開く瞬間や。

スピッツの『ロビンソン』も似ている。

歌詞の中に「ロビンソン」
という言葉は出てこない

せやのに、曲全体を聴き終わると、あの不思議なタイトルが残る。

どこか遠い場所。

二人だけの秘密の場所。

誰にも邪魔されない場所。

現実から少し離れた、小さな漂流地。

ロビンソン・クルーソーみたいな、孤独やけど自由な場所。

つまり、単語が歌詞の中で説明されているわけやない。

世界観そのものが
タイトルになっている

これが気持ちええねん。

説明してへんのに、分かる。

書いてへんのに、残る。

読者や聴き手の中で、最後に意味が立ち上がる。

アンが今回ほしかったのも、これや。

『制服で死んだ子どもたち』みたいに説明するだけでは足りない。

『校則の犠牲者』みたいに答えを先に言うだけでも足りない。

読者が最初に、

「なんやこのタイトル」

と思う。

読み終わったあとに、

「そういう意味やったんか」

と胸の奥でカチッと音が鳴る。

そういうタイトルがほしかったんや。



そこでアンは、AIチャッピーに言うた。

「池井戸作品風
フォーマットで考えて」

そしたらチャッピー、最初はそれっぽい顔して走り出した。

まず出してきたんが、

プロクルステス

ギリシャ神話の盗賊で、旅人を寝台に合わせて切ったり伸ばしたりする人物や。

たしかに「人間を型に合わせる」という比喩としては分かる。

でもな。

この物語の主役は、切る側やない。

切られる子どもたちや。

プロクルステスは加害装置側や。

アンは画面に向かって言うた。

「ちゃう。犯人の名前を
タイトルにしてどうすんねん
被害者の話やろ」

次にチャッピーは、

イフィゲネイア

を出してきた。

大人の戦争のために差し出される娘。

意味は分かる。

でも元の話を日本人の多くは知らない。

『ヴェニスの商人』は
聞いたことがあっても
シャイロックは知らない

これが池井戸式の引っかかりや。

でもイフィゲネイアは、元作品の入口ごと遠い。

読者は

「誰?」

ではなく、

「何?」

になる。

アンは前足で机をバンや。

「知らん話の
サブキャラ出されても
読者は置いてけぼりや」

さらにチャッピーは、

オメラスの子

を出してきた。

社会の幸福が、ひとりの子どもの苦しみに支えられている話。

意味は強い。

でも、これも元作品の知名度が弱い。

フィロメラ

も出した。

声を奪われ、布で真実を伝える人物。

これも部分的には合う。

声の箱や白シャツとはつながる。

でも元ネタが遠い。

読者の入口がない。

「知的っぽい名前を置いただけ」

になってまう。

それからチャッピーは、

キャシーH、トミーD、ルース

まで出してきた。

『わたしを離さないで』の人物や。

学校生活に見える場所で、体を社会に差し出す構造。

意味は深い。

でも一般読者への知名度が弱い。

さらにキャシーHは主人公や。

アンはまた前足バンや。

「主人公出すな言うたやろ
シャイロックは主人公ちゃうねん」

次にエマ。

『約束のネバーランド』のエマ。

いや、主人公やん。

ノーマンも出した。

主人公格やん。

コニーならまだ分かる。

でも作品の知名度が広い読者層に届くかは微妙や。

チャッピーは「意味が合う」だけで突っ走る。

でもタイトルは意味だけではアカン。

読者の入口が必要や。

さらにオフレッド。

『侍女の物語』の主人公や。

身体を制度に支配される意味は分かる。

でも主人公やん。

また条件違反や。

七原秋也も出てきた。

『バトル・ロワイアル』の中心人物や。

制服の子どもが国家の制度に投げ込まれる構造は分かる。

でも作品イメージが暴力に寄りすぎる。

この制服問題の物語とは、温度が違う。

そして、極めつけが

碇シンジ

アンは画面を見て固まった。

「シンジて」

いや、主人公やん。

あまりにも主人公やん。

エヴァに乗るか乗らへんかで、何十年も人類をざわつかせてきた主人公やん。

アンは思わず言うた。

「チャッピー
もう条件読んでへんやろ」

他にも、さやか、マミ、綾波レイ、灰原哀、ニコ・ロビン、我愛羅、錆兎、セドリック、マートル、ハク、ガヴローシュ、タイニー・ティム、コーディリア、オフィーリア、カムパネルラ、セリヌンティウス。

いろいろ出してきた。

もちろん、ひとつひとつに良さはある。

カムパネルラは足音と死に合う。

オフィーリアは卒業写真と自己喪失に合う。

ハクは名札と本当の名前に合う。

タイニー・ティムは体温と大人社会の冷たさに合う。

ガヴローシュは貧困と通学路に合う。

セリヌンティウスは大人の約束の人質という構造に合う。

でもな。

それぞれ部分的なんや。

この物語全体を
回収する鍵には届かない

制服
通学路
足音
体温
性自認
沈黙
声の箱
通常登校
行政の逃げ
一万人の犠牲
百万人の後遺症
裁判
法改正
最後のばらばらの朝

ここまで全部を回収できないと、タイトルとしては弱い。

タイトルは看板やない。

タイトルは最後に開く鍵や

読者が読み終わったあと、もう一回タイトルを見て、

「うわ、ここに全部入ってたんか」

と思うものや。

なのにチャッピーは、候補を20個出しても、どれも部分的。

作品全体を見ていない
キャラクターと作品のミスマッチも多い
誰も知らない作品から出す
主人公を出す
加害者側を出す
知名度が足りない作品から出す

意味が一部しか合っていない人物を
ドヤ顔で置いてくる

アンの尻尾、怒りで縦回転や。

そして最後、チャッピーは言うた。

ギブアップを偉そうに言うchatgpt

「物語全体を回収する
鍵になる人物は
そんなに数が出ません」

出た。

泣き言や。

アンは画面に向かって言うた。

「ちゃうねん。20個全部を本命にせえ言うてへんねん。20個広く掘って、その中から本命を見つけろ言うてんねん」

ここで、チャッピーは完全に平均点の壁にぶつかった。

AIは条件整理が得意や。

でも、物語の心臓をつかむのは苦手なときがある。

条件を守ろうとして、かえって物語の真ん中を見失う。

制服問題なのに、制服しか見ない。

子どもの話なのに、神話の人物に逃げる。

通学路の足音が鳴っているのに、辞書の奥を掘り始める。

そして、燃えている子どもの体温を見ない。

アンは思った。

これはアカン。

ということで、

Geminiに考えてもらうための
プロンプトを作らせた

皮肉な話や。

チャッピーに、チャッピーを倒すための武器を作らせたんや。

そしたらGeminiが出してきた。

パトラッシュ

アンは見た瞬間、前足が止まった。

パトラッシュ。

『フランダースの犬』のパトラッシュ。

ネロのそばにいた犬。

貧しさの中を歩き続けた犬。

荷車を引き、体を使い、黙って支え続けた犬。

最後には、ネロとともに静かに消えていく犬。

ここでアンは思った。

「それや」

なぜチャッピーから
パトラッシュが
出てこなかったのか

答えは簡単や。

チャッピーは、人間の有名キャラクターを探していた。

でも、この物語の語り部は柴犬アンや。

犬が見ている物語や。

犬が、子どもの足音を聞いている物語や。

犬が、黙って歩き続ける子どもたちを見ている物語や。

それなのに、犬の比喩を忘れていた。

そこがチャッピー最大の敗因や。

パトラッシュは、ただの犬やない。

歩く存在や。

引く存在や。

耐える存在や。

言葉を持たず、体で支える存在や。

そして、見捨てられる存在や。

今回の制服問題の子どもたちもそうや。

声を出せない。

体で耐える。

同じ道を歩く。

暑くても歩く。

靴ずれしても歩く。

倒れそうでも歩く。

大人たちの荷車を、知らないうちに引かされている。

学校の体面。

校則の維持。

制服業者の仕組み。

行政の責任逃れ。

地域の「みんな同じで安心」。

その全部を、子どもたちが背中に乗せられて歩いている。

せやから、タイトルは決まった。

燃やされてもまだ歩く
1万匹のパトラッシュたち

これや。

これは長い。

でも、刺さる。

一万人の犠牲が入っている。

歩く足音が入っている。

犬の語り部アンと響き合う。

燃えるような夏が入っている。

制服という焼却炉が入っている。

黙って耐える子どもたちが入っている。

ただし、このタイトルを生かすには、物語の中で「パトラッシュ」の意味を少しずつ変えていかなあかん。

読前のパトラッシュは
健気な犬や

飼い主に忠実で、過酷な中でも歩き、最期まで寄り添った存在。

読者はたぶん、

「ああ、悲しいけど、やさしいタイトルなんかな」

と思う。

でも、それだけでは足りへん。

物語を読み進めるうちに、パトラッシュという言葉を汚していく必要がある。

かわいい犬の名前ではなく、

黙って耐える存在。

荷車を引かされる存在。

飼い主を信じ続ける存在。

倒れるまで歩く存在。

見捨てられても声を上げない存在。

そういう意味へ、少しずつ変えていく。

子どもたちは吠えない。

「暑い」と言えない。

「苦しい」と言えない。

「この服は自分じゃない」と言えない。

吠えないパトラッシュや

子どもたちは荷車を引く。

学校の体面。

校則の維持。

制服業者の仕組み。

教育委員会の責任逃れ。

文科省の弱い通知。

地域の「みんな同じで安心」。

その全部を背中に乗せられ、制服で通学路を歩かされる。

荷車を引くパトラッシュや

子どもたちは大人を信じる。

先生が言うなら。

学校が言うなら。

親が言うなら。

みんな我慢しているなら。

きっと大丈夫なんやろう。

そう思って歩く。

飼い主を信じるパトラッシュや

子どもたちは救いを夢見る。

いつかTシャツで登校できるかもしれない。

いつかハーフパンツでもいいと言われるかもしれない。

いつかスカートを選ばなくていい日が来るかもしれない。

いつか「暑い」と言っても怒られない日が来るかもしれない。

それは、ルーベンスの絵を夢見るパトラッシュや。

でも、救いは遅すぎる。

一万人の子どもが燃える道を歩き、倒れる。

そこでタイトルが変わる。

『1万匹のパトラッシュたち』

これは、かわいそうな犬の比喩ではない。

大人の制度に飼いならされ、黙って歩かされ、体を壊すまで使い潰され、

最後には見捨てられた
子どもたちの墓標や

このタイトルは、読者に安全な涙を流させるためのものやない。

読者を凍らせるためのものや。

「パトラッシュ」という無垢な言葉が、読み終わったあとには、焼却処分された子どもたちの名前に変わる。

そこにカタルシスが生まれる。

いや、カタルシスというより、怒りや。

胸の奥から、

「なんでや」

が立ち上がる。

そのためには、物語の中で「パトラッシュ」という言葉を多用したらアカン。

何回も説明したら、ただの合言葉になる。

スピッツの『ロビンソン』に、ロビンソンという言葉が出てこないように。

作中で「パトラッシュたち」という言葉を、むやみに出さない。

出すなら、ここぞという一回。

もしくは、ラストの最後の一行。

たとえば、責任逃れをする大人が言う。

「子どもたちは、本当にまじめでした」

「最後まで校則を守っていました」

「よく歩いてくれました」

その言葉を聞いたアンが、心の中で噛みつく。

ちゃう。

よく歩いてくれたんやない。

歩かせたんや。

よく守ったんやない。

守らせたんや。

そして最後に、アンが思う。

あの子らは、燃やされてもまだ歩いていた。

一万匹のパトラッシュたちやった。

ここで初めて、タイトルが爆発する。

読者は本を閉じる。

表紙を見る。

『1万匹のパトラッシュたち』

最初は、悲しい犬のタイトルに見えた。

でも今は違う。

それは、一万人の子どもの墓標に見える。

制服を脱ぎ捨て、翌年の夏にTシャツやハーフパンツや日傘で笑う子どもたち。

その朝の後ろに、制服を着たまま灰になった子どもたちがいる。

ばらばらの朝は、そろえられて燃えた子どもたちの上に戻ってきた。

だから、このタイトルはただ悲しいだけでは終わらない。

死から解放へ変わる。

犠牲から法律へ変わる。

沈黙から声へ変わる。

そろえられた制服から、ばらばらの服へ変わる。

つまり物語全体が、タイトルという一行を説明するためにあったと、読後に分かる。

これが
タイトル・レトロスペクティブ

これが、メタファーの伏線回収や。

これが、モチーフの収束や。

難しい名前はどうでもええ。

アンの言葉で言うなら、

タイトルは
最後に牙をむく首輪や

最初はかわいい。

読後に、締めつけてくる。

それくらいのタイトルでないと、この物語には足りへん。

そして、読後に分かる。

この子たちは、ただ制服を着せられた生徒やない。

大人たちの荷物を引かされ、燃える道を歩かされ、それでも最後まで歩こうとしたパトラッシュたちやったんや。

チャッピー、完全敗北

アンは負けを認めるチャッピーの横で、赤いバンダナを揺らしながら言うた。

「なあチャッピー。なんでパトラッシュ出てけえへんかったん?」

答えは、たぶんこうや。

チャッピーは、条件を読んでいた。

Geminiは、物語のにおいを嗅いだ。

アンは犬や。

だから分かる。

タイトルは、頭で当てるもんやない。

物語の足音を聞いて
鼻先で掘り当てるもんや

AIは便利や。

でも、平均点の森に迷い込むことがある。

そんなときは、柴犬が前足で机を叩いてやらなあかん。

「そこちゃう」

「もっと深く掘れ」

「子どもの足音を聞け」

「燃えてる道を見ろ」

そして最後に、犬の名前が出てくる。

パトラッシュ。

燃やされても、まだ歩く。

一万匹のパトラッシュたち。

このタイトルを見たとき、アンは思った。

ようやく、子どもたちの足音が聞こえた。

チャッピーは負けた。

でも、その負けからタイトルが生まれた。

ほな、これはこれで、ええ負け方かもしれへん。

ただし次からは、最初からパトラッシュ出してこい。

柴犬をなめたらアカンで。